戦後、米国の保護の下、我が国の政治は省庁官僚制で統治されてきて官僚任せの政治が続き、憲法至上主義を唱える奇妙な政党もあり、与党政治家達も、政治家としての理念よりも自らの当選に最大の視点を置き、国民も、政治に対して真剣に向き合ってはこなかった。
その事が、現在のコロナ禍でも、一年以上前に武漢で起こったコロナパンデミックのニュースを見ているのに、政治家や国民は、それが引き起こす事態を他人事として見て、そのようなパンデミックが我が国にも起こり得ることを想定もせず、そのような事態が起こった時にどのように対応するかも官僚任せにして真剣に検討しようともしなかった。それが現在のような事態を招いているのである。
ここに至っても、他国と比較して、我が国の死者数など、まだまだ少ないと強弁したり、未だに風邪の悪質なものとしか認識しようとしない者もいる。某ノーベル賞学者に至っては、我が国に特有のファクターXがあるかのような言説を繰り広げたのは記憶に新しい。しかし、我が国が、このパンデミックで他の諸外国より有利であるというエビデンスはない。それどころか、ワクチンの供給の遅れ、緊急時の体制に容易に移行出来ないという医療体制や政治構造、厚生労働省に巣くう医療系技官の頑迷固陋さ、未だにgotoやオリンピックに拘る利権政治家等、第二次世界大戦の悲惨な敗戦の現実を経ても、なお、修正されない国民性というか、こういった非常時に対して、我が国は、むしろ負のファクターXを抱えているとしか思われない構造にある。
そもそも、ワクチンにそれ程の期待を抱かない方が良いのではなかろうか。仮に、年末までに国民の大半にワクチン接種がされたとしても、変異を繰り返すこのコロナウイルスに対応して、それで感染が収まるという保障はない。また、医療体制というか、医療構造もこのような非常時に対応していない。どうして、医療が必要な高齢者の数が増えているのに、ここ何年も政府は医師の数を削減しようとしてきたのか。これは、医師達が、自らの利権を守ろうとして政府に働きかけて来た結果ではないのか。それで、諸外国より病院の数が多いのにも関わらず、諸外国よりコロナ患者が少ないのにも関わらず、今になって医療崩壊になると言う。何をかいわんやである。医師たる者は、自らを犠牲にしてもコロナ患者に対応すべきではなかろうか。それを、一部の医師達にだけしわ寄せをして、大半の医師達は自らの使命を果たそうとしない。国民も国民で、緊急事態宣言が出ても、全国的にコロナ感染が広まっても、連休だといっては旅行などに出かけようとし、路上でたむろしては飲酒しようとする。どうして、連休の間だけでも自宅に閉じこもれないのか。訳が分からない。このままでは、確実に、オリ・パラどころか、毎日何百人・何千人もの人々が亡くなるという大変な事態になり、経済的にも大打撃となりかねない。
今こそ、旧弊を打ち破り、頑固な規制や法制度を見直し、真に合理的で柔軟な国を作り上げるチャンスでもある。例えば、現在のような国家非常時には、公共の利益の為に私権の制限にも踏み込むべきではなかろうか。