先程の私のブログの、
人は見ようとするものしか見ない(カエサル)
とか
客観なんてない、全ては主観(小林秀雄)
って言葉 こちら からすると、宗教って、要するに
世の中を明るく見るフィルター
だなと思う。
どんな挫折、不運、不幸、悲惨も、あるフィルターを通してみれば、それなりに価値あるものに。
普通に(世俗的に)考えれば、不幸でしか無いものを、なんとかして意義あるプラスのポジティブなものに、見方を変える。
そのフィルターの一つが、宗教。
哲学なり人生観なり信念がその「宗教」のフィルター的役割を代替することもあるけど(私が特定宗教に入信しないのは、これが原因)、おそらく多くの場合、宗教が最もそのフィルター的役割を果たす。
だから宗教は「世を明るく見る媒体」なんですね。色眼鏡。
悲惨な世の中を素晴らしい世の中に見せる色眼鏡
それが宗教だと言える。
ちょっと宗教寄りに(信心深い方にリップサービス的に)言えば、
魔法の色眼鏡
それが宗教。
一方、これを、悪意を持って、揚げ足取り的に非難すると、
マインド・コントロール
ってことになる。
ある人が見れば、魔法の色眼鏡。
ある人が見れば、マインド・コントロール。
これこそまさに、「客観なんてない。主観しかない」「美しい花がある。花の美しさってものはない」っていう小林秀雄が考えていること。
※ なお、小林は、私の本でも書きましたが、母親が入った宗教(たしか真光)に入信していた。
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30年前、「宗教ってトランキライザー(精神安定剤)だな」って思った。今はそう表現することはない。もう少しプラスに宗教を考えている。
トランキライザーと言うのか、魔法の色眼鏡と言うのか、「よく見えるコンタクトレンズ」と言うのか、「見えないものが見えるレンズ」と言うのか。
はたまた、反宗教の唯物論者から見ると、「濁ったサングラス」であり、「洗脳」であり、「トチ狂ったマインド・コントロール」。
宗教をどう見るか。
人により様々。
「美しい花がある。花の美しさってものはない」っていう小林秀雄の有名な言葉の、意味がようやくわかってきました。
Amazonでググったら以下の本がヒット。
得るところがあればまたご報告差し上げます。