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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校(いつ高)シリーズ』を観て来ました。

2017-02-01 21:55:22 | Weblog


1/9(月)、秋葉区文化会館で行われた、ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校(いつ高)シリーズ』観てきました。
いつ高シリーズとは、ロロという東京の劇団が上演している演劇のシリーズで、過去にvol.3まで作られており、またこの公演より後に今年3月にはvol.4も上演されるという人気シリーズのようです。

今回の公演では、vol.1『いつだって窓際であたしたち』、vol.2『校舎、ナイトクルージング』の2作品が上演されました。
この公演は、秋葉区演劇フェスティバル関連事業として行われたものだそうで、ロロの公演が新潟で上演されたのはこれが初めてだったのではないかと思います。



個人的に、ロロは僕がずっと気になっていた劇団だったので、新潟で観劇することが出来てとても嬉しかったです!
・・・という訳で、感想を書いていきます。



僕が最初にロロという劇団を知ったのは、4年前にロロの代表の三浦直之さんが監督された『ダンスナンバー時をかける少女』という映画をシネ・ウインドで観た時でした。
これは、僕が大好きで毎年見ている映画と音楽のコラボ企画「MOOSIC LAB」というものがあるのですが、2013年の「MOOSIC LAB 2013」の中の一つとして上演されました。





ひとまず、『ダンスナンバー時をかける少女』の予告編を貼っておきます。

『ダンスナンバー時をかける少女』は、女の子が運命の人を探して走り回る映画パートと、男の人が女の人に好きな気持ちをひたすら歌で伝え続ける演劇パートに分かれていて、その二つのパートが交互に登場しつつ最後にはその二つのストーリーが時空を超えて一つに繋がる、という内容の映画です。
映画パートでは女の子の可愛さが、演劇パートでは男子の格好悪さがそれぞれ全開で、またどちらのパートも女の子への激しい憧れが徹底して描かれており、敢えて褒め言葉としてこの表現を使いますが、映画全体から童貞臭さが全開なのです。

僕は個人的に、かなりダサい青春しか送って来なかった人間なので、青春映画でも合うものと合わないものがあるのですが、この青春のダサさ、童貞臭さに対する愛に溢れた映画を観た時、これこそ自分が求めている青春映画だ!と強く感動しました。
そして、こんな青春映画を描ける三浦直之さんは、きっと自分みたいな人間の気持ちも分かってくれるに違いない!と勝手に思い込み、いつかお会いしたいなあと思っていた方なのです。

そんな訳でしたので、今回こうして新潟でロロの三浦直之さんの演劇に出会えたことは、僕にとって本当に嬉しいことでした!
映画の話はこのくらいにして、ここからは肝心の演劇の感想を書いていこうと思います。



と言う訳で、ここからやっとロロ『いつ高シリーズ』の感想です。
公演が始まると、最初にロロの三浦直之さんが登場し、舞台挨拶があり、そこで、三浦さんから今回の『いつ高シリーズ』に対する説明があるのですが、このシリーズは三浦さんが高校演劇の審査員をすることになってから思い付いたものだそうです。

『いつ高シリーズ』は、高校演劇への敬意を持って上演するということで、高校演劇のルールに則って、上演時間は1時間以内、また上演前の転換なども高校演劇と同じように時間内に公開して行うということでした。
また、この『いつ高シリーズ』のストーリーも、「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」という架空の高校の出来事を描いているため、大人たちが高校生を演じており、何から何まで高校、そして高校演劇に対するリスペクトに溢れた公演のようでした。



三浦さんの舞台挨拶が終わると、説明にあった通りに、さっそく役者さんたちが登場し、これから始まる舞台で使う教室のセットや扇風機などのセッティングを始めました。
ちなみに、三浦さんは客席でストップウォッチを持って構えていて、本当の高校演劇のようにセッティングの時間を測っていました。

