後期高齢者の旅とひとりごと

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2010年読書雑感

2011-01-01 00:04:06 | 本と雑誌

今年も多くの本を読んだが、なぜか

以前に読んだ本を又読んだ本が二冊ある。

新渡戸稲造の武士道と井上靖の孔子である。

今年はわが子を放置し死に至らしめる

悲しい事件を代表とし、無差別殺人、

や親子間の悲しい事件が多く、

家族の絆が失われた事件が多くあり、

又、高齢者の所在不明事件は家族制度の

崩壊そのものである。

かってわが国には武士道という伝統精神が

あった、

今から約100年前に新渡戸稲造は、日本の

精神文化を国際社会にむけ、英文で書いたのが

この本である。

井上靖の孔子は今から2500年前の

中国の春秋時代の戦乱の中での亡命と放浪の

中での孔子の思想がいかにして、生まれてきたかを

物語として書いている、

両者とも仁は相手を思う慈悲の心であると

云う。

新渡戸稲造は礼の最高の形態は愛であるといい

礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、

自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせない

ばかりか、自己の利益を求めず,いき憤らず、恨みを

抱かない。

仁の心があれば、おのずと徳が備わる

又、日本人の礼儀のよさは、礼であるといっている。

今日本人のアイデンテイテイが失われている

ように思う。

今一度日本人の倫理観と道徳観を見直すべき

であると思う。


村上春樹と村上龍の性描写

2009-07-20 09:36:48 | 本と雑誌

村上春樹と村上龍の小説を読んで

の第一印象は、二人とも共通して

性描写が多い。

しかし、その表現力の巧みさには舌を巻く。

文学的には非常にすぐれた小説家として、

内外のフアンも多く、いまや売れっ子作家である。

二人とも年齢も近く戦後に幼児期を過ごし

日本の高度経済成長期に作家として

デビュウし、村上春樹はノルウエーの森で

ベストセラー作家となり、村上龍は

限りなく透明に近いブルーで芥川賞をとって、

強烈なデビュウーをはたした。

戦前生まれの作家があまり使はなかった

ストレートな表現、たとえば

ペニス、クリトリス、ヴアギナ、アナル、

おまんこetcを使った表現は、われわれの

世帯では公の場で、あまり使わなかった。

小中学生のフアンも多いと聞くが

その子たちへの影響はどうなのかと

心配になる。


アンネの日記

2008-07-14 20:31:54 | 本と雑誌

アンネの日記(深町真理子訳)を読む

今から半世紀以上前の1942年からの

2年間にわたるドイツ系ユダヤ人一家の次女

であるアンネフランクの日記である。

当時はまだ13歳から15歳になる思春期で

ナチスからの迫害からのがれてオランダの

隠れ家での他の家族8人との共同生活での

出来事や思春期の性のめだめと心の葛藤について

14,5歳の少女と思えない表現力で書いている。

特に両親をはじめ他の家族の人たちへの

洞察力や自分への分析力については

本当に本人が書いたのか疑いたくなる。

自由の無い閉鎖的な生活で、つねに将来への

希望と夢をもちつずけて差別の無い社会を夢見

将来は小説家を志望し、社会に貢献できる

人になりたいと願う

一乙女のけなげな生き方に感動する。


武士道

2007-06-02 12:29:05 | 本と雑誌

かねてから読みたいと思っていた新渡戸稲造の

武士道を読んだ。

この本は明治32年新渡戸稲造がアメリカにいた

ときに英文で書いた本であるが、当時日本は維新後

文明開化の時代であった。

そこで日本人を世界の人に理解してもらうために

日本人の伝統的精神 思想 道徳律 を武士道という

名の下に世界の人達に向けて書いた本である。

この本は当時世界各国で翻訳されて、ベストセラーになり、

アメリカ大統領のルーズベルトもこの本を読んで 

感動したとのことである。

今日本は国際化し、西洋文明の洪水のなかで、経済至上主義化し

日本人はエコノミックアニマルと化してしまった。

武士道とは義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義の道徳律

であるといっている。

