つまがリズム

きままな、ひとりごと

広島旅行 その3(安芸の宮島)

2015年08月04日 | ウォーキング
平成27年8月4日(火)

8月1日から3日まで夫と広島旅行に行った。

2日目は、安芸の宮島。

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満潮と干潮、そして、朝と昼と夜。

海からみる、そして山からみる、大鳥居と本殿。

さまざまな宮島を感じることができた。









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庭の風景

2015年04月22日 | ウォーキング
平成27年4月22日(水)

庭の風景3つ

<すずらん>

誰かからもらったすずらん、今年もきれいに咲く。

<コンポストじゃがいも>

台所ゴミを庭のコンポストに捨てると、あら、不思議。
毎年じゃがいもが芽をだし、育ち、秋にはじゃがいも収穫なのデス。
再利用じゃがいもは小ぶりながらも、おいしい。

<ねている犬>

この日は少し暑かったのか、日陰でスヤスヤ。
寝顔かわいいね、まあ、起きているときもかわいいけれど・・


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鉄砲小路散策

2014年11月23日 | ウォーキング
平成26年11月23日(日)
勤労感謝の日

夫とJRウォーキングで、『鉄砲小路と菊陽町ぶら~り散策』に出かけた。
天気も良く、コースも平坦短距離で、楽ちん!
途中の鉄砲小路では、子供みこしも出て、盛り上げてくれた。


↑(写真は鉄砲小路の様子)
 祝日なので、どのお宅も国旗があげられていた。この写真ではわかりづらいですが、生垣が見事でした。
隠れたおもしろスポットを歩く、JRウォーキング。
スタッフのみなさん、ありがとう!

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(鉄砲小路のメモ)
肥後、細川忠利公の命によって創設された地筒の村。
当時、この辺りは原野であり、防衛上の理由から開拓にとりかかり完成まで22年ほどかかった。
しばらくして再度忠利公がこの地を訪れた時、まだ荒れている土地をご覧になって「あそこに一小路立て鉄砲百艇を備えるべきである」と言われた。
ここは、お城から4~5里以内にあり、しかも鬼門なので鉄砲小路創設の運びとなった。

鉄砲小路ができたのは1635年。
創設の責任者は、鳥栖善左衛門。
先祖は、福島県の出身であるが、頼朝の奥州征伐のあと愛知県に謹慎になる。
ところがその末孫、大脇次郎左衛門は加藤氏の家臣となる。
その子、忠衛門が玉名の郡代を退任し合志市に移り住んでいたときに、忠衛門の子、鳥栖善左衛門に忠利公より上意が下った。

鉄砲小路の人々は普段は農耕に従事し砲術を初めとする武芸の鍛錬に励んだ。また、月に5日間は熊本のお城勤めがあった。
鉄砲小路が参加した戦いは、島原の乱、長州征伐、五稜郭の戦い、西南の役などがある。
また、参勤交にお供をした。

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