狐の日記帳

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『地理がわかれば陣形と合戦がわかる 戦国の地政学』/乃至政彦

2017年12月04日 12時14分06秒 | 小説・本に関する日記





 12月4日の夜は、乃至政彦 著『地理がわかれば陣形と合戦がわかる 戦国の地政学』を読んでいました。

 見出しを拾っていきますと
 
  第一章 地理的制約と各国大名の長期戦略
   峠を越え遠征を繰り返した上杉謙信はなぜ関東に領土を広げられなかったのか?
   地方の小領主から一代で大大名へ 毛利元就の飛躍を可能にした要因
   有力大名に囲まれいかに生き残るか 遠江・三河の境界領主たちの戦略
   北条氏康はなぜ一介の小城・関宿城に執着し続けたのか?
   長宗我部元親の四国統一戦の拠点 白地城の地理的にみる重要性
   なぜ毛利家が落ちた将軍を庇護した? 義昭が亡命先に西を選んだ理由とは

  第二章 布陣と地形図から合戦を読み解く
   川中島の戦い 『甲陽軍鑑』からひも解く謎多き第四次川中島合戦の真相
   上田城の戦い 地元ならではの地理的知識を最大限活用した知略を徹底分析
   姉川の戦い 陣地は戦況を一望できる丘陵 十三段の構えは存在しなかった?
   厳島の戦い 大勝利の要因は謀略のみにあらず

  第三章 〝戦国の奇跡〟を地政学で分析
   唐沢山城の戦い 北条軍3万5000vs謙信軍40騎! 奇跡の敵中突破の真相をひも解く
   本能寺の変 明智を倒すべく81キロを一日で走破!! 中国大返しを可能にした三条件とは
   沖田畷の戦い 龍造寺軍はなぜ〝釣り野伏せ〟にまんまとかかってしまったのか?
   さらさ越え 真冬の北アルプスを徒歩で縦断!! 一世一代の決断は無謀か否か!?
   桶狭間の戦い 義元が着陣した桶狭間は通説とは異なり戦略的に理にかなった場所だった
   桶狭間の戦い 最前線で地理と天候を読む信長VS義元の戦術の妙

  第四章 関ヶ原の戦いの真相はこうだった
   天下分け目の決戦の推移を資料と地形からつぶさに読み解く
   〝大阪方の勝利は必定なり〟は嘘? メッケルの慧眼は陣形論で覆る
   毛利秀元の大軍・1万5000はなぜ南宮山から動かなかったのか?
   秀秋の本当の寝返りタイミングと戦いの推移へ与えたその影響
   三成はなぜ一度は籠った大垣城を捨て野戦を選んだのか?
   本戦の長期化を前提とした稀代の策士・官兵衛の九州平定戦略

  第五章 戦国の〝地政学的〟基礎知識
   生産力 天下人になれるかは出生地次第? 重要なのは支配地の広さより石高
   情報伝達 電話もメールもない戦国時代における遠方への連絡手段と到達日数の実態
   行軍速度 戦国時代の軍勢は一日でどれくらいの距離を移動できた?
   輸送 陸路より迅速かつ大量に輸送 海路を通して見る戦国日本




 地政学について詳しく述べられているわけではなくネタとしても目新しいものでも斬新なものでもありません。
 各章が短くコンパクトに論を展開しているのでぱらぱらりと軽く読む読み物として楽しい構成となっております。
 地図を使って分かりやすく論点を述べています。

 経済力が他より圧倒的に高ければ他を圧倒できる。経済力が拮抗していれば知恵を絞る。そして経済力は地理的要因が大きい……。


 面白かったですよ。
 楽しめました。

コメント
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