私は、デジタル化時代にマイナンバーカード制度は必要だと思っている。ところが、野党やマスコミは、やれ、入力ミスがあっただの、同姓同名の人に間違って紐づけただのと言って政府を攻撃し、マイナンバーカードが、さも、諸悪の根源かのように言い募っている。しかし、これほどの大きな改革にはミスはつきものであり、保険証と紐づけても、医療機関側でミスが出てくるだろうし、運転免許証と紐づけた場合、警察側の入力ミスも若干はあるかもしれない。しかし、それでもマイナンバーカードは必要だと思う。反対する人の中には、脱税をしていたり、不法入国している外国人を庇おうとしている人がいるのではなかろうか。政府もメリット面をきちんと説明すべきだと思う。何か胡麻化していると受け取られているのではなかろうか。
昼前から、雷の音がして雨が降っている。「雷が鳴ったら梅雨が明ける」という言葉があるが、蒸し暑い夏がやってきて、少なくとも三か月は、この蒸し暑さに耐える日々が続くということだろう。30℃になるまではクーラーをつけないということで頑張っているが、いっまで持つだろうか。イオンに行けば、館内は涼しいとは思うが、人々が忘れてしまっているコロナも怖い。既に県内では学級閉鎖等が複数あるらしい。政府が規制緩和とすれば、まるで、コロナ禍が無くなってしまっているように世間ではふるまっているが、本当のコロナ禍は、これからが本番のような気もする。
徳島市の阿波踊りまで二か月を切っていて、両国橋に無料演舞場を設けるなどと新聞に載っているが、沖縄ではコロナ流行が再燃しているそうで、このままなら医療体制に支障が出かねないと懸念されているとのこと。前に分科会会長を務めた尾身氏が岸田首相と面会して、第9波の可能性があり、特に高齢者が死なないような対策を取るべきと提言したそうだが、今更の感もあり、彼自身も無責任ではないかという感じもする。政府は、サミット前に合わせたのか、マスクを取っても良いなどと国民に言って置きながら、この夏に第9波が来たとして、今更、三密回避や、ワクチン接種を勧めても国民が果たして聞くのだろうか。無知な一部の国民の間では、コロナは終わっているという認識の人もいると思う。一部の医師からは、感度の高いPCR検査や治療薬の投与があれば、現在の沖縄での事態は防げたという意見もあるようだが、政府は、経済対策の為なのか、それとも諸外国の真似をしたのか、オミクロン株でコロナが軽症化したので、あたかもコロナが終わってしまったかのように感染対策を緩めてしまい、実質的に国内での感染状況が分からなくなってしまっている。私は、芸能人や野球の選手などが、体調不良で急に休んだとのニュースを見て、コロナ感染が徐々に再流行してきつつあると思っているが、国民の間の危機感は薄い。阿波踊りについても、実行委員会は、再流行に備えてどのような対策を取っているのだろうか。去年の阿波踊りでは、踊り連を中心に感染が拡大したのだった。観客も、感染禍が拡大中の阿波踊りを見に行くということは、感染しに行くのと同様であると覚悟しておくべきだろう。
昨日は、ロシアでのワグネル反乱のニュースにくぎ付けとなった。しかし、ワグネルの部隊がモスクワまで200キロの地点に達したところで、ベラルーシの大統領の斡旋にブリゴジンが折れて、ワグネルの部隊は引き返したとのことだった。しかし、ロシア南部のロストフから幾つもの州を超えて、モスクワ直前まで、ほとんど無抵抗のうちに部隊が移動出来たというのも驚きだ。いよいよプーチンの統制が効かなくなりつつあるのだろうか。ロシアは核大国であるだけにロシア国内での混乱が核使用に繋がりかねないことが心配だ。
猿之助に、母親に対する自殺幇助容疑で逮捕状が出るらしい。今日のワイドショーは、そのことが中心となるだろう。かねてから、一部の歌舞伎を支援している政治家が、警察などに圧力をかけて猿之助の事件を軽く終わらせようとしているとの噂があったらしい。これからの警察や検察のこの事件に対する姿勢が注目される。客観的にみると、猿之助が睡眠薬を用意し、それを飲んだのは両親自らとしても、寝ている両親の顔面にビニールを被せたり、そのビニール等をゴミに出して証拠の隠滅を図り、猿之助自身も自殺を図ったということだが未遂に終わったということであれば、場合によっては、彼の殺人容疑も視野に入れて取り調べるべきだろう。安倍元首相の時代にも、安倍べったりと言われた記者の準強姦容疑を、警察幹部が、もみ消したとも言われており、警察や検察の姿勢が問われているのではなかろうか。心配だ。
