今回の衆議院選で、私が見物と思っているのは、①コロナ禍での安倍・菅政権の明らかな失敗(武漢で感染が広がっているという情報があったにも関わらず、春節での中国人観光客を受け入れ続けことや、その後において、厚労医系技官のアドバイスのままに、体制が弱いとわかっている保健所を中心とする検査・隔離体制を続け、自宅療養という名の放置政策で多数の患者を死に追いやったことなど。)への国民の評価がどのように下されるか。②安倍自民党政権の負の側面(官僚人事を首相を中心とする政治家が握ったのは良いとしても、官僚の忖度を招き、キャリア官僚が公文書の書き換えまでして総理を守るという異常事態を招いたこと。アベノミクスの第三の矢が不発で、成長から分配にという掛け声にも関わらず、貧富の格差拡大・国民所得の停滞を招いたことなど。)を是正出来なかったこと。③大臣などの順送り人事を行い、特に現職の法務大臣の選挙違反を許したこと。などがあっても、それでも自民党に過半数を取らせるのだろうかということ。
何日か前に宝くじ(ハロウィーン宝くじ)をネットで買ったと思っていたが、今日確認すると、購入履歴に該当がなかった。夢であったのか、それともネットで操作間違いをしていて買ったものと誤認していたのか。念のために、ネット購入の場合に送られてくるメール履歴を確認したが、それも無かった。まるで狐か狸に騙されたような気がした。確か、落語で富くじを買った男が、妻にそれを隠されていて、後で当たっていたと判ったというような話を聞いたような気がしてそれと似ているのかと思ったが、その落語にしても、ネットで調べてみると、富くじではなく、財布を拾った男の話(芝浜)を、私が誤って記憶していたことが判った。想起障害は認知症の初期症状だが、68歳にして認知症になりかけているのだろうか。仕方がないので、ロト7を一口購入し、年末ジャンボのセット一口の購入予約をした。でも、ネット購入をするようになってから全く当たらないようになったので、今回も大して期待していない。
一夜の夢ということでは、KK氏の弁護士試験の発表で、合格者の一覧に名前が無かったというのも何か化かされているかのような話になってきたと思うが、試験である以上、不合格になる可能性はあるだろう。元プリンセスがどう思うんだろうか。
今回も、近くのショッピングモールで期日前投票をしてきた。『もし、人が多かったらコロナ感染が怖いな。』と思っていたが、前回程は人はおらず、使い捨ての鉛筆を使って書くようになっていたりして感染対策がされていたのに安心した。一つの疑問は、最高裁判事の国民審査も投票することになっているが、余程の裁判マニアでもない限り、誰が相応しくないかの判断が出来ないだろうと思う。
今回のプリンセスの降嫁騒ぎで判ったことは、日本は、幻想社会であるということで、日本は男系男子の系譜を持つ天皇がいる世界で唯一の国だとか(歴史学上それを客観的に証明する資料は本当にあるのか?)、皇族に生まれたからには、結婚するには、それなりの相手でなければならない。(貧乏人とは結婚するなということか?)とか、とかく多くの幻想がある。また、それを利用している一部の保守勢力もいるということで、敷衍すると、象徴である皇族には人権を認めないということではなかろうか。美智子上皇后様や雅子皇后、今回の眞子さんの例を見ても、女性皇族がストレスで心身の異常を来してきたという事実がある。これは、マスコミが悪いのだろうか、宮内庁が悪いのだろか、いや、皇族と奉って人間視してこなかったこの国の異常さがあったのではなかろうか。敗戦後、昭和天皇は人間宣言をした。それは人として当たり前のことであったろう。その当たり前のことが、未だに宮内庁や一部の政治家・官僚・保守思想の持主によって利用され、今回のようなことに繋がっている。国民も皇族を人間視せず、理想の存在で置いておきたいという共同幻想を持っている。
しかし、そもそも、情報が氾濫している現代日本において、皇族と雖も様々な情報に触れるにつけ、自分達が国民の持つ様々な権利を制限されているということに気づかざるを得ない。それでも、本当の特権階級であれば、北朝鮮の将軍様のように専制的な行動も可能かもしれないが、我が国においては、単なる象徴としての存在でしかない。しかも、自分の自由意志で、皇族からの離脱も儘ならない。
更に言えば、日本社会自体も、大きく変化しているにも関わらず、家族関係とかに対する幻想もある。サザエさん家族は、昭和初期の高度経済成長期のみに通用する物語であったが、今日のように、男女を問わず、それぞれの自由意志が尊重される社会では、夫が大黒柱で家族を支え、妻は専業主婦で、子供は良い大学を目指しというモデル家族像は既に崩壊している。離婚率も、結婚する人の三分の一にも上っており、シングルマザーやステップ家族が当たり前の存在となっている。良い大学を出て優良企業に就職しても、一生安泰というのは昭和の時代で終わっており、貧富の格差も大きくなって、日本ドリームを実現する人は、ごく少数となっている。良い加減につまらない幻想を捨てるべきだ。