この時間、果たして何の意味があるのだろうか・・・と正直最初は疑問に思っていたのですが・・・公演を見終わったら、ああ、この時間は確かにとても重要だった!と気付きました。
が、それは後で話すとして、ひとまず感想を書いていきます。



と、その前にすごく個人的な話をしておきたいのですが、さっきも言ったように僕はダサい青春しか送っておらず、特に高校時代にはいい思い出がほとんどないような人間なので、高校を描いた作品って、その時点で見ながら自分の高校時代を思い出してしまって、素直に楽しめないということもあるのです。
しかも、僕は高校演劇というものに馴染みもない人間なので、果たしてそんな自分がこの公演を素直に楽しめるのだろうか・・・という不安とともに、今回の公演を観ていた、というのが正直なところです。

そんな気持ちで観始めた『いつ高シリーズ』、最初はvol.1の『いつだって窓際であたしたち』だったのですが・・・
予想通りと言うか何と言うか、演劇の内容がまるで自分の高校時代の痛いの思い出をピンポイントで刺激してくるような内容だった、という極めて個人的な理由で、特に前半はあまり素直に楽しめなかったなあ・・・というのが正直な感想です。

『いつだって窓際であたしたち』は高校の教室の休み時間を描いた作品なんですが、おしゃべりが好きな女の子や、お調子者の男の子などが登場します。
で、僕は個人的に、高校時代にそういういわゆる典型的な高校生たちとあんまり馴染めなかった人間だったので、ちょっとそういう自分の過去を思い出してしまって、この演劇にも最初はなかなか馴染めないなあ・・・と思いながら観ていました。

で、この『いつだって窓際であたしたち』の主人公となるシュウマイくんという高校生が登場するのですが、彼はあまりクラスに馴染めずにみんなからいじられてばかりいるキャラクターでした。
そもそもシュウマイというあだ名も、毎日シュウマイ弁当を食べているから、そのシュウマイの臭いが学校で有名になってしまって、そのことをみんなからいじられて付けられたという設定でした。

この、シュウマイくんという非情に格好悪いキャラクターの立ち位置が、まるで自分の過去を見ているようだったので、僕は途中から完全にシュウマイくんに感情移入しながら観てしまいました。
正直、感情移入しすぎてまるで自分の過去の黒歴史を見せられているようで、例えば、劇中で女の子から「童貞?」って聞かれるシーンを観た時なんか、僕はもう「それ!絶対言っちゃいけないやつだからね!やめてあげてー!」と心の中で叫んでしまったくらい、シュウマイくんに肩入れしてしまったくらいでした。

しかし、前半はそんな微妙な気持ちで観ていたこの演劇でしたが、後半になるにつれて、徐々に「こんなダサいキャラクターを敢えて主人公に設定したこの演劇は、もしかして、自分のようなダサい高校時代を送った人間に向けて作られているのではないだろうか・・・?」という気持ちが浮かんできたのです。
そして、その気持ちは「そもそも、あんなにダサい高校生を演劇で再現できるロロの三浦さんは、もしかして、本当に自分と同じようにダサい高校時代を送っていたのではないか・・・いや、きっとそうに違いない!そうじゃなきゃあんなにもリアルにダサさを表現できるわけが無い!やっぱり三浦さんは俺たちの味方に違いない!」などということを勝手に思い始めていきました。

そして、演劇はボーイミーツガール的な展開がありつつ、色々あって最終的にシュウマイくんがちょっと元気になるというストーリーだったので、演劇のラストでは思わず「良かったな、シュウマイくん!」と、まるで自分のことのように嬉しくなってしまいました。
また、シュウマイくんを演じていた役者さんが、本当にそういう高校生がいる!としか思えなかったくらい演技が上手かったことも、このシュウマイくんというキャラクター、そしてこの演劇全体を自分が好きになれた大きな理由だと思いました。

