晩夏の朝、依然として続く暑さのせいか、何となくだるい。その為、今朝の散歩も少ししか歩けていない。そうだ、スーパーにでも行ってサンドウイッチでも買ってこよう。
ここ一年半は、コロナ・コロナで毎日が過ぎているような気がする。私は高齢で、肥満で、高血圧であり、もし、コロナ感染するようなことがあると、生死に関わる可能性もあるハイリスク人間だと思っている。そこで、ただでさえ引籠もり気味であるのに、猶の事、この一年半は旅行にも行かず、飲食店にもなるべく行かず、ひたすら、引籠もり生活を強化して過ごして来た。
そんな私でも、スーパーは毎日のように行く。それは、食料品などの生活必需品を手に入れる為でもあるが、そこで気付いたことは、特に、食料品価格が値上がりしているのではなかろうかということで、例えば、妻が好きなシャインマスカットなどは、昔と比べて高くて買えないと思うことが多くなった。それ以外にも消費税値上げ以降、全ての商品価格が消費税の値上げ分以上に高くなっているような気がする。
そのような折、シュリンクフレーション(英語: shrinkflation)という言葉を聞いた。その意味は、小売りされる商品の価格は変わらないままその内容量がシュリンク(収縮)していく経済現象とのこと。
全ての商品が、シュリンクしていることは無いとしても、人件費が安く大量生産の拠点であった中国でも人件費等が値上がりする傾向があることは、少し前から指摘されていたところでもあり、また、コロナ禍で打撃を受けた経済の復活を図る為に、世界中の政府が経済対策の財政出動をすることが予想され、今は、隠れた(ステルス)インフレであっても、近い将来には、はっきりと判る形のインフレとして認識されるだろう。その際、大量の国債を発行している日本政府の財政上の問題が生じる可能性もあるが、かといって、今までのような低成長のデフレ政策を続けることは出来ないのではなかろうか。
さてそうなると、年金と貯金の切り崩しで生計を立てている私としては、インフレになると私の持っている財産の資産価値が目減りし、かといって、年金額が増えることも予想出来ないので、消費に使う金額を減少させる以外にはない。非常に心配だ。そんなことも、自分の見たい現実しか目に入らないスガーリンは、当然、予想すらしていないだろう。かくして、日本は、大多数の国民を貧困状態に貶めたまま、三流国への道をまっしぐらに進んでいくのである。
東京都発表の感染者数は、このところ頭打ちの数となっているが、東京都では濃厚接触者の調査を止めていると聞いているし、PCR検査の数そのものも減っているので、全く信用できない。一方では、東京以外の全国の新規陽性者の数は軒並みに増加している。明らかに東京都の発表の数字とは矛盾しており、デルタ株の特徴である、『エアロゾル感染をし、年少者でも感染する』ということを考えると、まだまだ、油断は出来ない。なのに菅首相は、「明かりが見えている」と明言したが、そのエビデンスが何かを教えて欲しいくらいだ。確かに、季節的要因からすると、秋になれば減少傾向を見せるという可能性はあるが、その替わり、冬になれば、現在の5~6倍の感染者数となるとの予想もある。「治世者は、最悪のことを予想すべき」ということは、別に岸田氏が言わなくとも常識(日本の一部の政治家を除いて)であろうが、そのことが、何故、菅氏には判らないのだろうか。このコロナ対策については、全国規模の災害級の事象であり、司・司に任せたり、都道府県知事任せにはせず、首相自らが陣頭指揮を執って対策を進めるべきものだろう。それが、ワクチンの一本足打法だけでは、悲しいかな、到底、国民に安全・安心感を与えない。
