楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

恋の浮島

2016-10-15 22:40:35 | 映画、演劇、コンサート


昨日ラジオを聞いてましたら、徳大常三島キャンパスでモラエスの映画が無料上映されるという情報をキャッチしましたので、ちょいと足を運んできました。
映画と言ってもDVD鑑賞で、上映に先立って元岩波ホール支配人高野悦子さん秘書の大竹洋子さんの講演がありました。



どなたかの頭も写してしまいましたが、徳島へ来ると言うことで、ご覧のように大胆な模様を染め出した藍の洋服をチョイスされてきたそうです。
休憩時に配られたポルトガルのお菓子、金平糖(confeito)も氏の方でご用意下さったそうで、たまごボーロは、大学のモラエス研究会がそれではウチもとおまけの追加菓子。何故たまごボーロだったのかは聞き逃しました。



さて、その「恋の浮島」ですが、予想外の内容でして、ちょっとアングラ的印象を持ちました。
トップのスキャナしたパンフレットには、パウロ・ローシャ監督作品で、1982年カンヌ映画祭正式出品、57年度芸術祭参加作品とあります。
この映画の構成のもととなっているのが、屈原の九歌と言うことで、映画のあらすじ共々少しお話してみます。

屈原はくつげんと読み、中国戦国時代の楚の政治家で詩人、九歌というのは彼の詩集(楚辞)「離騒」に出てくる古代楚国に伝わる神楽歌だそうです。
つまり、モラエスの生涯を描くに、そのままドキュメンタリー風に追っかけるのではとても時間が足りないので、神楽歌に乗っけたオムニバス形式の構成にしたという訳です。

なので、まずプロローグの神話の世界の女神をモラエスの恋人イザベル役の女優が、男神をモラエス役の男優が演じています。
イザベルには身障者で画家の夫がおり、モラエスの妹フランシスカと同居しているようです。
夫がいながらモラエスを愛するイザベラ、妹でありながらそのイザベラに嫉妬するフランシスカ、もちろん妻の不貞に苦しむ夫の画家。
それぞれの愛憎が渦巻くポルトガルの地から逃げ出すようにモラエスはマカオに飛びます。
マカオでは亜珍という茶屋勤めの女と結婚し、子供もふたり設けますが、モラエスにとっての安住の地とはならず、憧憬の日本へと向かいます。
神戸駐在の領事になったモラエスは美しいおヨネと運命的な出会いをしますが、おヨネは病に倒れ、故郷徳島への望郷の念を抱いたまま息を引き取ります。
おヨネの死後、彼女の菩提を弔うため、モラエスは徳島に移り住みます。そこではおヨネの姪のコハルがモラエスの面倒を見ることになります。

残念ながら、DVDは休憩を挟んで前編、後編の上映となっていた関係で、最後まで見るのは時間的に難しかった私はここまでの前編しか見ることができなかったんですが、全体的に詩的で高尚な言葉が散りばめられていて、重厚な雰囲気を味わいました。

歌舞伎の黒子役のように、画面に登場してるがあえてそこにはいない、見えてないというお約束に基づく進行役の女神が日本の地において御者役や仲人役(?)のような役割を担っていたのが不思議と違和感なく受け入れられました。

本も映画も老人の憐れな末路を淡々と描いているように思われました。
ただ本人は納得の、あるいは覚悟の人生の終え方だったのでしょうか。その心の真は誰知ることのない謎ですが、自分自身のエンディング、ちゃんと設計図を引くことの出来る人間なんて、あんまし居ないんじゃないですかね。
それでも孤独死という言葉の冷たさに何だかしゅんとしてしまいます。
コメント (2)
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ネタばれ満載でシン・ゴジラ

2016-08-05 22:28:32 | 映画、演劇、コンサート


面白かったです。
マイナー中のマイナーなブログですから、ネタばれ満載でお話してもたいした影響があるとは思われませんが、一応虚心坦懐に映画をごらんになりたい方はスルーしてね。

東京湾に浮かぶ無人のクルーザーを調査中、突然爆発が起こったり、それに関連してか高速道路のトンネルが崩れるなど原因不明の事故が起きる。
日本政府は原因の究明とその対策に、対策本部を立ち上げるが、議論を待たずして、海から常識では考えられない巨大なトカゲに似た生物が出現し、それはビルの立ち並ぶ街に上陸する。

この時の姿はポスターで見るゴジラとは違い、感情の読み取れない丸いおもちゃのような目玉、体表の色も赤っぽく、(何だ?こいつはゴジラの赤ちゃんか?)と思わせるような無邪気さを漂わせながら、まさにトカゲのように這って進むことで、その巨大さ故にレゴ細工に見えるビルを破壊してしまう悪意なきデストロイヤーのようだったのですが、ところが、こいつは進化していくんですね。

街の真ん中で突然動きを止めたその生物は這っていた身体を起こし立ち上がると、身体に合わない小さな腕をはやします。
そうして何故か、パニックになっている人間たちに背を向け、いったん海へ戻ります。

