conscience

my diary

梅雨の季節

2024年06月29日 | 日記
 このところの長雨で運動不足気味である。今朝は久しぶりに曇り空ではあるが雨は降っていないので、一時間くらい散歩してきた。妻が、朝の4時過ぎまで通販番組などを見ながら起きているので、私は気にせずに寝てはいるが、何か寝不足であるかのような感じがして、また、蒸し暑くなってきて少し動くと汗をかく様になってきたので、いつものスロージョギングはしなかった。
 国会が閉会となってから、菅元首相が動き出したり、石破氏や河野氏が9月の自民党総裁選への立候補の意向を表明したりと、政界は騒がしくなってきたようだ。岸田氏がダメだと言うのであれば、彼らなら、議員である目的が政治屋であり続けることのような自民党政治の在り方を、どのように変えることが出来るかということを示して欲しい。最早、政・官・業が癒着し、政治家は、自らの利権ばかりあさっていることは、国民に見透かされていると知るべきだろう。野党についても、自民党と異なると言うのであれば、かってのイデオロギー体質や労働組合に依存するような体質を改めて、国の安定した発展に責任を持ってもらいたい。批判ばかりするのではなく、責任ある政党に脱皮していると見せて欲しい。
 沖縄で米兵による性犯罪事件が頻発しているようだ。占領下の米軍犯罪が未だに続いているかのようでもある。沖縄のヒステリックなマスコミの在り方にも違和感があるが、米軍の持つ、優越的で、我が国や沖縄を見下したような姿勢も問題であろう。こんなことが続くようなら、「例え、中国や北朝鮮などの脅威があろうとも、米軍に沖縄退去を求めざるを得なくなる。」くらいのことを政府が米国に向かって主張しても良いのではないか。
 隠蔽体質ということでは、鹿児島県警の警察官の不祥事を県警本部長が隠蔽しようとしたのではないかということも取り沙汰されている。「いや、後で立件しているから隠蔽ではない」と言い張っている向きがあるが、マスコミ等に取り上げられてから立件したというのであれば、それは立派な隠蔽ではないか。鹿児島県警の一キャリア警察官僚の問題というよりも、キャリア制度そのものが問われかねない事案に思えてならない。
 小林製薬の紅麹原料のサプリで、体調不良者や死者まで出て、関連する死亡者ではないかという問い合わせや相談を小林製薬が隠していたとして問題になっている。小林製薬には、本業が製薬業者であるのに、黴が混入するような製造現場であったのを見過ごしていたということと、関連死に関する相談が多数あったのに、それを厚生労働省などに報告していなかったというのであれば、そんな会社が製薬業者であること自体がおかしい。今頃になって、テレビなどで盛んに、紅麹サプリの回収の呼びかけをしているが、そんなことは、病院などから小林製薬に問い合わせがあった最初の時点で行うべきではなかったか。
 苦情事案については、初動が大切で、その為にこそ、苦情受付窓口にしっかりした担当者を置き、その担当者が不審に思った時には、幹部にまで直接伝達出来るような仕組みを作っておくことが肝要だと思う。小林製薬には、企業マネジメントの基本が出来ていなかったということだろう。将来的に会社は潰れるにしても、関係の無い多数の従業員が気の毒だ。

コメント

成長には、人の真似ではなくカスタマイズ化こそが重要だと思う。

2024年06月28日 | 日記
 自分自身を成長させるというと、improve(develop) myself と英訳されるかもしれない。例えば、中学生とか高校生の時にこそ、その動機付けと機会に恵まれることが重要だと思う。しかし、思い起こせば、社交性の発達していなかった私は、小学校入学時の頃から友達も無く、休み時間なども独りで過すことが多く、学校生活に苦痛を覚えることが多かった。特に、高校時代は、全く孤立していて授業中なども自分自身の空想した世界の中で時間が過ぎるのを待っていたように思う。人としての成長には、他者との交流と、何かの達成経験とかが必須であると言われているが、高校から大学時代の私は、自分自身と自分の未来に諦めのようなものを持っていて、自分自身で何かを開始しようというような意識が乏しかった。そんな自分でも、70歳になる現在まで、どうにか生きて来れたのは、ある程度は、今に比べれば幾分は緩かった昭和の時代の生活環境や、(あまり認めたくは無いが、)親を含む周囲の環境に恵まれていたからかもしれない。
 そんな私でも、社会を広く知ろうという気にさせたことがあったのは、仕事の関係で、消費生活問題に関心を持ったことなどもあったし、退職前に放送大学に入学して、リスキリングというか学び直ししたことがあったからかもしれない。放送大学では、一部は、学習センターでの面接授業もあったが、大部分は、放送を視聴しての自己学習であり、単位認定試験もあったが、自分の余裕のある時間に自分の好みの科目の学習が出来たということが、学びへの興味を掻き立てることになった。結局、コースを変えて三回卒業することになったが、今考えることは、自分自身をカスタマイズ化することの重要性だということで、それが70歳の今ではなく、もっと早い時期に出来ていればということでもある。
 世の中には、慣習・風習とか、非合理的な考え方が充満していて、人と異なることをしようとすると多少なりとも妨害を受けることもあるし、自分の考え方自体も流されてしまうこともあるが、幾つになっても、自分は、自分自身で作り上げるということこそが、本質的に重要であると思う。


※「customize」の意味
 「customize」は、個々のニーズや好みに合わせて、製品やサービスを変更・調整することを意味する英単語である。一般的には、既存のものを特定の人や目的に合わせて改良・改造することを指す。例えば、自動車のカスタマイズやウェブサイトのデザイン変更などが該当する。
コメント

円安は、近隣窮乏化政策か?

2024年06月26日 | 日記
 円安が進んで、1ドルが160円になろうとしている。おかげで、海外からのインバウンド客が増えているが、輸入物価が高くなり、庶民の生活、特に消費者物価が高騰し、賃金や年金などの社会保障費の増加が追い付いていないとも言われている。岸田内閣は、政治資金集めのパーティー券などで得た裏金問題により支持率が減少したと言われているが、支持率低下に大きな影響を与えている一つの原因は、この消費者物価の高騰による生活苦があるとも考えられる。勿論、円安で輸出主体の大企業は利益を得ており、トヨタなどは、国土交通省から一部の製品の製造ストップがかかっても、実質はびくともしていない。株価が一時低下していても直ぐに回復してくるのは、この証左だろう。
 庶民における、生活苦からの政府への不満は、東京都などの都市圏と、地方では異なるだろう。東京には、本社機能が集中しており、大企業に勤務する会社員も多く、物価高にも関わらず賃金水準も高い。一方、地方においては、諸にこの消費者物価の高騰が庶民生活に大きな影響を及ぼしている。特に、資産を持っていない高齢者であれば猶更であろう。富裕層と貧困層の格差が、都市部と地方では少し状況が違うとは言いながら確実に広がっているように見受けられる。
 しかし、戦後70年以上にわたって政権の座にあったのは、自民党を中心とする現在の与党であった。彼らは、政・官・業の癒着体質を温存しつつ、社会主義的な福祉政策も一部で実施することによって国民を宥め、大企業などの労働組合を懐柔してきた。その間、大半の政治家は、家業としての政治屋であり続け、官僚などから新規に政治家に転身して来た者も、国の為というよりも、当選して政治家になることを目的としている。彼らを支える官僚や企業においては、与党政治家の多少の腐敗体質には目をつぶっても、革新を唱える野党には政権を運営するだけの経験と能力がないことを、かっての民主党政権の失敗もあって承知している。多数の国民も、体裁の良いようなマニュフェストを掲げても実現してこなかった野党には不安の方が大きいのではなかろうか。その一例が、東京都知事選である。小池氏には、胡散臭い過去の学歴もあり、最初の知事選では、自民党都議会などを目の敵にしていたのに、いつのまにか自民党にすり寄り、築地市場の豊洲移転やオリンピックでも、巧みなパフォーマンスばかりで、現実には、何が行われていたのだろうかという疑問もある。確かに、コロナ禍では、三密を言い立てて世論を誘導したが、本当に東京都のコロナ対策は成果を収めたのだろうか。これも疑問が多い。しかし、おそらく、今回も小池氏が当選するだろう。かっての美濃部都政の時に都政が滞ったという過去の教訓もあるし、共産党の力を借りようとした蓮舫氏の選挙戦術の失敗もある。それでも生活に余裕がある多くの都民にとっては、現状を大きく変えるよりも、まだ小池氏の方が良いのでなかろうか。そんなふうに思えてならない。

 「円安は近隣窮乏化政策であり日本にとってのメリットが大きい」と高橋洋一先生などが主張しているようだ。確かに、円安では輸出主体の大企業は儲かっているし、インバウンド客が増えて、コロナ禍で打撃を受けていた観光業などは一息ついていることだろう。だが、日本だけが儲かるということになると例えば、1985年のプラザ合意で急激な円高が進み、結果として我が国経済がバブルとなり、公定歩合の引き上げと不動産の総量規制でバブル経済を引き締めようとしたところ、失われた30年とも言われたデフレ時代になったように、アメリカの意向次第では、再びプラザ合意のようなことが強いられるとも限らない。しかも当時と異なるところは、日本が少子高齢化の影響を受けて衰退傾向を見せ始めていることだろうし、製造業なども多くが海外に移転してしまっていることだろう。果たして、この困難な局面を、批判だけ得意で実務的な行政経験に欠けている、立憲民主党などの野党が担えるだけの力量があるだろうかという懸念があり、裏金問題で、セレブ化し家業化している自民党政治家の相変わらずのテイタラクが表面化したとは言え、これに変る政党が未だに誕生してこないという悲劇が我が国にはある。維新についても、今回の政治資金改正法論議などから透けて見えて来たことは、自民党にすり寄ろうとする勢力がいて、万博などについても、利権の為に無理なことをやっているのではないかという疑惑があるのではなかろうか。どちらにしても、古稀の老人には知ったことでは無い。政治に無関心な大部分の若者層が近い将来泣きを見るだろうとは言えると思う。
 

 ヘドロの埋立地に今でも噴き出すメタンガス、夢の万博は今や昔の物語、昭和のおっさんと官僚達が、広告業者などを使って醸し出す夢の世界は、ギャンブルIR大国への悪魔の道なのか。





※ 最近話題の近隣窮乏化政策とは、
 政府が為替相場に介入し、通貨安に誘導することによって国内産業の国際競争力は増し、輸出が増大する。さらに国内経済においても国産品が競争力を持ち、国内産業が育成される。やがて乗数効果により国民所得は増加し、失業は減少する。その一方で貿易の相手国からすると、通貨高による国際競争力の低下、輸入の増大と輸出の減少、雇用の減少を引き起こすことになる。多くの場合、相手国は対抗措置として為替介入を行い、自国通貨を安値に誘導しようとし、さらにそれに対して相手国が対抗措置をとる。こういった政策を「失業の輸出」といい、さらに関税引き上げ、輸入制限強化などの保護貿易政策が伴うと、国際貿易高は漸次減少していき、やがて世界的な経済地盤沈下を惹起する。世界大恐慌の後、1930年代に入ると主要国は通貨切り下げ競争、ブロック経済化をすすめ、やがて国際経済の沈滞とそれに続く植民地獲得競争が第二次世界大戦の遠因となったという反省から、戦後は国際通貨基金(IMF)、関税および貿易に関する一般協定(GATT)(2013年現在は世界貿易機関(WTO)に継承)等の設立により為替相場安定と制限の撤廃が図られた(→ブレトン・ウッズ体制)。
コメント

70歳、今年も半分が過ぎようとしている。

2024年06月23日 | 日記
 この前、高血圧の治療の為に通院している病院に行ったところ、生活習慣病ということで、治療計画の一環として血液検査を受けた。少し、標準値を上回っているものもあるが、概ね、標準以内であるとのこと。塩分を控えることと、体重を少し落とすことを目標とするように言われた。また、以前通ったことのある歯科医院が廃院となった為、近所の歯科医院に新たに通い出していたが、結局、親知らずを含む三本の歯を抜歯して金属冠でブリッジにして治療が終了した。4か月後に歯科検診を予約してあるし、今のところは歯に不自由は無い。今回の歯科医院は、説明が丁寧で、レントゲンなどの写真も鮮明に私の歯の状態が分かった。歯科治療も昔のところよりも進歩しているということなんだろうと考えた。そんなことをしている内に、今年も半分が過ぎてしまっている。この間、妻と一緒に沖縄のツアー旅行に行ってきたのが一番の思い出であった。また何処かに国内旅行に行ってみようと思う。しかし、コロナも未だに完全な収束とは言えないままに、感染する人はいるが、軽症の場合が増えて来たということもあって、今は半分以上の人がマスクせずに生活するようになっているようだ。私は、人混みに行くときはマスクをしている。健康の為には、このところ、朝のスロージョギングを日課としている。しかし、平均的な健康寿命までは残り数年、男性の平均寿命までとしても十数年ということだろう。これからは、何事にも拘らず、自由な心持ちでいたい。年金と貯金の取り崩しで、最近の物価高でも、どうにか耐えてはいる。

 岸田内閣の支持率が、麻生内閣の時よりも下回っているという。自民党の政治資金パーティーで政治資金収支報告書に記載漏れがあり、それが裏金として使われているとの疑惑で支持率が一挙に低下した訳ではあるが、この問題の本質には、政治家が二世三世の時代となって家業化していることや、自己利益の為だけで政治家になる者がほとんどとなっているのではないかという問題がある。例えば、派閥順送り人事で大臣になっても、実務能力が疑われたり、つまらないスキャンダルで失職する者が多い。それを支えるべき官僚についても、様々な疑惑が取り沙汰される者もいる。本当に、彼らが国と国民を向いて政治をしているのだろうか。最近は、地震などの自然災害の多発に加え、独裁イデオロギー国家に回帰しつつある中国の脅威があるし、ロシアのウクライナへの侵略は、プーチンとそれを支えるロシア文化というものが極めて危険なものであることを示している。我が国は、米国との同盟関係によって戦後70年近く太平を享受し経済成長の恩恵も受けて来た。しかし、アメリカの大統領に再びトランプが選ばれるかどうかは別にしても、米国の力が相対的に衰えていて、内向きになりつつあるのも事実だろう。日本有事の時に米国の支援が得られるかどうかにも疑問があり、それだけに、我が国にどういった政権が出来るかが大きな問題となる。ところが、世論を誘導してきたマスメディアの健全性も失われつつあり、マスメディアの独立性も疑われるようになり、電通などの広告業者の暗躍や、偏向報道をするマスコミによって世論が左右され、愚かな政治家が首長に選ばれてしまう可能性もある。
 でも、それについて、年寄りがあれこれ言っても始まらないので、只できることは、この国と社会がどうなっていくか、表面的なニュースに踊らされることなく静かに見守るだけである。
コメント

古い日本、美しい国幻想

2024年06月16日 | 日記
 「田舎には、未だに江戸時代から連綿と続く性差別の意識と風習が残っていて若い女性の都会へ流出が続く原因ではないか。そして、それが少子化と地方の疲弊を生んでいるし、いつまでも生活力と生活感のない男性が存在するという弊害に繋がっているのではないか。」と、今朝のサンデーモーニングで加藤登紀子さんが言っていた。サンデーモーニングについては、番組自体が、やたらとリベラルを気取っていて、一昔前の社会主義者が言っていたようなことを(社会主義が善であるかのような幻想は、30年前くらい昔に終わっているはずなのに)、 未だに一方的に取り上げていて気味の悪い番組だと思っていたが、今朝の加藤女史の発言に関してのみは、何か頷けるような気がした。勿論、地方から都会への若い女性の流出の原因としては、地方の古い慣習や意識だけではなく、文科省のとってきた知育一辺倒の教育方針の問題、テレビ等での都会生活の取り上げ方、文化的広がりを持つ都会への憧れ、地方における就職機会の少なさ、などが挙げられるだろう。しかし、地方の保守意識(今までの慣習を変えようとしない意識)が弊害となり、急激な少子化が日本全体を縮小させようとしているように思えてならない。

 岸田首相の支持率が低下し続けているが、かといって、他の自民党幹部や野党について、岸田氏に替わるような人材がいるのだろうかという疑問がある。岸田首相は、様々な批判に晒されながらも、内政、外交について、安倍元首相や菅前首相が無しえなかったような成果を挙げているかもしれない。麻生氏や森氏のような実力者が幅を利かせている自民党についても、裏金問題を契機に派閥解消という前代未聞の手法を取るに至った。岸田氏でなければ出来なかったことの一つであったかもしれない。野党も批判ばかりしているのではなく、現実的な観点から、ウクライナ戦争発生以来顕在化してきた外交・安保の危機と、その中にあって、如何にこの国を安定的に運営して行くか、という議論を将来的な視点から望みたい。

 十年くらい前に、北朝鮮拉致被害者家族による講演会があったので聞きに行ったことがある。どうしてか、公安警察官のような人達も聴衆の中に数人いたが、それでも、講演の内容については、共感が持てたものだった。拉致事件が頻発した当時は、北朝鮮工作員が密入国しているのではないかとの噂が一部の週刊誌などでも取り上げられることもあったように覚えているが、当時は、政治家のこの問題に関する関心は薄く、海上保安庁や警察などの警戒態勢も手薄だったのだろう。そして、後で北朝鮮が関与している疑いがあると、拉致被害者家族が、この問題を訴えても、自民党政府も取り上げなかったし、それこそ社会党の幹部などは、北朝鮮が天国のような国だとのプロパガンダを信じ切っていて相手にもしてくれなかったことだろう。今回、政府の担当者と北朝鮮側の担当者がモンゴルで会談をしたとの報道がされている。この時期に、北朝鮮と政府担当者が会談をする意味は何なんだろうか。拉致被害者は、例え、生きていても高齢に近い年齢となっているだろうし、家族の心情は判るものの、そうかといって、レイムダック化した岸田内閣が、単なるパフォーマンス的に北朝鮮に妥協するようなことがあれば、それこそ、外交的にも、我が国全体の利益を阻害しかねないのではなかろうか。一時的な人気取り政策は行うべきではない。
コメント