『懐かしき名なりしフリダリラのこと』
池内友治郎が昭和11年にパリで詠んだ句です。
内容もいまいち明確に捉えきれないのですが、そのモヤモヤがこのかな作品の原動力なのかもしれません。
かな作品の基本を破る大胆な構成です。
同じ形の『な』と『し』を、頭を合わせ、しかも隣り合わせにしています。
アバンギャルドだ〜(笑)
基本は同じ形を避けるために、変体仮名を使ったり、変形させたりするのですが、そうはしていない。
『フリダリラ』はドイツ語で『接骨木』と言う解説もありますが、この『フリダリラ』は『ライラック』の事だと言う解説もある。
なるほど、ライラックとするなら『し』を茎に『な』を花に見立てることはできるけれど、ならば三回目の『な』を点にして省略しているのはなぜ?
さすがに多すぎると感じたのかな、、、
なぜ池内友治郎は『ライラック』を懐かしがったのか?
それは宝塚歌劇団を思い出したからでは無いか、と言う説があります。
宝塚歌劇団で歌う『スミレの花咲くころ』にはドイツ語の原曲があって、ライラック(英語)とリラ(仏語)の事を歌っているのだそうです。
それがなぜ『スミレ』になったかと言うと、当時日本ではライラックやリラは馴染みがなく、すみれ色のライラックをイメージして『スミレ』にしたそうなのです。
昭和11年といえば、日本では2.26が起きた年であり、世界ではドイツ帝国がプロバガンダとして利用したベルリンオリンピックのあった年です。
しかしパリだけは、アーティストにとって最後の楽園だったのかもしれません。
当時のパリには多くのアーティストが集まっていましたし、そのなかには岡本太郎もいました。
池内友治郎もきっと多くのアーティストと親交を深めながら、モンマルトルのムーランルージュに出入りして、本場のレビューやダンスを鑑賞したに違いないのです。
そこに忍び寄るドイツ帝国の影を感じて、ドイツ語の『フリダリラ』を使い、『リラ』を連想させたのか、、、。
本場キャバレーの生々しいレビューより、宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』を懐かしく思ったのか、、、。
頭の中が、混沌としてきました(笑)
鵞翠先生は、この句を読みきって書かれたのかもしれませんね。
右側の空間に、何を感じさせようとしたのか。
みなさんそれぞれがそれぞれに感じてくだされば、この作品にとって本望でしょう。
原本をお回しいたしますから、ぜひ手にとって鑑賞なさってください。
以上、競書かな課題の私的解説でした。