後期高齢者の旅とひとりごと

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

妻が認知症で医療保護入院して6ヶ月で退院

2020-01-28 10:12:49 | 日記
前年7月妻が頻尿と拒食障害を起こし一時はどうなることかと
心配し80歳を超える夫の自分では自宅での介護食を作ったり身体介護が
困難であるため主治医にお願いし医療保護入院をさせてもらい
おかげで拒食障害も治りよく食べるようになり、6ヶ月で退院することに
なったが自宅での介護は困難であるため病院のケースワーカーと相談し
認知症専門の介護施設であるグループホームと契約をした。

妻が介護保険で要介護4の認定を受けて早半年過ぎた

2019-10-20 10:48:01 | 日記
今年の4月に市で要介護4の認定を受けて早半年過ぎた。
介護の相談に乗ってもらうためにケアマネーッヤーと契約し,認知症専門の
医師も紹介てもらい,デイサービス施設やショートステイ施設を利用してきたが
7月に入り食事をあまり食べなくなり,いわゆる拒食障害になり,薬の副作用の
可能性を疑い,投薬を中止し主治医にお願いして,医療保護入院した.
医療保護入院して3ヶ月が過ぎ一応食事は取るようになった.
入院してから毎週一回面会し,
いままで居宅介護していたときと違い変化がよく分かり,日によって
会話ができたり,機嫌が悪かったり、......
主治医も入院する前はアルツハイマー型の認知症であると言っていたが
認知機能が良いときと悪い時がある事を思うとレビー小体型の認知症かも
知れないと思っているようだ
今年の3月突然幻視が見えて現実目の前にいない人とひとり言を言って
びっくりしたことがあったが  特に繰り返し幻視現象が現れるのは
レビー小体型認知症の特徴であるとの記述を見たことがあったが
そうかもしれない.










2019,1,1平成最後の朝

2019-01-01 15:20:07 | 日記
昨日は平成最後の大晦日で朝からゴル友とゴルフに出かける
天気は曇りで時々しぐれて、寒い一日であった。
ゴルフ場は多くのプレーヤーで賑わっていた。
一夜開けた今日は平成最後の元旦
早朝は気温一度で寒いが毎年の習慣でゴルフ練習場へ出かける。
今日は昨日とは違い雲もなく、今年の初日の出は美しく見ることができた。
比良山の冠雪も美しく見られた。
今年四月で平成時代がおわり、吾輩も81歳になる
昨年からウエラブルウオッチを腕に、一日一万歩を目標に歩いている。
人生100年時代を夢に健康で頑張りたい。

80歳の毎日が日曜日

2018-11-11 10:05:39 | 日記
今年の4月に満80歳になり、生涯現役を目標に
仕事を続けてきたが、80歳の誕生日をもって、
仕事をやめた。
長年朝8時前には家をでてマイカーで約1時間の
オフイスへ通った。
仕事から解放されると、いかに自分の時間がつかえるか
体験することを発見する。
まず最初に近隣の人たちとは、今まで名前も知らず、
挨拶するぐらいであったが、毎日顔を合わせると
親しくなり、今までなかった世界が開けてくる。
地域社会の役員をし、地域社会のいろんな問題点が
見えてくる。
近所のゴルフ練習場へ行くと近所の仕事をリタイアした
人達と仲良くなり、いわゆるゴルトモができ
一緒にコースをまわり、叉近くの居酒屋へ飲みに行く
楽しい世界にお互い歳もわすれて語り合うひと時
に明日の仕事のことも思うことなく過ごせる全く自由な
自分の時間に浸ることができる。
これから生ある限り今までなかった発見と経験に
人生の生きがいを求めて頑張ろう。、



貴ノ花相撲協会退職

2018-09-27 08:49:53 | 日記
貴ノ花親方が相撲協会を退職した。
テレビのワイドショーでは相撲協会を批判する声が多いが
日馬富士事件の時は、貴乃花親方の言動を批判する人が
多うかった。
当時日馬富士が貴乃花部屋の貴の岩関に怪我をさせた
事件で貴ノ花が鳥取県警に被害届をだした。
その結果日馬富士が引退に追い込まれた。
本来であれば相撲仲間同士のことであり。
まして日馬富士と貴ノ岩はモンゴル出身である
日馬富士は示談を求めていたのに
貴ノ花が示談を拒否し、警察に被害届けを出した。
自分の弟子の障害事件があるのを棚に上げて
当時は貴ノ花の人間性を疑った。
結果として日馬富士を引退に追い込んだ
他人の痛みが理解できず、協調性に欠ける人格の
持主のように思った。
巷では発達障害かサイコパスではないかという人もあった。
退職届を出すのに代理人を使って出すのは非常識である
と思うが
自分の親兄弟と絶縁状態であるらしいが
相撲協会を退職すれば孤独になるが本人は
何をするのか?
短絡的な行動としか思えない。