簡単に言えば他人にはやさしく、正直であり、嘘をつかず、

卑怯な事をせず、弱い物いじめせず、約束は守り、

親孝行をし、家族仲良くといった日本人固有の良心であり

モラルであるようだ。

いまこれらの武士道精神に欠けた人が多くなったように

思う。

武士道はただ知識を重んじるものではなく、重んじる

ものは行動であり、知識はそれ自体が目的とはならず、

あくまで知恵を得るための、手段でなければならない、と

論じている。

最近政府の教育再生会議で、いままでの知識偏重教育から

徳育、情緒教育の重要性が討議されているらしいが

一日も早い実現を期待したい。

毎日毎日嫌な事件や事故が報道され、先が思いやられる。

日本の伝統文化といえる武士道の倫理観 道徳観の欠如

が今の金権体質を作ってしまったように思う。

長年5000円札で見守っていた新渡戸稲造の姿が

消えて久しい。墓場の陰で泣いているかも・・・・

今の時代になっても、新鮮な輝きを見せる、世界に誇りうる

日本人の伝統文化であり美学とも言える

武士道精神が世界に平和をもたらし

世界の人から尊敬される美しい日本を望みたい。


友愛数と完全数

2007-04-14 12:02:08 | 本と雑誌

藤原正彦/小川洋子の{世のも美しい数学入門}読んだ。

藤原先生は数学は永遠の真理のもつ美しさであるとおっしゃる。

たとえば、三角形の内角の和が180度であるということ自体が、素晴らしく、美しい、と

どんな形の三角形も、内角の和は180度であり、未来永劫かわることがない真理であり

永遠の愛を神の前で誓っても、離婚することもあり、本物の永遠は数学のなかにあるという。

その他、数学は難しいものとばかりおもっていたが、この本を読んで今まで知らなかった事が、良くわかり興味深く読めた。

たとえば、0はインド人が発見し、ヨーロッパへ伝わり、アラビア数字となったが、もとはインド数字であるらしい。

インド人は数字に強いのは、小さい時から二桁の掛け算を暗誦し、勉強していると、以前どこかで聞いたことがあるが、今コンピューターのプログラマーが、世界一であるのもうなずける。

友愛数と完全数については、今まで知らなかった

220の自身を除く約数の合計が284で、284の自身を除く約数の合計が220であるので、220と284は友愛数である。

220: 1+2+4+5+10+11+20+22+P44+55+110=284

284: 1+2+4+71+142=220

現代65組ほど発見されているらしいが、一番小さな組み合わせが、220と284である。

完全数というのは、約数を全部足すと、自分自身になる数である。

6;1+2+3=6

28:1+2+4+7+14=28

元阪神の江夏投手の背番号が、完全数28であったことを、小川さんが発見したとのこと。

興味深く読ませてもらった。


山になぜ登るのか

2007-03-21 10:02:06 | 本と雑誌

日本の山岳小説の第一人者である新田次郎の社会人アルピニストの三部作 孤高の人 栄光の岸壁 銀嶺の人 を読んだ

新田次郎氏はこの三部作でなぜ山に登るのか の答えを読者に求めておられる。

若きアルピニストにとっては山は生き甲斐であり、人生のすべてであるとしか言いようがない。過酷な自然との闘い ロッククライミングはまさに格闘技である。

作者は昔気象庁に勤務され富士山の測候所にもおられたこともあり山の気象に詳しく山の怖さがひしひしとつたわってくる。山での吹雪や雨かぜのときの対処、表層なだれの怖さ、落石による危険、落雷による危険など臨場感あふれる小説である。

山は過酷である一旦牙をむくと人を寄せ付けない

昨今中高齢者の山登りが増えているようだがちょっとした不注意が不幸をまねく、ただ健康作りのための気楽な山登りは慎むべきである。それなりの準備をして登って貰いたいものだ。

山の気候は急変するのが常である。何年かまえの11月に私が上高地へ行った時前日は暖かい日であったが一夜にして天気が急変し雪となり軽装で穂高に登った人が寒さで死亡する事故があった 新田次郎の山岳小説は山での遭難のようすが詳しくかかれていて

山へ行かれる人はぜひ読んでほしい。

きしくも今回北海道積丹岳で表層なだれが発生し不幸な遭難の報に接し、あらためて

冬山の怖さを思い知る。

栄光の岸壁のなかで表層なだれのことが詳しく書いておられるが、その知識を少しでも知っておればこの遭難は防げたかも知れない、残念である。