私は、かって孤立していた時期があった。或は、今もそうであると言えなくはない。コロナ禍で、人々の連携とか、絆とかいうものが問われる時代となり、孤立化し、経済的にも追い詰められた人々の中で自殺者が増加傾向にある。
私が孤立していたのは、子供の時から、集団生活に溶け込むことが出来なくて、小・中学校時代など、休み時間であっても、行くところがなくて、教室の自席に座っているか、校舎の裏のあたりを彷徨っているかしか居場所がなかった経験がある。高校に入ってからも同様で、大学にも進学はしたが、誰も話し相手がいなくてついに除籍となってしまった。私は、自分は長生きできないと思っていて、20歳まで生きられるかなあと思ったりしていた。
このような時代、私は、自分の心の中に妄想の世界を作り上げ、現実の世界では人の顔もまともに直視できなかった。おそらく、同級生などは、そのような私を不気味に思っていたのかもしれない。
大学を除籍になって、親に言われて、ハローワークで職探しをし、実家近くの会社で働くことになった。化学薬品の匂いがする紙製品の工場に派遣されて、紙パック用紙の巻取り工程の作業を数か月間していた。その後、たまたま、公務員試験を受けて、第一次石油危機の直後の時代で、ある役所で、正規の採用者が立て続けに辞めたことがあって、その補充として採用されることとなった。この就職により、初めて、仕事という場で、自分の居場所が出来たような気がした。しかし、最初の数年間は、おそらく、周りからは「出来ないやつ」との評価があったろうと思う。しかし、長年経験を積み重ねていくと、自分でもやれることの範囲が広がっていった。しかし、やはり、対人関係は苦手で、見かねた両親がお見合いを勧めてくれたが、何人とお見合いしても、相手から断られるのが常であった。
それでも、ようやく、今の妻と結婚することが出来、以来、三十数年となる。今でも対人関係に難点を残している私だが、それでも、未だに自殺もせず、中途退職もせずに定年まで勤め、現在の年金生活を送っていられるのは、ある意味では奇跡なのかもしれないとも思う。
対人関係がうまく行かなかったのには、幼児期に「僕、僕」と言われて甘やかされて育ったこと。親から、甘やかされる一方で、一人前と認めてくれず、何でも自分自身でやるという癖付けが出来なかったこと。アダルトチルドレンという言葉があるが、佐野史郎が演じた「冬彦さん」と似たような環境下にあり、それが、大きくなっても自立心が欠けていた原因であったかとも思う。
社会的に孤立することは、ある意味では、他人が妬ましく見え、苦しい毎日であった。それだからこそ、自分の置かれている現実を考えることをしなくて、ある意味、投げやりでもあった。妻には気の毒ではあるが、その前に私との見合いを断った何人もの女性は見る目があったと言わざるを得ない。
定年になる前に、放送大学に入学した。それは、大学を途中で投げ出したということでのトラウマを解消したいという目的もあったし、定年前に補佐とか専門官とか名前だけの役職の窓際族にあったので、何か刺激が欲しいということもあった。放送大学は、面接授業の受講も多少は課されていたが、放送授業が主で、インターネットのストリーミング機能で授業を視聴し、後は、教材等で自習して、学習センターで行われる科目認定試験を受験する。私は、定年前から今までの約十年間の間に「人間と文化」「生活と福祉」「社会と産業」の三コースをそれぞれ卒業した。放送大学の授業そのものは、一流大学の講師の先生が担当していて、他の大学にも、そう劣らないものかもしれないが、他の学生等との人間関係が無かっても卒業は出来るので、その点では虚しさが残るだけとなっている。学位記や卒業証書をいくつ貰っても、リアルに卒業したような気がしない。
しかし、少しは、総合的・俯瞰的に物事を考えることの切っ掛けにはなりつつあるような気がする。今、私は、比較的自由に生活を楽しむことも出来る立場にある。残念なことは、長年の癖(独力で何かを為すことに対する恐怖)というような物から抜けきれないことにある。
