でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

縦横無尽ライブ※追記あり

2021-06-12 22:51:50 | 宮本浩次
私は宮本浩次推しである。

2年前にNHKの「うたコン」で
「雨上がりの夜空に」をカバーするお姿に一目ぼれ😍 
(最初がカバーだったというのもいかがなものか)


ミヤジの何がよいかというと

歌っているときの目力がすごいんですよ・・
あのいっちゃった目が!

トーク番組に出ても、立ち上がったり歩いたりしながらじゃないと
しゃべれない落ち着きのなさが!

スタジオ中を駆け回っても
決してカメラの画角から外れない気配りが!

この関節技が!



本日6月12日はお誕生日だそうで(おめでとうございます)
バースデーライブを配信で見ました。


1曲1曲、Twitterの皆さんと「いいわ~」を共有しながら鑑賞。
これもまた配信ならでは。今どきの感じで面白い。

私の好きな「冬の花」や「ハレルヤ」もよかったけど
独りで歌う「獣行く細道」もいい感じ。

2時間みっちり、濃い時間でした。
ラスト1曲を終わった瞬間、
破顔一笑のミヤジにこちらは涙。

観客席からはもちろん声援は聞こえず、
手が痛くなるほどの拍手と手拍子だけ。

大声で声援を送れる日、早く戻ってきてほしい。

※追記
土曜日に配信されたライブ、
火曜日23時59分までアーカイブが配信されていて
繰り返し見ておりました。

見逃していた新たな表情をいくつも発見して
スマホとパソコンでスクショの嵐。
絶唱するミヤジにまたしても涙。
沼は深まる一方です。









2年ぶりのあじさい

2021-06-07 23:05:36 | Weblog
小田原城のあじさいが咲きました。


去年も同じ時期に歩いていたのですが、
まったく花がなくて切ない思いをしたのを覚えています。
いま調べてみたら、人が来ないように刈り込んでいたとか。

久しぶりの紫陽花は、2年分まとめて咲いたよう。
遠くから見ても、息をのむほどの鮮やかさでした。

 





世代の壁というか溝というか

2021-04-05 23:33:53 | Weblog
DJ小林克也「ベストヒットUSA」40周年なぜ80年代青年の胸を打ち続けるのか

日曜日の特番、懐かしい曲がいっぱいで楽しかった!
「スリラー」のMVが懐かしすぎ!
ライオネル・リッチーへのインタビューで
ところで引退の予定は?と聞いて、君はどうなの?と返されていたのが
歴史を重ねたひと同士の会話でイイ感じでした。

そういえば前にこのブログで、
うちのダンナが職場で
「モーリス・ホワイトが亡くなってガックリきている」と話したら
職場の若い人がモーリス・ホワイトを知らなくて
さらにガックリしたという話を書きました。

ベストヒットUSAを見ながらこの話になり、
世代が違うんだからしょうがないよね、と話したのですが、
考えてみたら私はかつて
米津玄師は実態の存在しないヒト(初音ミク的な)と思っていたので
なんだかお互い様な気が。



今年も、さくらが咲いて

2021-03-31 23:41:14 | Weblog
今年も桜が咲きました。


1年経ったんだなぁ。

仕事でヘッドセットが必要だ!と帰り道にあわててドンキに駆け付けたら
そこの棚だけキレイに空っぽで、
上司にlineで「ゲーム用のロゴ入りしか在庫がありません!」と連絡した。

マスクが手に入らなくて、突然手縫いでマスクを作った。
スーパーからコムギコが消えた。
東京の友達に宅急便でトイレットペーパーを送った。

Zoomって何を大きくするのよ?と悩む間もなく
会議がオンラインになった。
職場のオトーサンたちが「Zoomなんて今までの人生で経験ないよ」と
ブチブチ言っていたが、私もなかった。

カラオケに行けなかったので一人カラオケを購入して
ひとりで食卓で大声で歌った。
音漏れがないか、スマホで録音してみたら
私のアカペラが部屋中に漏れていた。
ご近所には聞こえなかったと信じたい。

呑み会もオンラインになった。
↑ これはこれで楽しくて継続中。

ダンナ様は在宅勤務になった。
↑ 人事異動により、今月末で終了しました。

毎日毎日初めてのことが起こっていた。

今年度中に、この1年のことをまとめてみたくて
思い出した順に書いてみました。

1年経ってみて、いま、
まだ沖縄にも群馬にも帰れていない。
それどころか、新宿にも行けてない。

これからどうなるのか、
誰にもわからないけど、
また春が来て、
ひとまず、目の前の宿題を片付けながら
一歩ずつ歩いていくしかないですね。










湘南ライナー、終電到着

2021-03-13 01:26:48 | Weblog
15年間の東京通勤生活を支えてくれた湘南ライナーが
2021年3月12日でその役目を終えました。

私が乗っていたのは6時58分発の東京行き。
国府津駅から見える海が好きで、
いつも窓際の席に陣取っていました。
季節によって日の出の時間が変わっていく水平線を眺めて、
そこからは目を閉じて睡眠不足を補っていた。
ああ、今日も仕事かとうんざりしながら。

