年相応の書と言うのがあります。
人それぞれではありますが、その人それぞれに生命力の春夏秋冬があるわけで、その流れに無理のない書と言うものがあると思うのです。
小中高で書いた書は、輝くばかりの春の生命力に溢れたものです。
二十代の頃に書いた書は、『どうだ!』と言わんばかりの、夏のエネルギーに満ち溢れる魅力がある。
三十、四十と進むにつれて、上達していく書技と、豊かになっていく心のバランスをとろうとし始める、初秋の趣きが出てきます。
五十、六十で円熟味を増し、中秋の豊かな実りある書となります。
七十、八十で冬を意識した枯れた趣きの書となり、九十、百となったころには、解脱した書となるのが、私の考える理想的な『書人生』です。
私はもう円熟味を増しているはずの年齢ですが、普通の人より少し遅いかもしれません(笑)
そんな私が、作為的にならないように『烈』を書いてみました。
『烈』は激しい漢字です。
込める思いによって、自在に変化していきます。
この『烈』は、朝鮮半島情勢を憂いて書いた『烈』ではありません。
柳生烈堂を思い出して書いたのです。
柳生烈堂?
誰?
そうなりますよね(笑)
『子連れ狼』の主人公、拝一刀の対極にいる柳生一族の頭です。
『子連れ狼』は三部作で、柳生烈堂はそれぞれ役者さんが違います。
大学生の頃、エキストラで第三部のクライマックスに、北町奉行所の鉄砲隊の一員として出演したことがあるのです。
場所は多摩川の河川敷。
そこで、拝一刀と柳生烈堂は死闘を繰り広げ、拝一刀は柳生烈堂に敗れるのですが、その仇を拝一刀の息子である、大五郎がとるのです。
私は走っているだけでしたけどね(笑)
大部屋で着物に着替え、手甲脚絆をつけているところへ、野太い声が廊下から聞こえてきました。
大部屋にやってきたのは、第三部の柳生烈堂役の佐藤慶でした。
すでに衣装に着替え終わり、死闘を繰り広げているメイクを施したいでたちは、その野太い声と共にものすごい迫力がありました。
その時の印象を思い出して、『烈』を書いたのです。
ですから記憶は二十歳の頃のもので、それを六十になった私が書いたと言うことになるわけです。
社会的に深い意味はない『烈』なのですが、この時期にこんな『烈』を見れば、誰もが社会的意義を感じざるを得ませんよね(笑)
でも、書き手はそうではないのです。
それでも、受け手の解釈によって変化するのは自由ですし、そのどれもが正解です。
大切なのは、世に出す作品であるならば、多くの人に感じてもらえるものであることでしょう。
大衆性やポップ性と言われるものかもしれませんね。
しかし、そこを露骨にしてしまうと作為的過ぎてしまい、品格を失ってしまいます。
かと言って、全く作為的な部分をなくしてしまうと、床に落ちていても輝くことはなく、ゴミ箱に捨てられてしまう。
他人から見た価値とはそう言うものです。
こんな『烈』でも、試行錯誤しました。
あの時の自分の感情を、四十年後の私が書くわけですから、記憶の呼び起こしや感情の高ぶりを意図的に行うことからはじめました。
五枚ほど書いて、こうじゃなかっま、ああじゃなかった、とやりながら、まあ、こんなもんだったかな、と言うところに辿りついたものです。
作品を創る目的ではなく、単なる筆遊びの領域ですから、私が楽しめればよかったですし、私が面白ければよかったわけです。
そこは喜ばしいことに、完全達成!(笑)
とても大切なところです。
それを自己満足と評価されても、本望な事なのです。
販売を目的とする作品は、作為的にならざるを得ません。
しかし、自分のためだけに書く作品は、自分を飾ったり偽ったりする必要はないのです。
ありのままの自分と向き合えば、反吐がでるような事もあるのです。
先日書いた二作品は、一つは私の脳幹的な反吐、、、
もう一つは、私の大脳皮質的な反吐が、大いにでた、おどろおどろしい物となりました。
血のつながる子孫がみれば、気持ち悪さの中に、何かを感じ取ってくれるかもしれません。
ま、捨てられてしまっても、それはそれで仕方のない事です。
そんなことを心配して、まだ見ぬ未来を勝手に想像して執着する事が、年齢にふさわしくないのですから。
書で自分を見つめ直し、さらに自分を解放しましょう。
書の力は楽しく生きる力につながりますよ。