私は、2003年に、物好きにも消費生活相談員の認定資格を取った為に、一応、今でも県の消費生活に関するボランティアということになっている。今日、私の携帯に、「ご本人様不在の為お荷物を持ち帰りました。ご確認ください。」とのショートメール(SMS)の着信があった。私宛の荷物など心当たりはないし、そもそも私のマンションには宅配ボックスが設置されているし紙の不在連絡が郵便受に入れてあるというのならともかくショートメールで業者名も書いてなくて、そのショートメールにURLが貼付されているのもおかしかった。このような不審メールについては、URLをクリックさせて、偽サイトに誘い込み、そのことによって個人情報を収集したり、後で高額な通信料金を請求したりする詐欺の手口があることは、消費者相談ではなかったが、かってある機関の相談窓口で従事した経験から十分に承知していた。今回私に送られてきたショートメールにあった「immazmmllz.duckdns.org」のURLについても、独立行政法人情報処理促進機構(IPS)や国民生活センターが注意喚起しているものであった。ちなみに、発信相手の電話番号は090-1153-7582であるが、この種の詐欺に使われている携帯番号から、おそらく飛ばしの(足のつかない)携帯番号であろう。
しかし、オレオレ詐欺にしても同様だが、詐欺の手口は、少なくとも、ここ十年近く変わり映えがしない。しかし、騙される人が跡を絶たないのは、警察や消費者庁などの担当官庁の国民に対する広報不足と、縦割り行政で警察と消費者庁という官庁間の連携不足にもよると思う。
この縦割り行政の弊害は、現下のコロナ禍でも十二分に表れており、いつも犠牲になるのは情報弱者である国民である。gotoで景気回復に効果があったとしても、感染爆発したら、経済的にも国民の安全安心という点でも取り返しがつかなくなる可能性すらある。今が分岐点で、効果のはっきりしないワクチンなどに過剰な期待を寄せるべきではない。旅行会社なども、高齢者も含まれるツアーを募集するなら、感染対策を十分にすべきであるが、例えば、Y旅行が募集したツアーでクラスターが発生したとの報道もあった。菅総理は、gotoで感染したのは200何人かしかないと強弁しているが、本当に、彼はその数字を信じているのだろうか。もっとも、安倍前総理の言葉を信じて、桜を見る会の前夜祭で安倍総理側からの補填が無かったと答弁していたのは彼であったことからすると、その言葉には信頼が置けない。国民が出来るのは、今からでも遅くないので、旅行業者などが、いくら宣伝しようが、少なくとも今の時点でのgotoは無視すべきではなかろうか。
感染防止と経済との両立を図るとの意図で、感染が十分に抑制されていない段階でgotoキャンペーンが見切り発車されたが、案の定、感染者の増加、重症者・死者の増加につながる結果となりつつある。日本人だけに感染しにくい、或は重症化しにくい特異な要素があるという一部の学者もいるが、それは本当なのだろうかと以前から疑問に思っていた。このままで、年末・年始の忘年会や新年会などの行事が行われるとしたら、一日の全国の感染者が万人単位で増えてもおかしくはない。
ようやくにして、会食などが感染を広げる可能性があると言われるようになったが、そんなことは、武漢での伝統的な食事会の「万家宴」が感染拡大の一因になったという、何か月前のニュースを見ていたとしたら、政権幹部にもわかっていて当然ではなかったろうか。ガース首相は、余りにも忙しすぎるのと、トップの地位にある者の特徴である孤立のために、世情に疎いのは理解できるとしても、それを補完する側近などはいないのだろうか。また、感染が増えているのに、さほど危機感を持たずに観光に出かける国民も国民だ。確かに移動そのものでは感染が広がることは少ないかもしれないが、マスクを外して狭い飲食店で飲食すれば感染しても当たり前ではなかろうか。そのうち、医療崩壊もあり得るだろう。gotoでの感染者数が百数十人しかいないって、誰がどの口で言っているのか。その人数に、観光客に接客した後、感染させられたと分かった販売員の人数も参入されているというのだろうか。gotoが感染を全国に拡大したのは状況証拠的に明らかである。そもそも、感染対策が十分でない飲食店などは、感染が今後数年も続いたら自然に消滅せざるえない。そんな業者を助ける為のgotoなのか。その上、観光・飲食業を助けて、病院を潰すつもりなのか。政府のやることが理解できない。
