狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

八重桜(ヤエザクラ)その10。

2020年04月21日 23時53分14秒 | お花に関する日記
 本日4月21日は、ロムルスが都市国家ローマの初代王に即位した日で、元慶の乱が始まった日で、エルナン・コルテスがメキシコ本土に上陸した日で、パーニーパトの戦いでバーブルの軍がローディー朝の軍を破った日で、千利休が聚楽第で切腹した日で、赤穂藩主・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷に及んだ日で、『レッドバロン』リヒトホーフェンが搭乗していたフォッカーDr.Iが撃墜された日で、東京市内4か所に自動式公衆電話を設置した日で、渋谷駅前の忠犬ハチ公像が完成して除幕式が挙行された日で、デイリー・メール紙がネス湖で撮影されたネッシーの写真を掲載(のちの1994年にこれがトリック写真であったと撮影者が白状する)した日で、日本で公職追放令が廃止されて最後まで追放解除にならなかった5700人の公職追放が解除された日で、造船疑獄で犬養健法務大臣が指揮権を発動して佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を含めた強制捜査に対し逮捕中止と任意捜査への切り替えを検事総長に指示した日です。

 本日の倉敷は晴れでありました。
 最高気温は十七度。最低気温は十三度でありましたよ。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。






 上の写真に写っているお花は、八重桜です。

 八重桜のお花に関しては、2019年4月20日の記事2018年4月5日の記事2017年4月19日の記事2016年4月9日の記事2015年4月9日の記事2014年4月12日の記事2013年4月12日の記事2012年4月20日の記事2010年4月24日の記事もよろしかったらご覧下さいませ。
 2019年と2018年と2017年と2016年と2015年と2014年と2013年と2012年と2010年の八重桜のお花の記事です。


 八重桜のお花の花言葉は、「理知に富んだ教育」や「教養がある」や「おしとやか」です。


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『かぐや姫の物語』

2020年04月21日 21時16分38秒 | 映画・ドラマに関する日記
 昨日の夜は、アニメーション映画『かぐや姫の物語』のDVDを観ていました。
 監督は、高畑勲。
 巨匠高畑勲が描く『竹取物語』です。



 生への賛歌の物語ですね。
 生と死についての物語でもあります。
 この映画で描かれている死の概念は面白いです。ハッとさせられました。
 理想的で清浄で完璧で完全な世界。それ故に安定して変化は全く無い。確かにそれは死の世界と言えますね。デジタルっぽくも感じます。
 完璧な清廉であるが故にほんの少しの歪みや汚濁を徹底的に拒絶する……。




 生きていれば泥に塗れて理不尽な目に遭い辱めを受け欲に囚われ恨みを持ち穢れた不浄な世界で歯を食いしばって暮らしていかなければなりません。
 でも、それでも生きていることは素晴らしい。否、それだからこそ生きていることは素晴らしい。と謳い上げてしかし死は誰にでも平等にやって来るよ、とする残酷な恐ろしい素晴らしいお話です。
 容赦無いなぁ。高畑勲監督。
 死とはどのような形であれ理不尽なものだけれども、その理不尽な死を含んでいるからこそ生は素晴らしいってことなのでしょうか。

 この映画では様々な理不尽が描かれています。その理不尽に対する解決策は提示されません。
 容赦無いなぁ。高畑勲監督。
 それでも生きていることは素晴らしいと謳い上げる。物凄い生への賛歌の物語。

 そして竹取物語が何故に生まれたのかをこの物語で示唆されています。
 平家物語と同じで鎮魂の物語。
 鎮魂の物語であるが故に事実を改変する。物語化することであはれな魂を慰める……。

 さて、ここで問題。
 この映画の題名は『かぐや姫の物語』です。
 何故に『竹取物語』ではないのでしょうか?
 『竹取』物語ではこの映画の主題からズレるのです。
 では、『竹取物語』の『竹取』とは何を意味するのでしょうか? 
 今は昔 竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。名をば讃岐造麿となんいひける。
 この『竹』とは何を意味するのでしょうか? 
 『竹』を『取る』とは何を意味するのでしょうか? 『取られた竹』とは何を意味するのでしょうか?
 その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。
 この文は明らかに比喩表現です。『見る』とは? 『筒』とは? 『筒の中にいる人』とは?
 『竹取物語』が生まれた時代の人ならば、この文を読めば、何を表現しているのかすぐに理解したことでしょう。
 竹から人は生まれません。しかし『竹』からは人は生まれます。

 この映画は、しかし、『竹』のお話ではありません。『取られた竹』のお話でもありません。
 『かぐや姫』の物語です。
 なので『かぐや姫の物語』なのです。
 浄化されているのです。『竹』の汚名を濯いでいるのです。
 かぐや姫をきちんと人間の女性として描いているということなのです。
 その意味で高畑勲監督は優しいです。



 面白かったですよ。
 傑作です。
 お勧めでありますよ。


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