後ろ指差される覚悟がなければ勇気は出ない。
勇気はどうやって出る?
企業不正・不祥事の文脈で、10年くらい、そんなことを研究してきた。
Speak upしろよ、不正には声を挙げよ、と掛け声だけ上げても、なかなか勇気は出ない。
執行草舟さんが、「不幸になる覚悟がないと勇気は出ない」とおっしゃっていて、刺さった。
たしかに。
世俗的に恵まれよう、出世しよう、給料上げよう、上司に好かれよう、って俗物的な「保身」があると、勇気は出ない。
そういう世俗的価値よりも、大事なことがある。
真善美。真実。正義。美しさ。
そういう精神的、形而上的な価値を重視するから、勇気が出る。
要するに、「後ろ指を差される覚悟」がないと、勇気は出ない。
「不幸になる」ってのは、やや抽象的。イメージしづらい。遠い未来の話。
その不幸云々の前に、空気を破り、忖度せず、正義の声を挙げたら、後ろ指を差される。白眼視される。
その覚悟がないと、勇気は出ない。
勇気ってのは、千の白眼を一人睨み返す気概、ですね。