楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

山田太一講演会に行ってきました

2015-02-08 23:52:49 | 映画、演劇、コンサート

良かったです。。
毎年開かれている小西さん企画の北島町創世ホールでの講演会。
こんな家族を書きました 「早春スケッチブック」がめざしたもの という演題でした。
有名脚本家ということで、会場は超満員、立ち見のお客さんがたくさんいました。
わたくしは早めに会場に着いたYさんが席を確保してくれてたおかげで、ギリギリの到着にもかかわらず、よい席で聴講できました。
(アリガト、Yさん)

さて、この「早春スケッチブック」というのは1983年1月7日から3月25日、連続12回藤テレビ系で放映されたドラマで、およそ30年も前の作品です。わたくしは見た記憶がありません。
もっとメジャーな「ふぞろいの林檎たち」をタイトルに掲げていたら、多分もっと聴講者数は増えていたと思われますが、あくまで小西さんの個人的に深い感銘を受けた作品をというこだわりだったのだろうと思います。

ざっと内容を紹介しますと、
高3の和彦の母(都)は10年前、和彦が小2の時に、やはり2歳の娘(良子)を連れた今の父(省一)と再婚する。
母はパート、父は信用金庫に勤める平和で平凡な家庭におさまっていたはずなのだが、ある日死んだと聞かされていた実の父親(竜彦)が和彦の前に現れる。
彼は脳腫瘍で余命いくばくもない身の上で、死ぬ前に息子に会いたくなったのだ。
彼はフリーのカメラマンで独特のポリシーを持ち、凪いでいた和彦の家庭に不穏な波風を立てることになる。
おりしも受験生だった和彦はレールに乗っかった自分の生き方に疑問を生じ、父省一と衝突する。

和彦や良子は、おりおりに会って話をする竜彦の言葉に魂を揺さぶられるんですね。
竜彦の言葉というのは、まさにテレビを見ている平凡で平均的な家庭に「それでいいのか!」と罵声を浴びせる必要を感じた山田太一の言いたかった言葉にほかなりません。

例えば
「少しずつ何かを諦めたり、我慢している訓練は、しなきゃいけない。そういうことをしねえと、人間、魂に力がこもらねえ。しょっ中、自分を甘やかして、好きなようにしてるんじゃ、肝心な時に、精神に力が入らねえ。何かをドカンとやることが出来ねえ」

「生きるてことは、自分の中の死んでいくものを食い止めるってこったよ。気をゆるしゃあ、すぐ魂も死んで行く。筋肉も滅んで行く。脳髄も衰える。何かを感じる力、人の不幸に涙を流す、なんてぇ能力も衰えちまう。それをあの手この手を使って、食い止めることよ。それが生きるってことよ。」

これは生きてる人全てに対してのエールですよね。少なくともわたくしは元気もらえます。

講演が始まる前の講師紹介で司会の小西さんが山田太一先生ではなく、山田太一さんと言っていたので(あら)と思っていたら、本人からそのような申し出があったそうで、そうした感性がそのたたずまいから受ける印象とも同調してなんとなく納得したのでした。

わたくしも長年この企画の講演には出来るだけ参加してきましたが、多分、今回のような小西さんと山田太一さんの対談という形式をとったのは初めてじゃないかと思います。
対談に入る前にプロジェクターで、講師の経歴紹介と、「早春スケッチブック」の映像が少し流されたのも、「つかみはオッケイ」的に話の理解にすんなり導入していくうまいやり方だったと思います。

で、二人の掛け合いというのが、進行役の小西さんの巧まぬユーモアが功を奏して、ほほえましい雰囲気なんですね。
脱線しかける小西さんにぶれない山田太一さんがやんわりたしなめる風な場面もありましたが、80歳になられたという山田太一さん、ほんとうに筋が一本しゃんと通っていて、尚且つ謙虚な姿勢が気持ちよく、信頼出来る人間という感触を持てたのは自分にとって幸福でした。

「いくつになってもクリアな頭と他人に対する配慮を失わない人間でいたい」という気持ちを抱えて帰途に着きました。

終わり。
コメント
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