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my diary

来年の抱負

2022年12月31日 | 日記
 大掃除の私の担当分は、どうやら終わったようで、横になりながらテレビで時代劇の録画を見て過ごしている。70歳からの健康の分かれ道は、意欲を持った生活が出来るかどうかと言うので、極力、毎日散歩に行くことと、株価の値動きに注目すること、毎日、英会話のテキストを開くこと、気が向いたらブログを書くことなどをしている。そこで、来年の抱負は、「意欲を持った生活」にしようと思う。
 新型コロナウイルス発祥の地である中国で規制緩和が進んで、コロナ感染が拡大していて死者も多数出ているようだが、それでも大部分の人は軽症で済んでいるようでもある。我が国でもウイズコロナ政策で感染が拡大しているが、ワクチン接種がされている為、中国よりも軽症者が多いだろうと言われている。百年前のスペイン風邪でも、約三年で終息に向かったようだが、コロナもそうなりそうな予感がする。来年、ある程度流行が収まってから旅行に行くことも視野に入れておこう。
 
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ひとりごと

2022年12月28日 | 日記
 一昨日は風呂の掃除、その前の日は寝室、今日はリビングの掃除の予定だ。年末のみに大掃除をしても、17年経過すると、新築マンションの部屋もかなり傷みがきて、もう少し年月が経つとどうしようもなくなるのではないかと不安が残る。かといって、妻も含めて60歳を超えてくると、今更転居を考えるのも煩わしく感じる。

 飯能市の事件については、徐々に詳しい状況の報道がされるようになってきた。容疑者は、映画製作者を目指していたが、何らかの理由で挫折したこと。母親と姉と同居していたが、容疑者のDVの為なのか母親と姉は家を出て行ったこと。被害者宅に執拗な迷惑行為をしていて、器物損壊で被害届を出されていたこと。このような多くの例と同じく、警察の容疑者への警告や被害者への防犯的なアドバイスは結果として効果がなかったこと。結局、警察は無力で、被害者も危険を感じたら、自ら転居するなどしなければ身の安全を守れないのが我が国の現状なんだろう。
 前にも書いたが、孤独対策が必要だ。我が国では、男性の生涯未婚率は三割となっていて、離婚経験者も含めると孤独者の割合いは年を追うごとに高くなっている。それに加え、未だに、標準家庭幻想があり、過度な競争社会でもあって、脱落者は何らかの劣等感に苛まれがちではなかろうか。しかし、政治家などは、この危機的な状況に全く目を向けてはいない。マスコミも、このような事件が起こっても、被害者側の視点では記事にするが、加害者の置かれている孤独の深刻さを理解しようとはしない。
 震災後、「絆」という言葉が取って付けたように一種の流行となってきたが、「絆」を強調しなければならないような殺伐とした世の中になってきたということではなかろうか。都会化した社会は、ただ人を消耗しつくし、人の心から温かみや思いやりということを遠ざけてしまう。人の人生には失敗がつきものであるが、どんな人であってもリベンジ可能な世の中であって欲しい。昔の人はたくましくて、生活力に満ちていたが、世の中自体も、ある種の肝要さや緩さというものがあったのではなかろうか。ところが、今の格差社会の厳しさはどうだろうか。若者が、一度、非正規やアルバイト生活に落ちてしまうと、生涯賃金でも数千万円どころか、場合によっては億の位の収入格差がついてしまう。しかも、この格差は、世代間で継承されがちでもある。東大生の何割に貧困家庭出身者がいるだろうか。おそらく、極めて少数か、全くいないのではなかろうか。そんな社会で良いのだろうか。
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はずれ者(outcast) 達よ。

