1990年(平成2年)8月夫婦でシンガポールへ行く。
第一日目(8月24日)
大阪空港12時30分シンガポール航空にて17時45分シンガポールチャンギ空港着。チャンギ空が昔来た時よりも大きく立派になっていたのには驚く。入国手続き後オーチャード通りにあるマンダリンホテルにチェックイン、夕食はマンダリンホテルの35階にある北京料理店パインコートで食べる。なにはともあれパインコートでの一番の料理ペキンダックを食べる。パリパリに焼けた鴨の皮がとても香ばしく、いろんな香草を巻いてたべたががおいしかった。食後ホテルの周辺(オーチャード通り)をぶらついたが、16年前(1974年)に初めて来たときよりも大きなビルやホテル、ショッピングセンターなど沢山立ち並び観光客も多くすっかり街並みかわっており、びっくりした。マンダリンホテル泊
第二日目(8月25日)
ホテルで朝食後市内観光にバスで出かける。マーライオン(頭が獅子で胴体が魚の変わ った像)公園周辺やアラブ人街、中国人街、マウントフェーバー(小高い丘の上にあり眺望がよくセントーサ島へのケーブルカーの発着駅がある)などを観光.し昼食は飲茶料理を食べる。その後オーチャード通りのショッピングセンターや伊勢丹などでショッピングしたりお茶を飲んだりしてすごす。夕方友人家族がペナン島からの観光帰路シンガポールに立ち寄りマンダリンホテルでデートする。 マンダリンホテル泊
第 日目(8月26日)
朝からマンダイ蘭園へランの観賞に行く。日本にない素晴らしいランが数多く栽培され見事であった。その後マレーシアのジョホールバルへバスで 行く。シンガポールからマレーシアの最南端の町ジョホールバルに行くにはシンガポールとマレーシアの間に流れるジョホール水道にかかる長い橋(コーズウエー)を渡りマレーシアに入国する。橋の真ん中あたりが国境になっていたように思う。マレーシアへ向かう車で道はかなり渋滞していたが橋を超えたところでマレーシアへの入国手続きを済ます。
マレーシアはシンガポールの街と違いイスラム国家だけあって街の雰囲気がちがう。王宮やイスラム教寺院、王宮博物館などを見学する。王宮博物館に広い日本庭園があり赤い鳥居を見たとき18年前に友人と初めて来た時偶然にも別のツアーで来られていた友人の親父さんにバッタリ出合ったことを思い出しその当時が懐かしくよみがえってくる。夕刻ホテルで入浴後夕食にニュートンサーカスへ行く。ニュートンサカスとはホーカーズセンターのことで屋台村のようなものである。中華料理や中国料理が中心であるが廉くて結構おいしい。昔来たときはまだ舗道のそばに夕方になるとさまだまな屋台を立てていた。その頃はカーパークと呼んでいたように思う。いつの頃からかしらないが固定式の屋台村に変わっていた。カニやエビのチリソースいためがおいしかった。
第四日目(8月27日)
ホテルで朝食後ホテルをチェックアウトしベルカウンターに荷物を預けてクス島へデイクルーズに出かける。このクルーズは世界貿易センターからクス島~セントジョーンズ島を回り約2時間ほどで世界貿易センターへ帰ってくる。乗船してしばらくすると中国のお菓子と飲み物のサービスがあった。
クス島に上陸すると池があり、池の真ん中を中国風の橋がかかり、亀の像があった。亀はクス島の守り神で、クスは中国語で亀の意味である。30分ほど島を散策後セントジョーンズ島へ向かう。この島にはココナッツ、マグローブなどの亜熱帯植物や花がさいており、バンガローやキャンプ場、海水浴場などがありみどりにおおわれた島であった。
クルーズを終えて世界貿易センターのすぐ近くにあるタイガーバーム・ガーデンへ行く。この公園は香港でもおなじみの万能薬タイガーバームで億万長者になった胡文虎が作ったことで有名である。日本の大相撲の若乃花と栃錦の土俵入りの人形があったのには驚く。その後クロコダイルパラダイスでワニの飼育とショーを見学しすぐ近くにある野鳥園のヂュロンバードパークでオームやインコなどの鳥を見学しマンダリホテルへ帰る。
夜シンガポール最後の夕食はマンダリンホテルの39階にある回転展望レストランでシンガポールの夜景を見ながら食べる。深夜1時頃チャンギ空港を飛び立ちまもなく妻のお腹の具合がおかしくなり夕食に食べたものがよくなかたのか食中毒にかかたようだ。スチュアデスに薬をもらい飲むが一向に良くならず頻繁にトイレに通うこととなる。朝8時ごろ大阪空港に到着すると検疫にまわされて空港にしばらく、かんづめとなる。
ようやく検疫治療も終わり昼過ぎ自宅に帰ったが、まもなく保健所から検疫結果が出るまでどこへも外室しないで下さいと言われ2,3日自宅に監禁状態となる。結果単なる食中毒でセキリ等のうたがいもなくほっとする。この旅の最後がいやな記憶に残る旅になった。