城山三郎の本 この命何をあくせく を読む。
この本の題は島崎藤村の 千曲川旅情のうた
の一節
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなん
この命何を齷齪(アクセク)
明日をのみ思いわずらう
から思いついたとのことである。
我輩も今年古希を迎えて、いくとせ
生きてきた我が人生に思いを寄せながら
のぞかな秋晴れの心境である。
いまさら何をあくせくである。
近年インターネットなどニューメデイアの
急激な進歩により何事もスピードアップしてしまった。
人もみな社会の一部品になったしまったのか・・・・
人間の思いやりや情緒が失われていまったのか・・・・
毎朝テレビをつけると殺人事件のニュースが
飛び込んでくる。
最近の役人の官製談合、裏金作り、年金不祥事
政治家の政治屋的振る舞い、企業人の金儲け主義
食品の偽装製造販売etc・・・・・
本来の使命感や倫理性が失われてしまったように
思えて成らない。
400年前の徳川家康の遺訓が思い浮かぶ
人の一生は
重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを
知らざれば 害 その身に到る
己を責めて、人を責めるな
およばざるは、過ぎたるに優れリ
昔旅行で駿河湾を望む久能山の東照宮へ行った時
家康の墓の石柱にきざまれていた。
世界に例をみない長期徳川政権の礎である。
含蓄のある言葉である。
作者は人生についてある考古学者の言葉を
紹介している。
それは
人生は、己が自分の死に向かって、
傾斜していく
長い過程である。
わが人生もその長い過程のラストランに入ってきた。
我が命なにをあくせくである。
ただ短いか、長いか それが人生