主人公は内閣官房副長官の矢口(長谷川博己)。
矢口の元にアメリカからの要人カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)がやってきます。

長谷川博己、きりりとした“しょうゆ顔”が緊迫感漂うシーンによく似合ってます。
石原さとみ、やり手政治家のオーラをまとって、ぺらぺらと英語をまくし立てるかっこいい役です。
平均に、登場人物(エリート集団ということでみんな頭がいいせいでしょうか)ほとんどが早口で、聞き取るのに必死になってしまいます。
滑舌の悪い人間は役者にはなれませんね。

さて、カヨコは今回の騒動の鍵を握るある人物を探してほしいと矢口に依頼しますが、それはかなわず、しかし、彼の残した資料が、かの巨大生物を「ゴジラ」と命名する誘因になります。
矢口は特別チームを設立して各分野のスペシャリストの人間を集めゴジラの謎を解明しようとします。
しかし、そこへ、以前よりも2倍近くも大きくなり、黒々と強大な要塞のようなゴジラがシズシズと(感じられるのです)現れます。
自衛隊が出撃し、攻撃を仕掛けますが、まるで歯が立ちません。
応援を要請していた米軍機のミサイル投下により、さすがのゴジラもダメージを受けたかと思われたんですが、傷ついたゴジラの背びれあたりから眩しい光があふれ出し、口からはすさまじい光線を放ちます。

このあたりはナウシカの巨神兵を彷彿とさせます。

結局、並の手段でゴジラを止めることは不可能と判断した多国籍軍が核攻撃を決定するのですが、矢口たちのチームもゴジラの血液の凍結という方策を探り出し、入念な作戦のもとストップゴジラのカウントダウンが始まります。

いやもう、書き出したら切りないんで、はしょります。

政府の人間のおしゃべり、動きには相当のリアリティを感じたんですが、一般庶民の恐怖やパニックの状況というのが、ほとんど描かれていないのが残念だったと思います。
ただ、やみくもに逃げ出すシーンだけ映し出されても、人間一人ひとりの感情は見えてきません。
ワンシーンでも家庭での家族との会話を入れてたら、現実味は増したろうにと感じました。
「日本はどうなるんだよ」「俺たちどうすりゃいいんだ」それを考えるのは政治家だけではなく全国民でなければ、ウソです。

ゴジラの凍結に成功し、巨大なモニュメントが出現したわけです。
それが何を語る?何を読み解く?
余韻を感じる映画でもありました。

野村萬斎さんが「ゴジラ」のモーションキャプチャーのアクターを務めていたということで、シズシズの合点が行きました。


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「母と暮らせば」観てきました

2016-05-15 22:59:53 | 映画、演劇、コンサート


阿南市夢ホールでの上映。近場というのは腰が軽くていいです。

ご存知、山田洋次監督の作品で、長崎で助産婦をして暮らす伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二(二宮和也)が現れる。もちろん生きてたと言うことではなく、亡霊としてです。

浩二の恋人・町子を黒木華、ずっとお話が後半に差し掛かって現れる町子の結婚相手として浅野忠信、伸子に惚れてる闇屋ブローカーを加藤健一というキャスティングですが、私は加藤健一さんをまったく知りませんでした。

シリアスで胸をわしづかみされるような作品ではなく、ファンタジー仕立てのほのぼのとした作品だったのですが、自然と涙がこぼれ落ちてきて、しみじみとしてしまいました。

映画評ではなく、画面を見ながら感じたことをいくつかランダムに列挙してみます。

ひとつ
小学校の教師になった町子がオルガンを弾いている場面で、教え子の子供たちがぐるっと取り囲んでいるのだが、いかにも純朴な昔のご面相の少年少女を配してあって、面接でイメージに合う子役を選りすぐったんだろうかとつい考えてしまいました。

ひとつ
富司純子さんもそうだけど、黒木華さん、いつ見ても首が細長くて美しい!
いつぞや新聞で誰かが、太陽のように主張する女優ではなく月のように優しく共演者に寄り添うように存在感を表現している風なこといってたけど、顔がしゅっとしてないのに、首筋が垢抜けているもんだから、やぼったく感じないんですよね。

ひとつ
坂の町、キリスト教の町という長崎の土地柄を興味深く見ました。

ひとつ
ただ、台詞回しが長崎弁と標準語とがごっちゃになってて、長崎の人が聞いたら奇異に感じたんじゃなかろうか?