さて、徳島市も、ようやく、50歳代の人のワクチン接種予約を開始した。ところが、昨日の地元紙の最終面で、妊婦のワクチン接種の見出しの小記事の中に、よく読んで見るとその記事が載っていた。もちろん、徳島市のホームページを毎日丹念に見ている人なら知ることが出来るだろうが、こんな広報の仕方で良いのだろうか。私は、たまたま、新聞を読んでいてその記事に気が付いたので、妻に教えることが出来たが、お上のやることは、かほど作様に市民の自助努力無しには何も進まないし、置いて行かれる人も複数出ることだろう。早速、妻は、近所の病院に行って予約を取ってきたが、一回目の接種が9月末とのこと。二回目の接種はその三週間後の予定だから、10月の中旬以降となる。しかし、その時点では、40歳代以下の人の接種が済んでいないはずなので、全市民の接種完了は、11月どころか、下手をすると来年になるかもしれないと思う。そんな緩いスケジュールでワクチンの接種を進めていながら、『安全・安心』と良く言えるものだ。間違いなく、今年の冬には、第6波の感染拡大が起こるだろう。
与党の議員の中には、「総理は良くやっている。コロナは誰が首相であっても同じことしか出来ない。」と世迷言を言う人もいるが、首相と政府のダメな所は、何かがあってから、ようやく遅れて対応をしだすことで、情報を早期に把握し、先手を打つような対策が出来ていないとしか見えないところだ。もし、それは違うというなら、国民に分かるように説明して欲しい。もっとも、「コロナ感染を推進する」と堂々と間違いを連呼するような首相では、先の議員の言葉は、全く信用出来ない。
コロナ感染が全国に拡大し、オーバーシュート状態となってから、ようやく政府が何やら対策らしきものに着手するという。余りにも遅すぎるし、コロナを全国規模に蔓延させてから対策をするって何なんだろうか。菅首相のワクチン一本足打法もデルタ株には効き目が薄いようだし、第一、未だにワクチンの予約すら出来ない人が大勢いる。パラリンピックは確かに教育的効果があるかもしれないが、そうかといって、このオーバーシュート状態の中で児童・生徒を観戦させるというのは、いささか、事態を甘く考えすぎていないだろうか。インドは、政府の公表死者数だけでも40万人、実数はその10倍もあるそうだが、そのようになってから感染者が減少に転じても遅いのではなかろうか。もちろん、コロナ被害だけで日本が無くなる訳でもないが、政府が、国民に対する姿勢に疑念を抱かれて、それでも民主主義国家と言えるのだろうか。首相が全力で応援した横浜市長選では小此木氏が敗れたが、今後もコロナ対策で失政を重ねるなら、全国の良識ある国民も、自民・公明与党に対して黙ってはいないだろう。菅首相の元には、都合の悪い情報は報告されていないようだが、そんな政府ってあるのか。旧日本軍以来の伝統を政府・自民党は受け継いでいるのだろうか。
私は子供の時から社交性に欠けていて、孤独癖があり、学校には登校していたものの、クラブ活動にも参加せず、友達も全くいなかった。そんな私の子供時代を、60代も後半の今になってから振り返ってみたとき、こんな私に、何の可能性があったのだろうかと疑問がわいてくる。というのも、今、パラリンピックの選手達が、彼らなりにアスリートとしての身体能力を見せている。
私は、年齢がいってから、個人の心身の発達には、幼少期から青年期にかけての過ごし方が作用していることに改めて気づかされることが多かった。今更である。学校という場で交友関係が築けず、むしろ、異質者として軽いいじめの対象にもなっていたが、親にもそのことを言えず、むしろ変なプライドもあり、出来るだけ隠して過ごしていた。ある日の体育の授業では、誰も組んでくれる人がいなくて、教師から、「遅れて来たんだろう」と罵声を浴びせられ、言い訳しても聞いてくれなかった。そんな私でも、死ぬことは怖くて、あまり長生きは出来ないだろうなと思いつつも、就職もし、結婚もし、子供には恵まれなかったが、今までどうにか生きて来た。
パラアスリートは、確かに、身体の一部の機能に問題があるかもしれないが、周囲の環境や本人の強い意志によってアスリート生活を成立させているのだろう。私は、この歳になって、やっと、こだわりなく若い時代の自分には欠けたものが多かったと、自分で認める気になったが、今更どうにもなりはしない。
鎌倉時代の禅僧 蘭渓道隆は、「今、現に生きていることこそ全てだ。それ以外に何を求めるのだ。」 と言ったというが、さて、さて、生きてるだけで丸儲け以外に何があるのだろうか。今、生きているということを楽しめということなんだろうか。特に、コロナ禍になってから、そのことを考えることが多い。