diversion

my diary

Jアラート発出に意味があるのか。

2023年05月31日 | 日記
 北朝鮮が予告通り軍事偵察衛星の発射をして、沖縄方面の上空を通過したとして「Jアラート」が発出された。しかし、これに何の意味があるのだろうか。防空壕も整備されていない中で、国民は、この警報があったからといって何処に避難するというのか。無駄ではないのか。そんな手間があるなら、ミサイルが飛んできても完全に撃ち落とせるように対空ミサイル網を整備したたらどうか。
 勘ぐれば、危機感を必要以上に煽って、軍事費を増大させ、米国製の高い対空ミサイルを更に購入させようとする陰謀なのか。
コメント

さらば「VS東京」

2023年05月31日 | 日記
 徳島県では、「VS東京」を掲げていた飯泉前県知事が退任し、後藤田新知事に代わってから、早速「VS東京」の標語の使用は止めるとのこと。単に前知事だけが唱えていた標語なので止めることには賛成だ。そもそも、県人口が70万人を切っても依然として県外への人口移転が止まらないような魅力のない小県に、VS東京などは烏滸がましいにも程がある。
コメント

「ぼっち」の何が悪い

2023年05月31日 | 日記
 長野県の猟銃殺人事件の容疑者の犯行動機として、「ぼっち」と言われたと思ったということが報道されている。私も、対人能力に欠けていて「ぼっち」と言われとも仕方が無いと思っている者であるだけに、彼の心情もある程度は理解できるように思う。
 私の場合は、親が過干渉の割には、私が人として自立する為のことは何もしてくれなかったという思いはある。勿論、戦前生まれの両親にとって、子供は全て同じではなく、人と接することが苦手な者もいるとか、我が強い子供もいるとかいうことまで理解して私に接することを期待しても無理だっただろう。それどころか、戦後の雰囲気が濃厚に残る田舎では、祖父母とも同居する中で、他人たちの目を過剰に気にしながら、自分達が生活してゆくことに精一杯だっただろうし、他の子供と比較して自分の子供が変わっているなどと思っても、それに、どのように対処すべきかという知識もなかっただろう。両親の出来ることとしては、自然に、私が近所の子供達と同化するようになることを期待するだけだったかもしれない。
 この容疑者と私との共通点は、田舎の農家の後継者と見なされる者であったということと、大学生活がうまくいかず中退してしまったこと、対人関係が苦手で、人と接することに途中から諦めを感じてしまったことだったかもしれない。この容疑者も、農業を手伝ったり、ジェラート店を手伝ったりと、彼なりに努力はしていたのではないかとも思う。しかし、報道されていることから推察すると、親の言われた通りにしていただけで彼の自発的な行動動機というものではなかったかもしれない。おそらく、父親は市議会議長にもなるような行動力と社交性に富んだ人だっただろうし、母親も同様であったようで、その点では似あいの夫婦であったかもしれないが、それだけに、精神的な原因も若干あったかもしれない彼の孤独感は、年々深まっていったと思われる。私は、若い時に彼と同様の孤独感を抱えていたが、ただ、私には「鈍感力」とでもいうものがあったように思うし、彼のように少年野球などに入ったような経験もなく、元々、他人と親和して活動したような経験がなかっただけに、自分で空想物語を心の中で作ったり、少し大きくなった時には、読書の中に自分の世界を見つけたりして孤独感を中和していたように思う。彼も、また、サバイバルゲームなどに自分の居場所を見つけていったのかもしれない。しかし、私と彼の大きな違いは、青年期に経過した時代の違いにあるのかもしれない。私の場合は、就職したのが、第二次オイルショック期で、田舎においては、労働力不足で就職が容易な時代であった。そのおかげで高卒の資格しかなかった私でも、就職が出来たし、職場の中で数々の蹉跌はあったにしても、何とか約40年間を過ごすことが出来て、結婚も出来たが、彼の場合はどうだっただろうか。大学を中退しても、彼の場合は、実家がそれなりに裕福な農家であり、両親の言うがままに農家の手伝いをすることも出来たし、長続きしないまでも、地元の青年グループにも一応は参加する機会があっただろう。しかし、その裏で、彼の自立心や達成感というようなものを獲得する機会が少なかったと推察する。サバイバルゲーム好きから、猟銃の所持許可を取ろうということは、彼が孤独感から脱出する大きなチャンスではあっただろうし、彼の両親も、それに対して大きく反対しなかったのであれば、あるいは、彼が変わる機会と捉えていたのかもしれない。(警察の所持許可時の審査が形式的で甘いというのは全国同じで、近年では標準審査期間というものまであり、警察担当者が少し不審に思っても、その期間内に、形式的要件が合致するのにも関わらずに許可を出さないとなると、逆に問題視されることもある。精神病の有無なども、診断書を発行した病院で、本人が異常が無いと主張するだけで通ってしまう。)しかし、本来は、サバイバルゲームが好きという動機が分かれば、警察に申請した段階で許可にストップをかけられるべきであった。孤独感に苛まれていた彼にとっては、猟銃の所持許可が下りたことが、結果として最悪となってしまった。勿論、最初の犠牲者はサバイバルナイフで殺害された訳であり、銃の所持には関係が無いという人もいるかもしれない。でも、他の事では達成感の持てなかった彼にとっては、そのことで自己像を拡大していったのかもしれない。
 政府は、少子化対策としての予算を捻出しようとして、高齢者の年金財源や社会保険料にまで手を付けようとしているが、そもそも、金を配ったからといって子供の数が増えるものだろうか。例えば。過度な受験競争にかかる費用や若者の所得の低さ、そして、子供を持つことの面倒さがあるのではないかと思う。近年、明らかに治安が悪化して、男女間トラブルによる殺人事件や、闇バイトを使った強盗事件などが頻発しているように思う。50-80問題など、高齢の親を抱えた介護等に困難さを覚えている子供による家庭内殺人事件も多い。昭和のサザエさん的標準家庭の崩壊とともに、これらの事象が生じている可能性もある。現代では、子供を持つということが、明らかにリスクの一つとなっていて、個人生活の犠牲も伴うが、昭和のままの教育政策や、子育て政策を続けている政府には、この現状が把握出来ているのだろうか。孤独対策も単に若者の失業対策に予算をつけるだけとすれば、孤独感を抱えている若者にとっては、依然として住みにくく将来に希望が持てそうもない。また、高度経済成長以来、国は、全国的に都市化を進め、結果として、人と触れ合う機会を少なくしてしまっていることもある。でも、「ぼっち」が、それほどいけないことなんだろうか。他人の余計な言葉に惑わされず、世間の出来事を客観的に概観することも出来る。その為には、社会文科系の学問こそ、ある程度の年齢がいってから学びなおすということも良いのではないかと思う。