我が国は、少子高齢化による急速な人口減少や冷戦終結の影響もあって、過去30年間は経済が停滞してきたが、いよいよ、景気が後退していく中でインフレーション(インフレ、物価上昇)が同時進行するスタグフレーションの気配がしてきた。原油価格の高騰は一時的現象かもしれないが、世界的な気候異常は、食料品などの価格高を招く可能性もあるし、70年以内に発生するという大地震の可能性も無視出来ない。そのような中で、賃金は上がらず、大陸などに移転した製造業も戻ってこず、コロナ禍でインバウンド頼みのサービス業は大きな打撃を受けている。それでも、既に年金生活に入っている高齢者の多数が、年金に加えて貯金もあって、それなりの生活を送っているにも関わらず、若い世代の将来は、必ずしもバラ色とは言えない。折から衆議院選挙の最中である。我が国の投票率は年々低下しているが、誰にでも良いし、どの政党に投票しても良いので、取り敢えず投票には行くべきだ。国民が投票などで政治に参加しない国は、やがて専制政治の国になってしまうか、国自体が滅びてしまうことにもなりかねない。
受験競争社会は、塾などに通える金銭的に余裕のある家庭が勝ち残る社会であり、成績の良い一部の者が勝ち組となり、その他多数は負け組となる社会となってきた。例えば、官僚の社会ではキャリア官僚達の出世競争があり、政治家に忖度しなければ出世しないことが常識となったし、一般企業では、正社員と非正規社員との間に待遇や給与面での格差が生じることとなった。コロナ禍では、飲食・観光などのサービス業が打撃を受け、それに従事している関係者の生活が困窮することとなった。これは、何も我が国だけの問題ではなく、科挙の歴史がある中国・韓国などの東アジア社会でも同じ状況にある。勝ち組は、子供の教育、福祉、健康などの多くで良い生活が望め、その他の負け組は、結婚も儘ならないような状況となっている。
これは、少子高齢化に拍車をかけ、東南アジアなどからの出稼ぎ労働者がいなくては、農業・製造業・工事現場などの3K労働が成り立たなくなりつつあるが、そういった国からの労働力の流入が永続的に続くという保証は全くない。作業現場でのロボット化やAI化を進めても、それで全てが解決するはずもない。労働貴族だけでは社会は回って行かないし、製造業などの現場で、地道に社会の基盤を支える人材の確保はゆるがせには出来ない。また、原発事故やコロナ禍でも、最近の政治家や官僚の劣化でも判るように、受験競争に勝ち残って来たエリート達の脆弱さは、紛れもない事実として露呈されいる。また中露が軍事的圧力を高めているが、ロボット兵器だけで国を守れるはずもない。自衛力の強化にも人的資源が必要であり、将校だけでは軍隊は維持出来ない。近い将来、地震などの大規模災害も予想されているが、これに対応するにも多数の人的資源が必要とされる。
少子高齢化は、その人的リソースを破壊しつつある。少子高齢化が進み人口が減るということは、高学歴エリートだけでは国は成り立っていかないことを明示しつつある。中国では、教育における「双減」ということで、宿題や学習塾に通うことでの負担を減らすという政策を打ち出しているとのこと。我が国でのゆとり教育と似たものであろうか。しかし、ゆとり教育も学力の低下という弊害を生んだが、私は、これを解決する一つの方法は、AIなどを活用した個々の学生の習熟度に合わせたカスタマイズ教育の開発と普及にあると考えている。また、学生時代だけではなく、30代でも40代でも、年齢や学歴に関係なく新しい知識を学ぶことの出来る環境も必要であるし、受験教育だけではなく、労働の大切さなどを子供の時に学ばせるという必要もあると思う。一方、スポーツなどのクラブ活動を教師が負担することは既に限界となっているのではなかろうか。スポーツクラブ活動などは、学校教育から外して地域において人々が一生楽しむ活動と定義すべきだし、勝つためのスポーツは、それを目指している人が行えば良い。
人口減少社会は、一人一人の個人のスキルを高める社会であるべきで、一部のエリートのみが優遇される社会であるべきではない。そう考えると、人口減少社会こそ理想の社会への道を拓くチャンスであるかもしれない。(私の記憶では、ペストが流行して人口が激減した中世ヨーロッパで、封建領主の厳しい支配下にあった農民や労働者などの逃散などを防ぐために、農奴制から小作農制への変化や労働者の賃金固定などの社会改革が行われ、小作農や労働者という社会階層の誕生につながった。)
今こそ、カスタマイズ教育やリカレント教育を一般化し、若い一時期の受験競争で勝者と敗者を決定するのではなく、誰もが当たり前に生活を楽しめ、結婚し、子育てが可能な社会の構築を目指すべきであるが、残念ながら、今回の衆議院選でも、そのような理想を語った候補者にお目にかかったことはない。どうも、このままでゆくと、自民党が若干減少しても、政権維持に必要な議員数を確保出来そうだが、それで良いのだろうか。