平成26年11月23日(日)
勤労感謝の日
夫とJRウォーキングで、『鉄砲小路と菊陽町ぶら~り散策』に出かけた。
天気も良く、コースも平坦短距離で、楽ちん!
途中の鉄砲小路では、子供みこしも出て、盛り上げてくれた。
↑(写真は鉄砲小路の様子)
祝日なので、どのお宅も国旗があげられていた。この写真ではわかりづらいですが、生垣が見事でした。
隠れたおもしろスポットを歩く、JRウォーキング。
スタッフのみなさん、ありがとう!
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(鉄砲小路のメモ)
肥後、細川忠利公の命によって創設された地筒の村。
当時、この辺りは原野であり、防衛上の理由から開拓にとりかかり完成まで22年ほどかかった。
しばらくして再度忠利公がこの地を訪れた時、まだ荒れている土地をご覧になって「あそこに一小路立て鉄砲百艇を備えるべきである」と言われた。
ここは、お城から4~5里以内にあり、しかも鬼門なので鉄砲小路創設の運びとなった。
鉄砲小路ができたのは1635年。
創設の責任者は、鳥栖善左衛門。
先祖は、福島県の出身であるが、頼朝の奥州征伐のあと愛知県に謹慎になる。
ところがその末孫、大脇次郎左衛門は加藤氏の家臣となる。
その子、忠衛門が玉名の郡代を退任し合志市に移り住んでいたときに、忠衛門の子、鳥栖善左衛門に忠利公より上意が下った。
鉄砲小路の人々は普段は農耕に従事し砲術を初めとする武芸の鍛錬に励んだ。また、月に5日間は熊本のお城勤めがあった。
鉄砲小路が参加した戦いは、島原の乱、長州征伐、五稜郭の戦い、西南の役などがある。
また、参勤交にお供をした。