合わせる内布にいいのがなくて「うむむ」なんだけど、ファスナー付けは大分上手になってきた気がする。
さて、本日、親戚の法事がありまして、夫と出掛けてたのですが、場所が興源寺と言う臨済宗のお寺で、蜂須賀正勝公(小六)のお墓がすぐ近くにありました。
高野山奥の院あたりでよく見かける屋根をかぶせたような高さのある古い石のお墓ですが、御影石の現代流のお墓に混じって、あちこちにそうした古いお墓が残っていて、多分由緒ある武家のお墓だったんだろうが、継ぐ人もなく、家は絶えたのではないかとは夫の言です。
その親戚のお墓も自分が入るためにお金をかけて立派なものを作ったと聞きましたが、(もちろん子孫のことも考えてのことだったんでしょうが)わたしは散骨でいいけど・・・と今のところは思ってます。親戚の中には自分が死んだら坊主を3人呼べと遺言して亡くなった人間もいるんですが、死ねばそれまで、死んだ後のことは知ったことではありません。来世があるとも考えていませんし、今を精一杯生きてれば、それで充分、ではないんでしょうか。
ただ、集まった大人に混じってかわいい子供の姿を目にすると、やはり、孫を見てみたいという自然な気持ちが湧き上がるのは如何ともしがたい。
これも縁なり、運命の支配するところ、時を待つしかないというのが結論になりますかね。