最近、全国的に地震が多いという印象を持っている。首都圏直下型地震もそうだが、東南海巨大地震でも起こったものなら、ようやく回復しつつある日本経済は致命的なダメージを負うことになるだろう。三流国どころか、世界の最貧国レベルまで落ち込み、国内では餓死者が出かねない可能性すらある。日本が幾ら対外資産を持っていたとしても、そんなものは一瞬にして無くなりかねない。これも、近い将来を何等見据えようともせず、若者世代にそのつけを残してきた過去の世代に大きな責任があるだろう。日本の将来が心配だ。
「だが情熱はある」の最終回を見た。山里と若林、二人の漫才師を主人公に描いたドラマで、二人のユニットである「たりない二人」などに関心の無かった人達にとっては見たいという気も起きなかっただろうし、日テレの番宣のように感じて評判は良くなかったのかもわからないが、漫才というものを志しても、下積の苦労ばかりで、しかも、当初は、それぞれの相方ほどには認められることもなかった二人だったが、空回りばかりしていても、地道な頑張りの末に、現在のように認められるようになったということで、今の世の中に満ち溢れている、成功していない者達にとっての励ましの内容でもあると思った。特に、妬み、嫉みを芸風にしている山里が、蒼井優という女優と結婚したことについては、ある種の世間の人達にとって、面白くないという気持ちにもなりがちなんだろうが、私にとっては、同じ外れ者としての共感が持てるし、妬み、嫉みの気持ちもわからないではない。
考えてみれば、今の世の中では、案外、外れ者である人の数の方が多いように思う。一生懸命努力しても報われない、折角良い大学を出ても希望する就職先に採用されない。就職しても窓際族に追いやられて仕事が面白くない。そんな人達で満ち溢れているのではないか。高齢者となっても、予想よりも少ない年金で、貯蓄もそれほど無く、仕方なく再雇用先で働いている。そんな世の中であるだけに、このドラマは、足りていない者にとっての面白さがあったように思う。また、秋に始まるという蒼井優出演の朝ドラも楽しみだ。
地方紙を見ていると、那賀町の96歳の男性のところに、頻繁に通っていたという79歳の女性が川岸で仰向けに倒れて死亡しているのが見つかり、男性の方も付近の山林で死亡しているのが見つかったという記事が載っていた。現在のところは事故か事件か不明とのことだが、老いらくの恋の果てであったのか、それともそうではなかったのかと、全く知らない人であり、下種の勘繰りと揶揄されるかもわからないが、様々な想像が浮かんで来る。それと、この事案を捜査している警察署名が阿南署とあったので、そういえば、那賀署(旧鷲敷署)は統合されて無くなっていたのだったと思い出した。それとともに、50年前の大雨の日、那賀町での雨粒が、平地では見たことも無かったような大粒だったことも思い出した。もう、何年も、そちら方面には行くような機会は無いが、約50年経って街角の風景なども大きく変化しているだろうが、私の心象の中では、今も、ありありとその当時の山村の風景が浮かんで来る。
昨日は、曇り空で、そう暑くも無かったので、図書館まで自転車で行ってきた。今朝は、6千歩余り歩くと、しんどくなって帰ってきた。暑くなってくるとともに、なんとなく日常の意欲がなくなってきているような感じがする。今日も、大リーグで大谷を見て、昼から阪神の野球を見て、日がな一日、のんべんだらりと過ごすことになるだろう。
年金生活では、ふるさと納税を選択するほどには収入が無いが、ゆうちょ銀行の株を500株持っているので株主優待のカタログギフトが送られてきた。三千円相当の品物だとのことだが、何となくうれしいような気がする。それなりに配当もあるし、ゆうちょ銀行の株は、これからも売らずに持っていたい。