conscience

my diary

柔軟的で合理的な行動が出来ない、我が国と、その国民

2021年04月30日 | 日記
 戦後、米国の保護の下、我が国の政治は省庁官僚制で統治されてきて官僚任せの政治が続き、憲法至上主義を唱える奇妙な政党もあり、与党政治家達も、政治家としての理念よりも自らの当選に最大の視点を置き、国民も、政治に対して真剣に向き合ってはこなかった。
 その事が、現在のコロナ禍でも、一年以上前に武漢で起こったコロナパンデミックのニュースを見ているのに、政治家や国民は、それが引き起こす事態を他人事として見て、そのようなパンデミックが我が国にも起こり得ることを想定もせず、そのような事態が起こった時にどのように対応するかも官僚任せにして真剣に検討しようともしなかった。それが現在のような事態を招いているのである。
 ここに至っても、他国と比較して、我が国の死者数など、まだまだ少ないと強弁したり、未だに風邪の悪質なものとしか認識しようとしない者もいる。某ノーベル賞学者に至っては、我が国に特有のファクターXがあるかのような言説を繰り広げたのは記憶に新しい。しかし、我が国が、このパンデミックで他の諸外国より有利であるというエビデンスはない。それどころか、ワクチンの供給の遅れ、緊急時の体制に容易に移行出来ないという医療体制や政治構造、厚生労働省に巣くう医療系技官の頑迷固陋さ、未だにgotoやオリンピックに拘る利権政治家等、第二次世界大戦の悲惨な敗戦の現実を経ても、なお、修正されない国民性というか、こういった非常時に対して、我が国は、むしろ負のファクターXを抱えているとしか思われない構造にある。
 そもそも、ワクチンにそれ程の期待を抱かない方が良いのではなかろうか。仮に、年末までに国民の大半にワクチン接種がされたとしても、変異を繰り返すこのコロナウイルスに対応して、それで感染が収まるという保障はない。また、医療体制というか、医療構造もこのような非常時に対応していない。どうして、医療が必要な高齢者の数が増えているのに、ここ何年も政府は医師の数を削減しようとしてきたのか。これは、医師達が、自らの利権を守ろうとして政府に働きかけて来た結果ではないのか。それで、諸外国より病院の数が多いのにも関わらず、諸外国よりコロナ患者が少ないのにも関わらず、今になって医療崩壊になると言う。何をかいわんやである。医師たる者は、自らを犠牲にしてもコロナ患者に対応すべきではなかろうか。それを、一部の医師達にだけしわ寄せをして、大半の医師達は自らの使命を果たそうとしない。国民も国民で、緊急事態宣言が出ても、全国的にコロナ感染が広まっても、連休だといっては旅行などに出かけようとし、路上でたむろしては飲酒しようとする。どうして、連休の間だけでも自宅に閉じこもれないのか。訳が分からない。このままでは、確実に、オリ・パラどころか、毎日何百人・何千人もの人々が亡くなるという大変な事態になり、経済的にも大打撃となりかねない。
 今こそ、旧弊を打ち破り、頑固な規制や法制度を見直し、真に合理的で柔軟な国を作り上げるチャンスでもある。例えば、現在のような国家非常時には、公共の利益の為に私権の制限にも踏み込むべきではなかろうか。
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ニュースを見て、性善説を思う。