そして、僕がこの演劇を好きになれたことにはもう一つの理由があって、それは先程書いた、演劇が始まる前に役者が高校演劇のように舞台のセッティング風景も見せるという演出も、とても効果的に活きていたなあということです。
と言うのも、演劇が始まる前に教室の窓や扇風機のセッティングを見ていたからこそ、劇中で窓のカーテンが風に揺れる、というシーンでは、ああ、あのセッティングがこんなに効果的に演劇を盛り上げている!という感動があったのです。

そしてそれは、演劇のストーリーどうこう以前に、「演劇」というものが生まれること、「演劇」というものを多くの人達が力を合わせて作り上げるという事実そのものが、いかに感動的か、ということにあらためて気付かされる体験でもあり、これもまた、三浦さんの高校演劇に対するメッセージかも知れないな、とも思いました。
そんな訳で、最初は微妙な気持ちで見始めたこの『いつだって窓際であたしたち』という演劇でしたが、最終的にはとても好きな作品になりました。



こうして、いつ高シリーズvol.1『いつだって窓際であたしたち』は終了し、今度はvol.2『校舎、ナイトクルージング』のセッティングが始まり、その後、本編が上演されました。
結論から言いますが、vol.2『校舎、ナイトクルージング』は、僕にとってvol.1『いつだって窓際であたしたち』以上に感動的な作品でした。

と言うか寧ろ、vol.1『いつだって窓際であたしたち』を観ていたからこそ、vol.2『校舎、ナイトクルージング』にあんなにも感動してしまったと言えると思います。
一体それはどういうことなのか・・・?と言う訳で、『校舎、ナイトクルージング』の感想を書いていきます。



大前提として、この『いつ高シリーズ』は、同じ高校の同じ教室を舞台にしたシリーズなので、世界観を共通していて、同じネタや登場人物が出てきたりします。
と言うか、vol.2『校舎、ナイトクルージング』は、はっきりとvol.1『いつだって窓際であたしたち』の続編として作られていました。

ストーリーを説明すると、vol.1で脇役で登場した男の子と女の子が、vol.2では夜の学校に忍び込んで教室にやってくる、というところから物語は始まります。
vol.1では会話の中で教室に幽霊が出るらしいという噂が何気なく登場するのですが、vol.2の彼らはその幽霊を調べに夜の学校に忍び込んでいるのです。

この時点で、あ、設定が繋がってて面白いな、という、続き物ならではの面白さがありました。
しかし、それ以上に面白いなあと思ったのは、確かに同じ教室、同じ設定ではあるものの、今回のvol.2では、明らかにvol.1と違った視点で、新たな面白さを生み出しているなあと感じられたことです。

例えば、まず舞台の作り方が、vol.1では教室の窓側を向いて舞台が作られていたのに対し、vol.2ではそれが90°移動して教室の後ろ側を向いて舞台が作られていて、その時点で物理的に舞台の見え方が変わっていました。
そして、そのことによって、vol.1では「窓の外を眺める」「カーテンが揺れる」というシーンが印象的だったのに対し、vol.2では「登場人物が教室に出たり入ったりする」というシーンの面白さが表現できるようになっていて、その時点で前回とは視点を変えた面白さを生み出しているなあと思いました。

また、vol.1では昼、vol.2では夜と、時間的にも物語に変化を与えることで、「同じ教室でも昼と夜では違った見え方がする」という、「視点の変化による世界の見え方の変化」というものが、はっきり表現できているなあと思いました。
そしてそのような「視点の変化」は、ストーリー的にも非情に重要で、「同じ世界でも視点を変えることで、違った見え方をする、見えなかったものが見えてくる面白さ」こそが、このvol.2『校舎、ナイトクルージング』という物語において最も重要なポイントだったのではないだろうか?と僕は思います!