安倍前総理は、以前、PCR検査を拡大すると言ったのではなかったか。それなのに、彼が、幾ら厚労省幹部に発破をかけても未だに十分ではない。ようやく、保健所縛りではなく担当医の判断で検査が行われるようになりつつあるが、それでも、他の国に比べて検査数が圧倒的に少ない。これは、我が国の医療・保健行政に根本的な欠陥がある為ではなかろうか。
我が国が、世界有数の経済大国でなくなったのは最近の事だが、その陰で、医療・厚生行政面でも先進国とは言えないことが判明しつつある。野党やマスコミも、政府を批判するだけで有力な対案を示しきれていない。このままでは、経済的にも、国民に対する安全安心という面でも、不安が増すことばかりだ。
桜を見る会の前夜のホテルでの会合での代金補填で、安倍前首相側近の関与に検察庁の捜査が及びつつあるが、モリカケ問題を始めとして、安倍前首相が主導していたかどうかは別にして、忖度政治が行われていたのは確かだろう。これは、自民党政権が、当選至上主義の議員達の利益共同体であって、人事権を掌握したトップに文句を言えない体制になっていたということだろう。野党も含めて、国民不在のこんな政治が続くなら、日本の将来は益々暗いと言わざるを得ない。
国民の過半数が大学卒である日本で、一部の国民は、政府主導のgotoに大した危機感もなく乗ぜられ、未だに感染防止対策が十分ではない飲食店やカラオケなどを利用するなどは、日本の教育(自分で判断できるという教育)そのものがダメだという証拠ではなかろうか。snsやゲームなどが普及する一方で、総合的俯瞰的な視野を持たない、指示待ち世代を量産する日本の教育に疑問がある。
『米スペースXの新型宇宙船「クルードラゴン」1号機に乗り込んだ野口聡一さんら宇宙飛行士4人が国際宇宙ステーションに到着した。 「レジリエンス」と名付けられた1号機は米東部時間16日午後11時1分(日本時間17日 ..』(ヤフーニュース引用)
レジリエンス(reesilience)とは、回復力、元気、弾力性を指す言葉のようだが、コロナ禍で米国だけで20万人を超える人々が亡くなっている。武漢発のこのウイルスについては、武漢のウイルス研究所から流出した等とも言われているし、いや、イタリアでも昨年の秋から感染した人がいたとかとも言われており、その起源はよくわからない。日本でも、現在は感染爆発に至る手前にきているとも推測されている。スペースXの新型宇宙船にこの名前が付けられたのは、人々の痛切な願いを込めているとも考えられる。
来年に延長されたオリンピックについても、コロナウイルスの世界的な感染が進む現状において、無理だと思っている国民が半数以上いるとの調査もあるようだが、日本政府は、今のところは、「コロナ禍に打ち勝った象徴として開催する」との固い決意を変えていないようだ。我が国の行政については、負けると判っているのに対米戦争に突入したという、一旦決めたことを容易に変えられないという構造的な宿痾があり、危機に当たっての臨機応変な対応が困難な仕組みがあるとされているが、IOCまでも、何故、それに追随するのは疑問だ。日本政府があくまでも開催すると言い張る以上、IOCからは言い出せないのだろう。
GOTOトラブル、いや、GOTOトラベルキャンペーンは、経済的な面から言えば、投資効率が良い事業に見えているのかもわからないが、しかし、長期的な視点で見た時、感染を全国的に広げ、人々の油断を誘って、結果として感染爆発に至ってしまうようになっているとすれば、後で政府の判断ミスを問われかねない。
私的な立場で言えば、私は、GOTOトラベルには行かない。しかし、GOTOイートは利用している。それは、トラベルということになれば、感染がこれだけ広がっているので、経由地である大都市で、公共交通機関やレストランを利用するにしても、安全であるとは言い切れないという不信感があるためだが、一方、イートについては、県内で利用したことがあり換気や密室度などが判断できる飲食店なら、県内での感染がそれほど広がっていない今なら、ある程度は安心して利用できると思っているからである。
確かに、この状況が続けば、宿泊観光業や飲食店の多くは潰れる可能性はある。しかし、感染を収めるだけの有効な行動も行っていないのに、経済を優先してGOTOキャンペーンなどの無理な行動に出てもうまくゆくはずがないと思う。
政権は、大して危険性を考えずに、旅行や飲食に出かけるのも国民の自己判断というのだろうが、今起こっている事態を軽視し過ぎてはいないだろうか。