2021年04月29日 | 日記
 紀州のドンファンと言われた野崎氏が自宅で変死してから3年が過ぎたが、ようやくにして、元妻が同氏に対する殺人容疑で逮捕されるに至った。野崎氏は辛苦に耐えながら懸命に生きてきて、小金持ちになり、55歳下の妻が金目当てであることを承知しながら結婚して、挙句の果てに殺されてしまったのが事実であれば、彼は、何とも悲しい生涯を送った人だったのだろうかと思う。金に飽かして女あさりをして、何の楽しみがあったのだろうか。また、元妻にしても、報道されている通りなら、普通の家庭に生まれながら、何故、そこまで転落してしまったのだろうか。彼女の人生も悲しいではないか。
 更に、直接関係はないかもしれないが、ふと思ったのは、交際クラブ等の異性を紹介するビジネスが存在し、それが世の中で黙認されていることでもあった。交際クラブなどは、電話などを通した異性紹介業が風営法の規制対象となっているが、個人的な伝手でなされるものまではグレーゾーンとなっており、売春防止法に抵触する以外には法規制は及んでいない。今回のコロナ禍での給付金の対象に性風俗が含まれないとの見解が国から出されているが、風営法でこれらの業態が規制されているのは、これらを放置しておけば社会的に有害となる可能性があることから法律で規制されているものであり、何も、公安委員会に届け出して受理されたからといって、国のお墨付きを得たものではないということである。しかし、パパ活や援助交際と言われるものは、個人間の自由意志であれば、法律的な規制はない。
 野崎氏と元妻が、どういう経緯で知り合ったのかは知らないが、金目的の結婚であったことは間違いないだろう。考えて見れば、人間の本性は善ではない。儒教は、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いていると言われているが、人は、本来、男女を問わず、欲にまみれた生き物であって、 法律や道徳などによって、それを規制しているところがある。しかしながら、宗教的な背景を持たない日本での道徳教育は、まったく形だけのものに成り下がり、本当のところは機能していないのが現状であろう。我が国で辛うじて法秩序が維持されてきたのは、刑法等の法律による規制や、世間体というものを過剰に気にする国民性のおかげであった。例えば、良心に従って行動するという点では、我が国には、かなりの曖昧さがある。
 野崎氏の事件のようなことは、これからも起こり得るし、毎日のようにも起こっている。現代は、性風俗の乱れとも言える状態にあり、教師や警察官などが盗撮やセクハラで問題になるようなことも日常的に発生しているし、金目的の様々な事件も発生している。これらの原因のひとつは、加重な個人の自由や個人の権利の尊重ということもある。
 人の性は、善か悪か、少なくとも私自身は、ある意味で欲望にまみれた人間であるが、それを否定する気は全くない。いわば、野崎氏や元妻のような行動力がないだけであるかもしれない。
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医療崩壊の危機が迫る徳島県、連休中に帰省など絶対にするな!!

2021年04月25日 | 日記
 昨年、コロナ感染拡大の危機が叫ばれていた時には、徳島県内で県外ナンバーの車両に乗っていると、嫌がらせを受けたり、場合によっては、車に傷をつけられるという噂が流れて、そのおかげもあってか、徳島県内での感染者数は低く抑えられてきたが、ここに来て、感染爆発の様相を呈しつつある。
 例えば、徳島県内の昨日のコロナ感染者数は47人と急増しており、しかも入院調整中ということで半ば放置状態にある感染者は、24日時点で151人もいると言う。まさに、家族に感染を広げ、周辺の関係者にも感染が広がりつつある。特に、高齢者のみではなく、中・高校生の間にも感染が拡大中という懸念すべき状態が生じており、これに対して、県は、まんえん等重点措置の適用を26日にも国に要請するとのこと。しかし、如何にも悠長なことではなかろうか。
 まんえん等重点措置では、主に飲食店の時短要請が中心となろうが、ここまで感染が広がっては、飲食店中心の措置だけでは効果が限定されるし、既に、他にも感染ルートが移っているのではなかろうか。例えば、サッカーJ1の試合などで感染した人は本当にいないのだろうか。競技場でのトイレや飲食の際に感染機会は無いのだろうか。中学校や高校の部活などでも同様だろう。徹底的に感染を抑止する為には、過去一年間に武漢型のウィルスに取ってきた対策だけでは不十分だと考える。今回の変異型ウィルスの感染力は強く、家族に一人でも感染者がいると同居家族は全員感染すると見なすべきだと思うし、会食の場でも、ほとんどの参加者が感染すると見なしても良いと思う。ここに至ると、先日の県職員や県警の元職員などの送別会で感染が拡大したことは、何とも残念なことだった。更に言えば、屋外でジョギングや散歩をしている人の中にはマスクをしていない人が大半だが、これも、屋外だから感染しないとは言いきれないのではなかろうか。
 このように、徳島県内でも、大阪のような感染爆発、医療崩壊の入り口に差し掛かっている。テレビを見ていると、兵庫県の病院でコロナ感染者の入院先がなく、徳島県に受け入れを要請したが断られたという場面があったが、既に徳島県内も医療的に非常事態下にあると認識すべきだ。県外の患者を受け入れるだけの余地はなかろう。
 ゴールデンウイークに県外への旅行、県外に住む徳島県出身者の帰省の予定もあろうが、ここは、例えキャンセル料を取られたとしても思いとどまるべきだ。県内にいても安心出来ないし、まして、大阪や兵庫に行くことは、感染の機会を求めに行くのと同じだ。ワクチンの接種の見通しが立たない現状では、これがいつまで続くか判らないが、医療崩壊は、社会全体の崩壊につながる。ここは、我々自らが、自分の身は自分で守るしかない。
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徳島県もマンボウを要請してはどうか

