宮部みゆきの「おそろし」の続編にあたるようだ。
“逃げ水”“藪から千本”“暗獣”“吼える仏”の4編が収められている。
一話ずつ完結の形は取ってるが、物語は主人公の周りの人物を少しずつ増やしながら、物語の世界を押し広げて進め、深めて行く長編小説の様相である。
いずれも江戸の考証に対する興味と細かな人情の機微が面白く、すいすいと読み進めてしまった。
“逃げ水”ではお話の筋ではなく「一度や二度殴り合ってみりゃいいんですよ、男の子なんて。それが(仲良くなる)早道です」という言葉に、バーチャルの世界で手探りしているような今の子供たちの頼りなさをちょっとした痛みと共に思い致しました。
“藪から千本”では斜に構えてものを見る、底意地の悪い見方をするというマイナスに捉えられがちな視点も、相手に対する慈しみの気持ちを添えた深い洞察力への通過点なのだ、表面に表れた現象を責める気持ちに耐えて、その元を見つけなければ問題は解決しないんだと今更のように自分の浅さを反省しました。
“暗獣”性善説を信じたくなります。人の優しさは悲しみや苦しみに耐えることで発現するという図式の切なさ。
“吼える仏”ここにも絶望の中に必ず一筋の希望が描かれています。
全体に登場する異形のものが何か可愛らしく哀しい。
およそ現代にもって来れば非科学的と断じられるだろう不思議な現象は一つの道具立てに過ぎない。
底に流れているのは人間の営みに対する細やかな観察眼と愛情で、ぶれない人間に対する信頼感がずっと貫かれていてホッと安心できます。