川塵録

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コタバル上陸につき、日本軍は宣戦布告すらしていない

2024年12月05日 | 歴史
日本軍は真珠湾攻撃を宣戦布告していないと批判されていますが、同じ12月8日にマレー半島のコタバルに上陸したことについても、イギリス軍に対して宣戦布告していないのですよね?

ChatGPT

その通りです。

日本軍は、真珠湾攻撃と同時期にマレー半島への侵攻(コタバル上陸)も開始しましたが、この際も事前にイギリスに対する正式な宣戦布告は行われていませんでした。この点は、真珠湾攻撃に対する批判と同様に国際法的な問題が指摘されています。

宣戦布告の遅れについて

当時、日本政府はアメリカおよびイギリスとの開戦を決意し、1941年12月7日(日本時間12月8日)の攻撃開始に先立って、両国に対する「通告」を行う予定でした。この通告は、事実上の宣戦布告に相当する内容を含んでいましたが、暗号解読や翻訳作業の遅れなどの理由で、アメリカには真珠湾攻撃開始後に届きました。

一方、イギリスにはそもそも明確な宣戦布告が行われないまま、マレー半島侵攻が始まりました。

国際法との関連

当時の国際法(1907年のハーグ陸戦条約)では、敵対行為を開始する前に宣戦布告や最後通牒を行うことが義務付けられていました。日本のこれらの行為はこの規定に違反しており、戦後の東京裁判においても批判の対象となりました。

英国への影響

コタバル上陸は、マレー作戦(のちのシンガポール陥落を含む)の第一歩でした。宣戦布告のないまま奇襲を受けたイギリス軍にとって、この攻撃は大きな衝撃となり、日本軍の迅速な南進政策に拍車をかける結果となりました。

結論

日本軍がアメリカやイギリスに対して宣戦布告を行わずに攻撃を開始したことは、戦術的には奇襲の効果を高めた一方で、国際的には非難を浴びる要因となり、戦後の裁判や歴史的評価に影響を及ぼしました。

____________

アメリカのプロパガンダというか、対日参戦を正当化するため? に、大々的に、真珠湾攻撃をTrecherous attackと非難。

82年経った今も、真珠湾攻撃のみが語られ、その数時間前に行ったコタバル上陸は忘れられている。
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