2021年04月24日 | 日記
 感染拡大のスピードが止まらない。かっては、感染者数0の日もあった徳島県でも、本日の感染確認者数は47人で、内20歳未満が17人もいる。しかし、イオンモールなどに行っても、家族連れで買い物に来ていたり、高校生風の者が複数で買い物をしていたりと危機感は全く感じられない。しかも、感染確認者であっても、入院調整中という名で自宅での療養を余儀なくされている者の数が、126人もいると言う。感染力の強さからすると、自宅療養している者が家族中にも感染を広げているのではなかろうか。
 徳島新聞にも書かれていたが、この変異型ウィルスの感染力について、知事には危機感が根本的に欠けている。例えば、知事が年末に会食の場に姿を現したことはさておいても、この春には、県庁職員複数が送別会を行って感染を広げたりしたこともあった。先日行われた聖火リレーも、何故、公道での走行を中止にしなかったのだろうか。まさか、出たがりの知事が、自らの手で聖火トスをする為に中止にしなかったのだろうか。そのおかげで沿道には人だかりが出来ていたではないか。確かに、それで感染したという証拠はないが、感染した人がいなかったという証拠もない。今までのコロナ対応の延長で、変異型ウィルスに対応している状態では、徳島県も医療崩壊を迎えてしまうのではなかろうかと心配している。
 この際、パフォーマンス好きの知事は、連休前の今こそ、マスコミを集めて会見を開き、今のままでは医療が持たないと、県民に行動自粛の徹底を呼びかけるべきだと考える。
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心に刺さってしまったこと

2021年04月23日 | 日記
 テレビのワイドショーを見ていると、非常事態の再宣言で、学校も再度オンラインでやるとなったら、子供達が学校に行って友達と触れ合うことによる貴重な時間が奪われるのでは、とのコメンテーターの意見があった。それを聞いていて非常に私自身に刺さるものを感じた。というのは、私は子供の時から社交性に欠け、例えば、休み時間に遊ぶ友達もいず、毎日辛い日々を送っていたことがあった。この為、友達との交流による社会性の獲得ということが決定的に出来なかった。私は、毎日、学校に行っていたにも関わらず、それが出来なかったのである。この為、学習意欲にも欠け、大学に進学したものの授業に出る意欲もわかず、結局除籍となってしまった経験がある。(その反動で、通信制の大学を三回卒業して、卒業証書や学位記も三通づつある。)青春時代に何と貴重な時間を失ってしまったんだろうかと、今更ながら後悔しても始まらない。しかし、反対に考えてみると、学生時代に青春を謳歌していた他の人達は、このコロナ禍の一億総ひきこもり時代になって、どのように考え生活しているのだろうか。私は、幸い、年金生活者であっても、毎日、読書をしたり、昼寝をしたり、テレビやビデオを見たりして、日がな一日、のんべんたらりと過ごしても、そのことに然したる苦痛を感じることは少ない。それが子どもの頃からの私の日常であったからでもある。勿論、若い時代には、そのことに辛さや苦しみを感じたこともあった。(辛い時は、敢て何も考えないという、ある意味で人生を放棄して生きて来たことで、自殺もせずにサバイバルしてこれたかもしれないが、)通信制の大学に10年間在籍してよかったことは、このような私の生き方についての自己分析が出来るようになったことでもあった。
 そのおかげで、大勢に順応することなく、世の中を皮相的に見ることが出来るようになったと考えると、ひきこもり生活も悪くないし、大勢の中の独りぼっちという生き方も悪くはないかもしれない。どうせ人は死ぬわけで、戦争の時代であれば、19や20歳で、意味もなく敵に向かって突撃して死んでいった人も多い。それを67歳の今まで長生きして、好きな本も足るだけ読んで、日本全国もあちこち旅行したり山登りをしたりしてきて、食べたい物も食べれて、何の文句があろうか。青春を謳歌した人でも、その後の生活は、上司や世間に気を使い、その意味では枠に嵌められた生き方しかしてこなくて、子供や家族にも縛られて、息苦しく生きているのであれば、その方が余程可哀想ではなかろうか。そんな思いもする今日この頃でもある。



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