2022年12月27日 | 日記
 埼玉県飯能市における殺人事件のニュースを見た。現場は、山を切り開いた新興住宅地で、同じような形をした分譲住宅が、上空からの映像ではマッチ箱のように並んでいた。事件や容疑者のことは未だに詳細はわからないが、私の印象では、『なるほど、このような無機質な街では、一度、はずれ者となった場合に立ち直ることは難しいんだろうなあ』と思った。
 なんでも、容疑者は高校生くらいまでは、恰好の良いスポーツマンと見なされていたとのこと。それが、どんな理由があったのか、父親が家を出ていき、母と容疑者が同居していたのがその母も家から出ていき、容疑者は独居状態となって孤独な生活を送っていたとのこと。想像だが、孤独感に包まれた容疑者が、近所で仲良いファミリーであった被害者宅について、何らかの嫉妬的な感情から意趣を感じたとしても不思議では無いかもしれない。勿論、それが器物損壊を行ったり、挙句の果てに殺人を行って良い理由にはならないのは当然であるが、以前、政府は、イギリスでの孤独省の取り組みを見てか、孤独対策に取り組むと表明したことがあったように記憶しているが、それから本質的な議論や対策がなされたのか知らない。これを担当する官僚や政治家達は、いわば勝ち組であって、負け組の心理や世間から取り残された者の心理や生活状態などには関心がないだろうし、理解が出来ないのではなかろうか。また、専門家と称する人達も、おそらく同様であろう。
 このような、世間から見て、理解できないような犯罪を起こす一人テロリストの事件が近年見られるようになってきた。思うに、人は、容易に「はずれ者」となりうるものであり、それを、精神異常等と呼んで安易に片づけて良いものだろうか。現代は、とかく競争を強いる社会であり、協調を強いる社会でもあるが、それだからこそ、はずれ者を量産してしまう可能性があると思う。

 はずれ者たちよ、あせるなよ。それよりも、自分らしく生きても良いと気づくべきだ。自分が好きなものを見つけ、法律の範囲でそれを楽しめば良い。大体、世間は冷たいものだ。いざという時でも、誰も自分の味方になってはくれない。そうだからこそ世間には期待するな。嫉妬するな。それよりも、小ずるくても良いので利用しろ。計画的に努力しろ。すべて出来なくても良い。図々しく無恥で良い。はずれ者が存在してこそ生物は進化するのだから。
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雪は止んだ

2022年12月24日 | 日記
 今朝は、大雪注意報は出ているようだが今のところは雪は止んでいる。昨日は、雪が激しく降っていたので散歩にも行かず買い物に近くのスーパーに行っただけであった。今日も散歩に行かないことにしようと思って、替わりにスクワットを150回と軽い腹筋運動をしたが、それでも散歩にだけは行こうと思いなおしてノルディックウオーキングのポールを携えて散歩に行ってきた。凍結したものの溶けかけの所が滑りやすく、ポールをついていても滑りそうになった。アヒル歩きでぺたぺたと歩いて帰ってきたが、5000歩しか歩かなかった。県内男性の平均寿命が81.27歳とのことだが、60歳代で死ぬ人もいるし、いつまで生きられるかわからない。来年からは、依然としてコロナに感染する恐れも多分に感じてはいるが、5回もワクチン接種をしていることだし、用心しながらでも旅行に行ってみようかと思っている。
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雪の思い出

2022年12月23日 | 日記
 徳島県内の沿岸部では、ほとんど雪が降らず、降っても一年に二・三回であるが、数十年に一度程度、偶に大雪が降る年がある。私が小学生か中学生の時に、大雪警報が出た日があって、数キロの雪道を歩いて登校したものの学校に着いたら休校になっていたようなこともあったし、勤めていた頃にも、何度か大雪で道路が渋滞して遅れそうになったことも何回かあったような記憶がある。大雪といっても数センチか、せいぜい十センチ程度の積雪であるが、南国のことで、大雪に対する備えなどなく、とんでもなく交通渋滞に陥ってしまうこともある。そういえば、十数年前であったか、山の上のお寺の関係者が、お寺への山道の途中で遭難したようなこともあって、そのニュースを見た他県の人からお節介な電話があったことも思い出した。
 今朝は、早朝から雪模様で、散歩に行こうとして外を見てみると、雪がしんしんと降っていて、いつになく道路までも積雪していた。傘をさしてまで散歩に行く気になれなくて、室内から雪模様を見ながら過ごしている。子供の時から雪を見ると嬉しくなる性質があって、今日も外の景色をスマホで撮影したりしているが、そうしている内に、いつの間にか冷えを感じるようになってきた。電線に着雪して停電になったりしたら困るなあと思いながら、ただ外を見ている。「トンネルを抜けると雪国だった」と小説に書いたのは、ノーベル賞を受賞した川端康成だが、中学校の時に母から奇異な目で見られたが、初めて買った小説は「雪国」だったなあと思い出したりしている。
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