狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

Time Won't Wait

2020年04月04日 22時37分27秒 | 曲名がタイトルの日記
 本日4月4日は、海賊フランシス・ドレークがエリザベス女王からナイトの爵位を受けた日で、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが将軍連の反乱により退位させられた日で、ラフカディオ・ハーンが来日した日で、マーティン・ルーサー・キングが暗殺された日で、沖縄返還交渉の機密を漏洩した容疑で毎日新聞社の西山太吉記者らが逮捕された日で、ビル・ゲイツとポール・アレンがニューメキシコ州アルバカーキにMicrosoftを設立した日で、パキスタン前首相ズルフィカール・アリー・ブットーが処刑された日で、あんぱんの日で、ジョナサン・ジョースターのお誕生日で、天沢勇子のお誕生日で、ヤン・ウェンリーのお誕生日です。

 本日の倉敷は晴れでありました。
 最高気温は十九度。最低気温は七度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。





 4月になって春本番の今日この頃。皆様、如何お過ごしでしょうか?
 倉敷駅前商店街の中心で「でびるうぃ~んぐ!」と叫びたい獣。狐でございます。

 でびるうぃ~んぐ! と叫んだところで羽根が生えて空が飛べるようになるわけではないのですが。
 そして狐は高所恐怖症のけものなので羽根が生えて空が飛べたとしてもお空の彼方に飛んで行ってしまうといふことはないのですが。
 時々、狐は何かを失ってしまってもう取り戻せなくなってしまっているのではないかと根拠のない不安に陥ることがあるのです。
 或いは何かを忘れてしまっていて取り返しのつかない状態になってるのではないかと根拠のない不安に陥ることがあるのです。
 ぽんこつでぼんくらで怠惰な性でのほほんと深く物事を考えない質なので普段はそんなことは考えが浮かばないのですが、時々、妙に不安に陥ったりするのです。
 そんな時はつい倉敷駅前商店街の中心で「でびるうぃ~んぐ!」と叫びたくなるのです。
 お空を飛んで何処かに行ってしまいたい。と思うのです。
 でびるうぃ~んぐ! と叫んだところで羽根が生えて空が飛べるようになるわけではないのですが。
 そして狐は高所恐怖症のけものなので羽根が生えて空が飛べたとしてもお空の彼方に飛んで行ってしまうといふことはないのですが。
 時々、狐は何かを失ってしまってもう取り戻せなくなってしまっているのではないかと根拠のない不安に陥ることがあるのです。
 或いは何かを忘れてしまっていて取り返しのつかない状態になってるのではないかと根拠のない不安に陥ることがあるのです。
 ぽんこつでぼんくらで怠惰な性でのほほんと深く物事を考えない質なので普段はそんなことは考えが浮かばないのですが、時々、妙に不安に陥ったりするのです。
 そんな時はつい倉敷駅前商店街の中心で「でびるうぃ~んぐ!」と叫びたくなるのです。
 お空を飛んで何処かに行ってしまいたい。と思うのです。
 でびるうぃ~んぐ! と叫んだところで羽根が生えて空が飛べるようになるわけではないのですが。
 そして狐は高所恐怖症のけものなので羽根が生えて空が飛べたとしてもお空の彼方に飛んで行ってしまうといふことはないのですが。
 時々、狐は何かを失ってしまってもう取り戻せなくなってしまっているのではないかと根拠のない不安に陥ることがあるのです。
 或いは何かを忘れてしまっていて取り返しのつかない状態になってるのではないかと根拠のない不安に陥ることがあるのです。
 ぽんこつでぼんくらで怠惰な性でのほほんと深く物事を考えない質なので普段はそんなことは考えが浮かばないのですが、時々、妙に不安に陥ったりするのです。
 そんな時はつい倉敷駅前商店街の中心で「でびるうぃ~んぐ!」と叫びたくなるのです。

 私は御師匠様から「ループは3回」といつも言われているので3回繰り返してみました。
 失礼いたしました。


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『三国志』/吉川英治

2020年04月04日 21時05分38秒 | 小説・本に関する日記
 昨日の夜は、吉川英治の小説『三国志』を一気読みで読み返しておりました。

 吉川英治の『三国志』は、日本では三国志の定番本。
 吉川英治の『三国志』の影響を排した三国志を多くの作家さんが書こうとしてトライしているけど、でも、吉川英治の『三国志』があまりにも偉大すぎて、ほとんど上手くいっていない、ような気がします。
 凄いなぁ……。

 『三国志演技』を基にしていて、実際に起こった(とされる)出来事とはかなり違うけど、小説なので無問題。
 物語と歴史は違います。物語は楽しむものなのです。
 物語を歴史書と同列に扱う必要はないし、してはいけない。

 ま、このあたりは虚構と現実の問題。
 昔から虚構と現実の問題は存在していて、この問題は現代のゲームの専売特許って訳ではないのです。

 むむむ。話がずれちゃった。

 この『三国志』は、膨大なキャラクターが出てきて、国家の興亡を描いた壮大な物語。
 美しくて格調高くて流麗な文章。
 うっとりしてしまいました。


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The Revealing Science of God (Dance of the Dawn)

2020年04月04日 18時51分13秒 | 曲名がタイトルの日記
 今回ご紹介いたしますのは、イエスのアルバム『海洋地形学の物語』です。

 収録されている曲は、
 1 神の啓示 - The Revealing Science of God (Dance of the Dawn)
 2 追憶 - The Remembering (High the Memory)
 3 古代文明 - The Ancient (Giants under the Sun)
 4 儀式 - Ritual (Nous sommes du soleil)
  の4曲です。