超高齢社会と労働人口減少社会を克服する

2018-06-30 10:56:46 | 日記
2025年には我が国の後期高齢者人口が3500万人となり
3人にひとりが75歳以上の超高齢者社会になる。
その頃吾輩は88歳になる。 それまでこの世に存在するかいささかアヤフイが
この春仕事を引退し毎日が日曜日のストレスのない毎日を過ごしている。
今朝4時30頃に起床し日課にしている20分の体操を済まし、近くの
ゴルフ練習場へでかける。
いつもの顔なじみの仲間がおり、井戸端会議で花が咲く
8時頃帰宅し朝ごはんを食べるがごはんは食べずに200グラムの
ブレーンヨーグルトの中に少しのかぼちゃ、きなこ、すりごま、
プロテインをまぜて食べる。食後にバナナをたべ
アスコルビン酸(ビタミンC)を小さじいっぱいを飲む
お茶の中には食物繊維である難消化性デキストリンを入れて
のんでいる。
昼食はたいていラーメンやパンなどの軽食とフルーツですまし
夕食は業者が配達してくれるおかずのみの弁当と
アンチエージング食といわれる鮭入りご飯を飯茶碗に半分ぐらいと
納豆一個とりんごを半個たべ、食後はテレビを見ながら焼酎のお湯割りに
デキストリンをいれて3~4杯飲む
こんな食生活を約20年間つずけている
80歳をこえてもゴルフができるのはこれらの食生活と運動のおかげで
あると思っている。
特に高齢になると足腰の筋肉が減少し足腰が痛むサルコペニアの症状も無く
元気である。
身体の健康管理もスマホにアプリを入れて毎日の歩数や脈拍数、消化カロリー
などがウエラブル時計に表示できIOTテクノロジーの進歩は早い。
労働人口の減少対策もAIやIOTの技術革新である第4次産業革命が
解決し、高齢者の介護や、医療対策もIOTを使った遠隔介護、
遠隔医療で克服できるか?
生きているうちにそんな社会を観たいが。。。夢におわるかも。。。。






パワハラは日本の文化

2018-06-21 12:58:26 | 日記
最近大学のスポーツ界で指導者たちの選手へのパワハラ問題で
マスコミにたたかれ、テレビのワイドショウでは当事者がいじめ
のような扱いを受けなげかわしい。
最近インバウンドが増加し、日本の伝統技術が評価されており
それらの技術のかげには昔から日本の徒弟制度があり、
親方から代々しごかれていまの伝統技術が残っているように思う。
スポーツ界では忍耐力をつけるために、昔からいろんな形での
シゴキが残っている。
吾輩の若い時は学校で教師に叩かれることは、日常茶飯事であった。
長年会社組織のなかで仕事をしてきたが晩年になって、いつも
感じていたことは最近の若い人の中には、精神力が弱く
乱暴な言葉を浴びせただけでパワハラと主張する。
特にLGBTの問題には管理職は気を遣う。
最近政治家たちの公然たるパワハラ行為にはうんだりする。
とくに野党議員の官僚への上から目線の官僚いじめはひどい。
特に立憲民主党の議員たちの言葉のパワハラ行為はひどい。
国会議員である前に人間としての尊厳を守ってもらいたい。

アメフト悪質タックルに思うこと

2018-06-01 08:59:45 | 日記
日大のアメフト選手が関西学院大との試合で悪質な
反則のタックルをし、相手のクオーターバックに怪我をさせた問題で
連日テレビで当該加害者の学生が監督、コーチの
あいてのクオターバックに怪我をさせても良いからやれとの指示が
あったのでやったとし、当該選手が被害者であるような
報道ぶりにちょっとおかしいなあ。。。と思う。
監督やコーチの指示が反則しても良いから怪我をさせても
良いといったのか疑問が残る。
怪我をさせた時の画像を見ていると、あいてのクオターバックがボールを               投げおわってからの悪質な反則タックルであり
会見の時にもそれを認めていたとおもうが
もし今回の怪我が命に関わる大怪我か死亡に至った場合は
単なる傷害罪ではなく故意による致死傷害罪となり二度と
アメフトができなくなってしまう。
いくら監督やコーチの指示があったとしても最後は自分が
その罪を負わなければならない事ぐらいは20歳の大学生であれば
解るはずである。
もし監督やコーチの指示が反則をしてでもクオーターバックを
潰せとは言ってないとしたら。。。。




仕事を引退

2018-05-05 09:54:31 | 日記
四月で満80歳になり、終生現役の意気込みで仕事を
してきたが、体力も衰えてきたので、思い切って引退
することにした。
昭和20年4月に国民学校初等科に入学し終戦間近の
物資不足で食べ物もろくにない時代で毎日ひもじい思いを
してきた。学校の行き帰りにアメリカの爆撃機B29が
飛んでくると林の中へ逃げ込んだことを思い出す
中学校時代1950年から朝鮮戦争が始まり、アメリカ軍が
駐留し、いわゆる軍需景気が始まった。
おかげで戦後の日本の景気が発展し、高等学校時代になると
神武景気が、大学生時代は岩戸景気がサラリーマン時代は
いざなぎ景気が続き、日本は未曾有の経済発展を遂げたが
平成に入るとまもなく平成不況といわれる大不況が約
十年間続き大学をでても就職が困難な就職氷河時代が
続いた。
はげしい経済状況の中42歳のとき脱サラして個人で
事業を立ち上げ40年近く頑張ってきた。
苦しい時代もあったが仕事も順調に発展し、おかげで息子に後を任せ
引退した。
中学校時代に始まった朝鮮戦争も今年で終戦を迎えるかもしれない
かえりみれば朝鮮戦争が日本の戦後の経済発展を成し遂げた一因
であると思うとなぜか喜べない。