 日銀の金融政策のせいか、我が国では、約30年か40年の間、物価や賃金が上がるということが過度に抑えられ続けていた。それが、ウクライナ戦争のせいか、安倍の蓋が開いたせいかどうかはわからないが、物価の上昇が止まらない。近所のイオンでは、モールの店舗のうち、コロナ禍で耐えていた店が持ちこたえられなくなったのか十数店舗が閉店するなどしている。イオン自体には、土日を中心に客足が戻ってきつつあるのとは反対であることが皮肉でもある。しかし、イオンに行っても、値段が高すぎると、年金暮らしの当方にあっては買うのに躊躇を覚えてならない。昨日は、靴下と肌着を購入すれば20%ポイント還元とのことだったので買ってしまった。食品売り場でも、つな缶が値上がりするというので、それもパックで買った。高い物価には慣れてきつつもあるが、値段の高い物は買わないということが習慣にななりつつある。(赤札爺の独り言)
コメント

梅雨入りの日、我が国のマスメディアの陰湿さを思う。

2023年05月30日 | 日記
 昨日から梅雨になったそうで、今朝も雨が降り続いている。日課の散歩に行こうと傘をさして出かけたが、途中で靴の中まで濡れそうになってきたので帰ってきた。しかし、雨の日も嫌いではない。前に住んでいた家では、雨が降ると玄関ドアに雨蛙が張り付いていて妻が気味悪がっていたが、別に蛙が害を成すわけではないと思っていた。今年の十年ぶりという早い梅雨入りは、台風の影響でもあるのだろうが、地球規模の気象異常の影響ではないかとも思われ、日本周辺での地震の頻発と併せて何か不気味さを感じてならない。