 各曲とも約20分の大作。約20分の大作の曲を4曲並べるというかなりふざけた編成のアルバムです。
 約20分の曲が4曲並んでいるだけでも身構えてしまうのですが、曲の歌詞も難解で初見で理解しようとするとよほどのお方でない限り頭がパンクします。
 初期のイエスの特徴である緊迫感に溢れた疾走感はありません。

 私は最初にこのアルバムを聴いた時は「あかん。これはあかん。分からん」と匙をお空の彼方に高く高く放り投げたものでした。
 しばらく経って再びこのアルバムを聴いてみると「これはこれでYESじゃん」と思い直したものです。
 最初は頭で理解しようとして匙を投げ、2回目は何も考えずにリラックスして聴いていたのです。
 リラックスして聴いていると物凄く心地良いアルバムです。

 雄大で神秘的で優雅で美しい。
 自然と一体化したような不思議な心地良い気分に浸れます。

 曲のメッセージを正確に掴むのは難しいですが、よいじゃん、はっきりと分からなくても。
 正確に掴んだほうがより深く楽しめるのかもしれませんが、心地良い気分に浸れるので私は今のところはそれだけで充分です。


 お勧めはしませんが、このアルバムを聴いて匙を投げたお方はもう一度リラックスしてこのアルバムを聴いてみては如何? と思う次第であるのです。

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自分独自のスタイルを持つということは、どんな事柄にせよ、大事なことさ。

2020年04月04日 16時51分11秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラットフォームの篠田 英朗氏の『コロナ対策の「日本モデル」〜 マスクと伊達メガネ』と題した記事の転載であります。



      『コロナ対策の「日本モデル」〜 マスクと伊達メガネ』


 安倍首相の布マスクの配布が話題を呼んでいる。
 マスクは自分を守ることにはあまり役立たない、と朝日新聞は強調している(参照:青山雅幸 衆議院議員ブログ「朝日新聞のフェイクニュース」)。
 ところがもう国民は皆知っている。
 マスクの効用は、自分の飛沫を拡散させないようにすることだ、と。
 つまり、日本の首相は、自己防衛手段ではなく、他者防衛手段を、まず先行して国民に配るのである。
 非常に興味深い。
 「他人に迷惑をかけない」ことを美徳とする日本の文化に根差したアプローチなのか。
 海外にも「日本モデル」の象徴として宣伝したい。
 軌を一にして、トランプ大統領がマスクの着用を促す発言をしたというニュースや、米疾病対策センター(CDC)もマスクを普及させようとしているというニュース(参照:BBCニュース「米保健当局、外出時の布製マスク着用を検討 米紙が内部資料入手」)、さらにはニューヨクタイムズが紙面を切り抜いてマスクを作る型枠つきの記事を出したというニュースが入ってきた(参照:朝日新聞デジタル「NYタイムズ、マスク型枠を紙面に掲載 品不足に一手」)。
 また、ヨーロッパでも同じ動きがあることが伝えられている(参照:「In ‘Big Adjustment,’ Some European Countries Push For Residents To Wear Masks」)。
 これだけの災害になると、他者を守ることが、社会を守り、自分を守ることにつながる、ということを、皆が肌身を持って感じ始めている。
 西洋流に言えば、「社会契約」の論理である。「私はお前を殺さない、だからお前も私を殺すな」という考え方が、ホッブズ以来の近代国家成立を説明する「社会契約」の原理である。
 いささか大げさだが、非常時においてマスクに「社会契約」の意味があることをアメリカ人が気づき始めたというのは、非常に興味深い。
 昨日の文章で書いたが、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の理解によれば、「日本モデル」は、クラスター対策・医療体制・行動変容の三つによって成り立っている。

 マスクの使用を奨励して、他人を守ることを通じて自分を守ろうと呼びかけるのは、国民の「行動変容」を促すことだ。
 また医療機関に使い捨てマスクを優先配布するために一般世帯には布マスクを配布するのは、「医療体制」を守る行為でもある。
 クラスターの発生を防げば、もちろん「クラスター対策班」を助けられる。
 ところで、マスクで思うのは、コンビニのレジ係である。
 最近は皆、マスクをつけてくれている。
 ところが時折、だからこそ一層いつもよりも大きな声で「〇〇円です、おつりは〇〇円です、〇〇を使いますか」と「不要不急」な事柄を、ものすごくハキハキと発声してくれる方がいる。
 大変に申し訳ないのだが、危険な行為である。
 専門家会議『分析・提言』は、「近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うこと」(9頁)を危険な行為としている。
 私は普段はメガネをつけないのだが、最近は外出の際には伊達メガネをしている。
 飛沫感染から目を守るためである。
 新型コロナウイルスは、目の粘膜からも感染する。
 目でなければ、コロナ感染は自己努力で相当に防げるはずで、たとえば肌の表面にウイルスが付着していても、石鹸で洗えば取り除ける。
 ところが、自己防衛がほぼ不可能なのは、他人が自分の目に飛沫を浴びせた時だ。
 一瞬だ。これをやられたら、どんなに気を付けていても、感染を防げない。
 だからこそ「外出するな」の前の「日本モデル」は、「大声を出すな」なのである。
(ちなみに私は、日本人のメガネ着用率の高さが、日本の感染者数の抑制に関係していると秘かに推察している。)
 マスクは他者防衛、メガネが自己防衛である。不思議に聞こえるかもしれないが、これが「日本モデル」だ。



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