ひとつ
ずっといい人というイメージを抱いていた伸子が、新しい婚約者を連れて町子が挨拶に来て帰った後で、「何で、浩二は死んじゃって幸せになれないのに、町子は幸せになるの?不公平じゃない」といった台詞を吐くシーンがあって、監督が本音として言わせて、悲しみを表現したかったところかもしれませんが、唐突な印象受けました。

ひとつ
二宮君の演技については、特別うまい下手という感想を抱かなかったので、実はうまかったのかもしれません。
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「スキャナー」観てきました

2016-05-08 19:32:49 | 映画、演劇、コンサート
萬斎さま主演の作品ですから観ておかねばなりません。
サイコメトラーという漫画がありましたよね、その能力、物や場所に残った人間の記憶や感情などの残留思念を読み取ることができる能力を持つ“仙石和彦”を萬斎さまが演じてます。

仙石は、かってその能力を使い、マイティーズというコンビで世に知られたこともあったが、その能力故に精神を病み、自らを追い詰め、コンビは解散。
以来、マンションの管理人として人目を避けた生活を送っていたのだが、行方不明になった自分のピアノ講師を探して欲しいという一人の女子高生(秋山亜美)を伴って、かっての相棒、“マイティ丸山”が訪ねてくる。

秋山亜美が「杉咲 花」、マイティ丸山が「宮迫博之」というキャスティングです。
「安田章大」って何者?若手の俳優さんかと思ってました。関ジャニ∞のメンバーなんですってね。
あいにくわたくしめシニアでございますので、この度初めて知りました。
何しろ今回、丸山の所属する芸能事務所の社長を演じている高畑淳子さんを、仮面ライダーのマリバロン役で出ていたのをリアルタイムで観てた世代なもんですからね(^m^〃)

まあ、宮迫博之は芸達者という印象受けます。陽。
萬斎さま、男前過ぎないお顔が色んな表情を見せてくれるんですね。
演出と分かりますが、前半はちょっとお間抜けっぽい、頼りない人物として描かれてますが、だんだんお話が進むにつれて、その表情に陰影と凄みが加わり出して、かっこよくなっていきます。

お話は破綻は少ないものの動機の説得力が弱いのではという気がしました。
まだ、何かあるだろう・・と疑り深く謎解きの行方を追っている観客に対して、「え?」と意表を突く転換点が用意されてます。
そして犯人が分かった後にも、丁寧という印象のあるフォローで陰惨さを和らげる余韻を醸してます。

きれいなお顔の木村文乃さんは、ファンならアップが再三出てきて喜んだでしょうね。
アップに耐える美しい顔というのは、素材としてすばらしいと思いますが、演技力への評価がややもすると公正でなくなる危険もあるような気がするのは杞憂でしょうか。

その点、秋山亜美役の杉咲 花さんはかわいいお顔ですが、大きな瞳がよく感情を写して、好感を抱きました。

小さなところで気になったのが、小道具として出てくるボールが、年月経ってるのにきれい過ぎるところ。
また、小さな子供の残留思念が大の大人の女性のキャラを乗っ取っているのではと推理するシーンがあったりするのですが、物語の流れ上の常識で考えて、そんな怪しげなものが現実的な強さと永続性は持ち得ないだろうと思わず反発してました。

さて、仙石和彦は少年のころの記憶を持たない設定なんですね。続編期待します。
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白駒妃登美さんの講演

2016-02-24 12:07:40 | 映画、演劇、コンサート
(株)ふじやグループの謝恩講演会の今回の講師が白駒妃登美さんでした。
聞いてきたのは昨日だったんですが、どんなふうにレポートしようかと考え中に眠ってしまいました。夜はナメクジになるからダメだわ。
さて、わたくしは講師の白駒妃登美さんという方を昨日までまったく存知上げておりませんでしたが、プロフィール紹介によりますと
昭和39年埼玉県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、大手航空会社の国際線客室乗務員として7年半勤務。現在福岡を拠点に結婚コンサルタントとして活動する一方、“博多の歴女”として歴史講座を積極的に展開。著書に『人生に悩んだら「日本史」に聞こう』祥伝社他とあります。

講演は、たっぷりと蓄えた好きな歴史の知識を駆使しての、情熱的で且つ、抑揚の聞いた語り口がとても魅力的でした。

氏は6年前に子宮頸がんと診断され、その時は手術と放射線治療で乗り切ったと思っていたのが、2年後の経過観察時に肺に転移していると言われます。
絶望のどん底に落とされ、笑顔を失った氏に、しかし親友の一言が人生を変えたと言います。
「私は妃登美ちゃんが笑顔じゃなくても、どんなに不機嫌でも、生きていてくれるだけで嬉しい」

世の中に、一人でもそう思ってくれる人がいることが、どんなにありがたく幸せなことであるかを実感するんですね。
自分を応援してくれる家族や仲間がいて、日々食事をいただける、何気ない日常生活のひとつひとつに感謝と喜びの気持ちが沸き起こり、「たとえ、病気が治らなくても幸せ」と感じられたと言います。
そして、3週間後、抗がん剤治療を受けるべく事前検査を受けた際、なぜかすべてのがん細胞が消えていたと言います。

お金や健康など幸せに“条件”を求めるものではないということに気付くことにより、「善・悪」「損・得」「勝ち組・負け組」といった二元論に基づく「目標達成型」とは別に「天命追及型」という生き方があるのだと気付かされたと続きます。

「天命追及型」とは、将来の目標に縛られることなく、自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。
それを続けていくと、天命に運ばれ、いつしか自分では予想もしなかった高みに到達するという考え方で、自分の夢だけを叶えるfor meより、周囲に喜びや笑顔を与えるfor you の精神、つまり志が優先という考え方です。

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