 岸田首相のお坊ちゃんが秘書官を退任したとのこと。縁故資本主義が強まっているように感じる我が国では、首相は、跡を継がせる為の一つの手段としてお坊ちゃんを秘書官にしたのだろうか、それとも、トップの孤独感から身内を秘書官にしたのだろうか。政治家が子供に跡を継がせるということが、本当に我が国にとって良いことなのかを真剣に議論すべき時期ではないかと思う。
 
 猿之助の自殺幇助の疑いや、長野県の猟銃殺害事件がワイドショーなどで執拗に報ぜられても、ジャニーズ問題はSNSでは話題になっていても、BBCの報道があった後で一時的にニュースとして取り上げられたが、今は、それほどワイドショーなどで取り上げられることも少なくなってきつつある。別にジャニーズの現役タレントまで非難しようとは思わないが、過去のジャニーズ事務所には大きな問題があり、それに過度に忖度して報じようとしなかった我が国のマスメディアの体質が依然として残っているのではなかろうか。そもそも、魂の殺人ともいうべき性加害が、未成年の少年多数に加え続けられていたというのは、単なるスキャンダルを通り越した大きな問題であり、警察やマスコミが、そのような噂を知っていながらスルーしてきたのであったなら、権力ある者が好き勝手な行動をしてもマスコミや警察ですら黙認してきたのかという問題でもあると思われる。しかし、未だにワイドショー、特にMBSのワイドショーなどでは頑なに報じようとはしていないように見受けられる。加害者が既に故人であり時効ともなっているということも確かであるが、しかし、昭和時代からテレビ等を通じてのアイドル文化があって、毎年生み出されてくる多数のアイドル達と、それを応援する多数のファンが存在し、それがマーケットになっているという、この社会構造が果たして正しいものなんだろうかという疑問もある。そして、ジャニーズ問題は、その陰にアイドル志望者に対する性加害や枕営業というものが普通にあって、弱い立場の被害者が声をあげても無視されるという、エンタメ業界の怖さ、何かあれば弱い立場の被害者や加害者の家族には執拗に取材するが、警察などの権力者には記者クラブ制度などで一方的に流される情報に依存し、ジャニーズ事務所については、自社に関連する雑誌などへの影響も考えて取材を控えてきたという、我が国マスメディアの両面性を疑わざるを得ない。そんな古い昭和の文化は乗り越えて行くべきであるし、それすらも出来ないようでは、本当に、我が国が、自由と民主主義の良さを備えた国であると言えるだろうか。極論すれば、権力に忖度して報じない自由を主張している我が国マスメディアが、中国やロシアのそれとどう違うとでも言うのだろうか。

 雨の日、そんなことを考えた。
コメント

鼻持ちならない

2023年05月29日 | 日記
 昨夜、カツオのタタキを食べ、生ニンニクのスライスが上に添付されていたのも一緒に食べたところ、腹下しなどはなかったものの、案の定、今朝も匂いが残っていて、自分の息なのに臭くて堪らない。
 
 首相の息子が公邸に親戚などを呼んで食事会をしたのは良いが、組閣の時などに目にする、赤絨毯の階段で記念撮影をしていたのがマスコミに漏れて問題になっている。はしゃぎたい気持ちもわからないではないが、首相の息子というだけで秘書官になり、この始末であるとするならば、岸田政権も、安倍内閣と変わりなく縁故関係などを重視する日本型保守政治を踏襲していることを示しているようだ。この秘書官息子が本当に首相の役に立っているかどうか注視していきたい。

 マイナカードが他人名義の保険証や預金口座に誤って紐づけされていたという例が多数見つかりつつつある。このミスは、キャリア官僚や政府高官が、現場のことなどを深く考えることも無く、いつものように、民間任せにして、官庁縦割り式でスタートさせたことが原因だろう。人が入力する場合、必ずミスはあり得る。それを如何にして防止するかを考えるのが、最高学府を卒業して知能の高いお役人の責任ではないのか。消えた年金というのが問題になったのは、そう遠い昔のことではない。それなのに同じようなミスを繰り返すのは、ミッドウェーやガナルカナルなどで大敗を繰り返した旧日本軍幹部だけではなく、未だに同様の失敗を繰り返し続ける日本の官僚機構の欠点なんだろうか。しかし、デジタル化を推進するには、マイナカードの普及が一丁目一番地であるはずなのに、この始末ではないか。デジタル庁河野大臣も他人事ではない。
コメント