川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

イエスは剣をもたらすために来た

2024年11月22日 | 宗教
イエス・キリストは何のためにこの世に来た?

愛をもたらすため?
平和をもたらすため?

否。

イエスは、この世に、をもたらすために来た。

 マタイ10:34

イエスは、この世に、火と、分裂をもたらすために来た。

 ルカ12:49−51

____________

これらの福音書は、信仰の厳しさを求めている。

生半可な気持ちで宗教を捉えちゃいけないよ。
愛とか平和とか唱えるだけでいいわけじゃないよ。

家族を捨て、仕事を捨て、人間関係を捨て、何もかも捨てる覚悟がないと、ほんとうの信仰の道に入ることはできないよ。

世俗を捨て、出世を諦め、幸せを蹴っ飛ばし、安逸を吹き飛ばさないと、本当の平和は訪れないし、本当の愛は求めることができないよ。

愛とか平和とかキレイゴトを言っている場合じゃないよ。

剣と、火と、分裂があってこそ、平和も愛も勝ち取れるんだよ。

____________

この辺のマタイとかルカの「剣」「火」のエピソードというか、キリスト教の本質は、執行草舟が大好きなところ。彼の座右の銘的に扱われている。

 
人生は、幸せとか愛とか平和を求めるところではない。

剣を持って、火の情熱で、夢に向かって、死ぬまで懸命に戦い続ける場所なんだよ。

2000年前に、イエスはそう言っていた。

2000年経って、そのイエスの厳しさ、宗教の荘重さ、信仰の崇高性が失われている。

みんなに好かれる宗教。
お金儲けにも使える宗教。
出世にもビジネスにも役立つ宗教。
誰でも安心できる宗教。

だいぶ変わったもんですなぁ。

イエスがもたらした「剣」は、何を斬るためのものなのだろう。

そんなことを考えてみるのもいい。

私の答えは、「自分の弱い心」ですかね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「不良」の方向性

2024年11月22日 | 社会・時事など
不良の方向性が変わった。

高度経済成長時代。みんな上を向いていた。坂の上の雲を求めていた。時代が熱を帯びていた。

そんな昭和40年代、「不良」は、上昇気流の世間に抗して、下へ向いていた。みんなが上に行くなら俺はグレて下に行く。勉強しない、規則に従わない、突っ張って粋がって反体制で、、、政治の嵐から逃げてノンポリで、、

不良は「ドロップ」アウトだった。下に降りる。堕ちる。熱がない。冷めている。斜に構えている。

しかし。

それから50年経って、時代は「下方」修正している。みんな下を向いている。頑張るのはダサいよ。残業やめようよ。被害者救済。子育てが一番大事。出世なんか絶対ヤダだね。お金要らない。クルマも要らない。彼女も要らない。横並びがいい。目立ちたくない。冷めていて、醒めている。

そんな令和日本では、むしろ不良は「上を向く」。突き出る。

みんなが下を向くなら、それに反発する反骨精神のある者は、上を向く。権力思考。意識高い系。浮いちゃう。

ドロップアウトではなく、スタンドアウト(stand out)するのが不良。目立つのが不良。

政治に勤しんだり、哲学とかスピリチュアルなことを熱く語っちゃう。政治なんかやるやつは、ヤバい人。アツい人間は、イタい。
____________

かように、50年経って、「不良」の向かうベクトルが変わってきている。180度、変わった。

執行草舟が、「不良、反骨、野蛮、野生」的なことが高貴さ・崇高さにつながる、って書いている。


野蛮と高貴ってのは、水と油っぽく聞こえるけど、高貴に勇気は必須だから、あながち離れてもいない。 

みんなが冷めている今、不良的に、野蛮性、野生味を持つことが、高貴さに繋がりやすくなっている。

ちょっと抽象的で具体例に欠けますが、取り急ぎ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「そこそこ」しかやらない令和日本

2024年11月22日 | 社会・時事など
メザシの土光敏夫さんは、1965年に68歳で東芝社長に就任した時、

一般社員は、これまでより3倍頭を使え。
重役は10倍働け。
私はそれ以上に働く!

と宣言した。

 ※ 過去記事(ファミマ澤田さんのこと)

____________

60年前の話。60年後の今は、もうこういう経営者は出てこない。出てきたらパワハラ呼ばわりされる。

時代は変わりました。

上も、下も、「そこそこ」しか仕事しない。残業もできない。ゆるブラック。

「そこまで」やることはできない。

だから、「感化力」が育たない。上司に感化されて部下が伸びるということがなくなった。

感化力は、犠牲になる覚悟から生まれる。

上司が、犠牲になって、人よりたくさん、働いている。
それに感化されて、部下が育ってきた。

土光さんすごいな、大企業の大社長なのに、メザシ食って、人の10倍働いているんだ。

そういう「感化」の力が、土光さんにはあった。

そういう場面、そういう人間関係は、もうなくなった。

____________

コンプライアンスが人間を殺した。
法律が人間を殺した。

こう言えるような時代になってしまった。

45歳まで毎週一度以上は徹夜をしていた自分は、ちょっと寂しく思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の好きな聖句 -生きようとする者は、死ぬ

2024年11月22日 | 人生

Matthew 16:25 (NIV):

“For whoever wants to save their life will lose it, but whoever loses their life for me will find it.”


自分の命を救おうと望む者は、それを失う
(フレンチェスコ訳)

…執行草舟がよく引用する、荘子の、

 生を殺す者は死せず、
 生を生かす者は生きず。 

ってことですね。自分のことを考えている奴は死後に忘れられる。

 ※ マルコ8:35、ルカ9:24、17:33、マタイ10:39、ヨハネ12:25と全く同じ。全ての福音書に、中には複数回、登場する。

 私の英語の聖書解説には 
 No other saying of Jesus is given such emphasis.とある。

イエスの言葉で、この言葉ほど強調される言葉はない。

____________
以下はChatGPTから。
 

This verse is part of Jesus’ teaching to His disciples about the cost of discipleship.

 It emphasizes the paradox that true life is found not in self-preservation or worldly gain, but in surrendering oneself to God’s will and purpose.

 It calls for self-sacrifice and a willingness to follow Christ, even at great personal cost, as the path to eternal life and true fulfillment.


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする