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my diary

暑さ厳しき折

2022年05月31日 | 日記
 段々と暑い時期となってきた。明日で6月だが、勤め人の時には、明日からネクタイが外せると思うと、何か楽になったような気がしていたことを思い出した。今は、朝・夕は、まだ過ごしやすいが、昼間となると、自宅マンションの部屋は暑くて堪らなくなる。電気代も値上がりしつつあるので換気機能付のタワーファンで過ごしているが、もう少しすると、湿度と暑さでクーラーなくては昼も夜も過ごせなくなるだろう。どうしても暑くて堪らない昼間は、近くのイオンモール内のオーナーズラウンジで過ごすという手もあったが、一昨年からコロナで閉鎖されたままとなっているので、それも出来ない。
 ところで、タマネギすら二倍・三倍も値上げしているので、好物のハヤシライスやカレーもそうそうは出来ない。年金暮らしを選択して6年目となるが、家計での赤字が気になってきている。岸田内閣は、国民所得資産倍増プランを打ち出そうとしているが、果たして、それで貯蓄から投資へと国民の意識の転換が出来るのだろうか。先週末から、少し株価は上がってきているが、それは、米国株の値上がりの影響と思われる。今は、買いチャンスというよりも、売りのチャンスを求めるべきだろう。
 ところで、アイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」が新訳文庫版で出版されているという情報を見つけた。この作品は、1970年代に初めて読んで夢中になってから半世紀も経過したのだが、懐かしいというか、もう一度読んで見たいという気持ちが抑えきれずアマゾンで注文してしまった。年月が経てから、何度も読み返してみようかという本はそうそう無いが、この年齢になって再び読んでみたくで辛抱できなくなった。
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面倒くさい

2022年05月29日 | 日記
 朝から、アマゾンで買ったタブレットを立ち上げるのに四苦八苦していて、結局、wifi接続の認証がうまく行かなかったのは、ルーターの暗号化キーの初期パスワードの通りに入力が出来ていなかったことがわかったのは昼過ぎであった。キッチンの天井の電灯を取り換えるのにも、慣れないこととはいえ一苦労した。若い時は、こんなことは別に時間がかからずに出来ていたようにも思うと、自身が老化したのではないかと改めて思った。我が家は、お二人様世帯なので、どちらかが先に病気になったり死亡したりするかと思うと、先々のことが面倒くさくて堪らなくなる。葬式などもコロナ禍のおかげで家族葬や直葬が多くなったのは良かったが、父母の葬式などでは、遺族が悲しんでいるのに、なんでこんなに面倒くさいことを次から次にとしなければならないかとウンザリしたものだった。配偶者のどちらかが先に死ぬと、後を追うように残された者が死ぬと言うが、それは、世間の頑固に残る風習からくる、このような一種のハラスメントを受けるせいかもしれないと思ったものだった。サービス残業やネクタイの着用もそうだが、日本のクダラナイ風習はマダマダ多いと思う。😪 
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かたちあるものは、いつかは壊れる

2022年05月29日 | 日記
 諸行無常(世のすべてのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ。人生は、はかなく虚むなしいものであるということ。 )とでも言おうか、長年愛用していたタブレットが壊れたと思ったら、キッチンの電灯まで点かなくなってしまった。そんなことで、何も大げさに思うことは無いのかもしれないが、アラ古希の私としては、何事につけ自身の行く末を想像してしまいがちになる。「古希・コキ」と何度繰り返しても、そんなに歳を取ったという気持ちはしない。確かに、膝や腰が痛いということは多少はあるし、毎日、白内障や緑内障予防の目薬目をさしていても目が何とはなしに見えにくくなりつつもある。しかし、心の中では、そんなに高齢となったという認識は未だに無い。それどころか、筋トレやジョギングを頑張ってみようかとか、まかり間違えば、恋のひとつでもしてみようかという気になることもある。非才で凡庸な生き方をしてきて、未だに何事もなしてはいない。私が生きているという意味は何なのだろうか。
 
 知床の観光船事故で、未だに行方不明者の捜索を大々的にするという。一方、ウクライナでは毎日何十人もの人が殺されていて、殺された大勢の人の多数は必ずしも葬られることもなく、穴を掘って集団埋葬されたりしている。そうなると、誰がいつ死んだかもわからなくなる。しかし、平和な国に生きている日本人は、例え死んでいることが確実視されていても、実際に死体を見るまでは、万が一にも生きている可能性を考えているのかもしれないし、そして、それなくしては気持ちの切り替えが出来ないのかもしれない。諸行無常で、形のあるものは全て滅びるのが世の常である。死んでもなお、心が残るとか、魂が残るとかいうのは、金儲けに走る坊主の騙り言葉であるか、死者の魂が生きているという幻想を抱きたい遺族の気休めである可能性が強い。「死=無」、それなら、今ここに存在して、パソコンの文字を打っている私というものは何の為に存在しているのか、それとも、宇宙の幾千万という波動の中の、見る影すらない揺らめきの一つに過ぎないのだろうか。
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慣らされる

2022年05月27日 | 日記
 昨日は「ゆめタウン」に行った。いつものように私自身は本屋で過ごしている間に、妻は服などのショッピングをしていたが、平日のせいか、店内は閑散としているようであった。イオンモールなどもそうだが、土・日曜は、コロナ前に戻ったような混みようだが、平日はコロナ前よりも人出が少ないようだ。それでも、大型のショッピング店は持ちこたえているが、小さな食料スーパーなどで潰れた所は幾つもある。未来から今の時代を振り返るとすると、コロナ前とコロナ後の社会の違いがどうとかと言うのだろうかと想像してしまう。最近では、コロナ新規感染者の数が高止まりであるのに、政府からは、外でのマスク着用をしなくても良いとのアナウンスがあったり、6月からは海外からの観光客の入国を段階的に認めるとのこと。何か、徐々にコロナに慣らされて行っているような気がして、今こそ、油断ならない時期が来たと思っている。しかし、アラ古希となりつつある今、旅行などにも行ってみたいし、美味しい物も食べてみたい。心の中で矛盾を抱えている。
 昼間にワイドショーを見ていると、よくも飽きもせずに、阿武町の誤送金問題や、知床観光船問題を毎日取り上げている。しかし、この二つの問題の共通点は、公務員の削減による行政機能の衰えということでもある。阿武町の問題は、給付金を振り込む担当である出納課の職員が数人しかいなくて、しかも、ベテラン職員の異動などがあって事務処理におけるチェック機能が働かなかったということだし、知床の観光船の問題も、国交省が検査を日本小型船舶検査機構に丸投げにしていて、事故を何回も起こしている業者にも関わらずに、実質的な検査が行われていなかったことがあるとされている。ここにも、公務員の定数削減問題が背景にあったと思われるし、慣れによる形式的な検査が横行していたことにあると考えられる。
 私は、日本の人口が減少してゆく中で、公務員が足らないということは、ある面では仕方がないとしても、それを補完する対策を取る必要があるのだろうと思う。例えば、事務処理に関しては、マイナンバーと口座番号を紐づけるなどして徹底的にデジタル化し、合理化する必要があるのではなかろうか。それが、住民が反対するから出来ないのであれば、公務員を増やすような方策を取るべきではないだろうか。一つの提案としては、日本には徴兵制がないのだから、その代わりに、全大学生は、卒業前に必ず、役場や消防、病院、介護施設などの公的な機関で、2年間はインターンとして働くことを義務付けたらどうだろうか。そうすれば、公的な機関での貴重な就業体験ともなるし、役所も臨職の給料でインターンを雇えることが出来る。また、役所側は、その中で優秀な人材を見定めて確保することにもつながる。自衛隊なども、そのようにすれば、その中で、将来の予備自衛官となる人材を確保できるのではなかろうか。

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残虐な行為をどうやって防ぐのか

2022年05月25日 | 日記
 ウクライナ戦争のニュースを見ていると、何故、ロシア軍は、ウクライナで学校や一般住宅を爆撃や砲撃の対象とするんだろうか、或は、市民をレイプしたり、無差別に殺害したりするんだろうかという疑問を抱くことが多い。まるで、彼の国の行為は、日本の戦国時代に、織田軍が長島一揆や比叡山の堂衆を女子供を問わず撫で斬りにした行為と似ているように思える。そうだとすると、ロシアの軍隊や市民文化は、16世紀から進歩していないのではないかと想像せざるを得ない。こんなことは、同じ専制国家である中国や北朝鮮でも同様なんだろうか。そう考えると、日本は、戦後70年間本当に平和で、平和憲法を崇め奉ってさえおれば、他国から攻撃を受けたりすることはないというお花畑思想が与野党を問わず蔓延しているのではなかろうか。岸田首相は、防衛費を、GDPの2%にまで増額すると表明したが、ただでさえ自衛隊の人員が定員割れとなっている状態で、しかも、武器弾薬などの備蓄量で継戦能力に疑問が呈されているのに、予算だけつけてもどうなんだろうかとも思うが、それでさえ、野党や文化人と称する人達からの反対の声も多い。それならどうするのかと、そういった人達に聞くと、「外交力でどうにかしろ」と反論があるかもしれないが、日本の外交力ってそんなにあった例があるだろうか。例えば、民主党政権時代には尖閣列島を国有化して中国との関係を悪化させたし、北朝鮮の拉致事件などは関係者が全員死ぬまでは解決しそうもない。そんなお粗末な外交能力しかなくて、ロシアのように、同一民族の兄弟国であったウクライナまで武力侵攻するような専制国家に対して、外交でどうにか出来るはずがないではないか。中国は尖閣列島は自国領だと言っているし、場合によっては、琉球国が明・清国に朝貢していたことから、沖縄まで自国領だと言い出しかねない。ロシアにしても、北方領土を返すどころか、第二次世界大戦時の連合国との密約をたてにして、北海道まで自国領だと言い出しかねないところがある。そんな国々を相手に、国防軍としてすら憲法上では認められていない自衛隊や、核で脅されるとウクライナに直接介入もしてくれなかった自国ファーストのアメリカ軍が助けになってくれるだろうか。ここは、一日も早く自衛隊の存在を憲法上で明確にし、その代わりに、軍隊として、してはならないことの法規制を厳格化し、フィンランドやスイスのように、いざという時の為に、一般市民の生命と安全を守るための準備(防空壕等の設置、緊急事態法の整備等)をすべきではなかろうか。そうした準備が外交力の強化に繋がるのではなかろうか。国連が全く機能しなくなった以上、他国の善意に頼るという外交政策は、むしろ危険ではなかろうか。

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