説明のために、ストーリーの続きを書いていきますが、幽霊を探しに探検にやってきた彼らは、教室で怪しい女の子に出会います。
幽霊か?と思いきや、どうやら彼女は登校拒否をしているクラスメイトで、誰も彼女のことを知らないのです。

しかも彼女は盗聴マニアで、クラスの至る所にしかけた盗聴器を夜な夜な教室に忍び込んで聞くのが趣味、という本当に怪しい女子なのです。
そんなこんなやっているうちに、なんと彼らが探していた本物の幽霊の女の子が舞台に登場してしまうのですが、幽霊はあまりにも自然に夜の教室に馴染んでいて、しかも盗聴女子と幽霊の女の子は仲良しで毎晩遊んでいるというではないか!

という、色々ツッコミどころが満載な物語なのですが、vol.1を踏まえてこのvol.2を観ると、「視点の変化による新しい面白さ」を生み出している物語だなあと思います。
例えば、肝試しにやってくる男の子と女の子は、昼の教室しか知らないので、毎晩夜の教室にだけ現れる盗聴女子のことも、幽霊の女の子のことも、ましてやその二人が仲良しだなんてことは、それまでまったく知らないのです。

しかし、昼から夜に視点を変化してみることで、そこにはまったく想像もしなかった新しい世界が広がっている・・・これこそが、この演劇の面白さなのではないかと思います!
さらに面白いのは、肝試しにやってくる男の子と女の子は昼の教室では結構目立っていて教室の中心的な存在であるにもかかわらず、夜の教室に行けばその世界の中心にいるのは謎の盗聴女子や幽霊といった昼間の教室では日の当たらない存在である・・・という、人間関係の逆転現象が発生しているのです。

vol.1『いつだって窓際であたしたち』では、決してクラスの中心にはいない存在のシュウマイくんがまさかの主人公でしたが、vol.2『校舎、ナイトクルージング』に登場する盗聴女子は登校拒否だし、幽霊の女の子はそもそも昼間は現れないし・・・と、シュウマイくん以上にクラスの中心にいないどころか、その存在さえもほとんど知られていない登場人物たちなのです。
そして、そんなキャラクターたちが、昼間のクラスメイトたちが知らない世界では、とても生き生きと楽しそうに生きている、という物語に、すごく僕は優しさを感じました。

さらに、僕がとても好きだったのが、盗聴女子はシュウマイくんの声が大好きで、声しか知らないシュウマイくんは彼女の中ではスターみたいな存在になっているという展開です。
と言う訳で、普段は自分のことを冴えない存在だと思っているシュウマイくんも、自分の知らないところでは知らない誰かのスターになっているんだ、っていう展開に本当に優しさを感じたし、「ああ、シュウマイくん良かったなあ」となんだか嬉しくなってしまいました。



そう考えると、シリーズのタイトルに登場する「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて」というオザケンさんの歌詞そのままのフレーズも、「必ずどこかに自分の居場所はあるし、分かってくれる人はいる」というメッセージのようにも思えてきました。
いやー、やっぱり、オザケンさんはいいこと言いますね。(そこ!?)

と言う訳で、vol.1『いつだって窓際であたしたち』、vol.2『校舎、ナイトクルージング』はどちらも、僕のようなちょっとクラスに馴染めなかったような人間に対する応援歌みたいな作品だなあと思いましたし、この二作品を通して見ることでその感動がより際立つ、という内容だったなあと思いました。
僕はこの演劇を観たことで、なんだか高校時代があんまり楽しくなかった自分の過去が救われたような気持ちになりました。



そして、こんな作品を作ることの出来るロロの三浦直之さんは、やっぱりとても素敵な方だなあ!と思いました!
そう思いながら会場を出ると・・・





なんと、そこには三浦直之さんが!と言う訳で、記念撮影をお願いしてしまいました!
お会い出来て本当に嬉しかったです!



と言う訳で、ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校(いつ高)シリーズ』を観に行けて本当に良かったです!
新潟に来ていただきありがとうございました!
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