この電車は、東海道線でトラブルが起こると
(たぶん)一番最後まで待たされる立場。
ウトウトして目が覚めたら横須賀線?貨物?の
一度も見たことがない浜川崎駅のホームにいてびっくりしたり
いくら遠いからって小田原東京間が片道4時間って何事だと
すっかりお昼になった東京駅で呆然としたり
とにかくエピソードには事欠かない電車でした。

2階建(215系)の車両は天井が低くてリクライニングもなく
冬は寒く、夏も寒く(冷房ききすぎ)いつも足が冷える。
(通勤用のレッグウォーマーを持っていた)
決して乗り心地が良い電車ではありませんでした。
でも、片道80kmの遠距離通勤を支えてくれたのは、
高確率でチケットが取れて(小田原は当日買える率が高かった)、
確実に座れるこの電車だったのです。

その姿を最後にもう一度見たい気もしたけど
(実際、小田原でイッパイやってから、
これから東京に行って、ラストランで戻ってくるという猛者もいた)、
まあ、湘南ライナーのことは、このブログが覚えてるからいいか。

もう、最終電車は小田原駅に到着済み。
お疲れさまでした。










あの日の記憶

2021-03-11 23:18:50 | Weblog
2011年3月11日午後2時46分。
少し寒い日だった。
都内の職場で揺れを感じた。
「少し大きいね」
普段ならすぐに収まる揺れが収まらなかった。

休憩室の小さなテレビで
人が津波にのまれるのを見た。

お台場で火事だという話を聞いた。
東京タワーが曲がっていた。
電話がつながらなくなった。

遠距離通勤組は帰れないと、
近所の旅館で一部屋を確保した。
地震から2時間ほどで、
コンビニの棚が空っぽになっていた。

日暮れごろ、職場の近くに食事に向かうときに見た
ヘルメットをかぶって帰宅する人たちの波。
その波に逆らって歩きながら
いま自分がいる世界はリアルなのかと疑った。

夜になって、テレビの画面では
製油所の火災を報じていた。

新幹線が動いていると聞いて、東京駅に向かった。
大手町から東京駅への通路には
帰れなくなった人たちが座り込んでいた。
卒業式の袴を着ているひともいた。

薄暗い東京駅の中で、
東海道新幹線乗り場だけに明かりがついていた。
新幹線に乗った瞬間、安心感で腰が抜けた。

写真はほとんど残っていないけど、
ひとつひとつのシーンは、忘れようにも忘れられない。

あれから10年たったのですね。









パンとバラの花を

2021-03-08 23:10:02 | Weblog
あ、今日は3月8日か、と気がつく。


今日は女性デーです、と呼びかけながら、
バラの花を配っていた時期がありました。

まだまだ寒い街頭で、色とりどりのバラの花を手渡す。
「あら」と道行く人が笑顔になるのが嬉しかった。

3.8国際女性デーのシンボルは
「パン」(生活の向上)と「バラ」(女性の尊厳)。
おなかを満たすだけでなく、こころも豊かであるために
戦ってきたひとたちの思いがこめられているそうです。

男女共同参画という言葉が生まれてもう何年も経ったのに
いまだに女性がいると会議が長引くと言われる世の中ですが

伝え続けるしかない、ですね。





















もうすぐ、春が

2021-02-23 18:31:00 | Weblog
いつの間にやら春が来ています。


小田原に住むようになってから、
梅を見る機会が増えました。
しんしんと冷たい空気の中で香りを漂わせて
凛と咲く梅の花は、最初の春告げ花。

そして今は、河津桜の季節。


去年はこの花、新宿御苑で見たのでした。


いまは東京がちょっと遠い。
もう少し我慢かな。
もう少し、と信じて。
Spring has come soon.


ところで春といえば花粉です。
花の香りとか言ってられません。

花粉症用のティッシュを買いました。
少しでも安いものを求めていったドンキで
他よりも120円高いティッシュを買ってしまった。


鼻をかむたびに癒してもらえるなら
高くない高くない。

ここでごはんを。

2021-01-28 22:08:14 | Weblog
大雄山線、緑町駅の目の前。
結婚するちょっと前、他のお店のマスターに
「芝居が好きなら」と勧められて入ったお店。



最初はテーブル席で、
何度か通ううちに
気が付けばカウンターで
ごはんを食べていた。



夫婦そろって遠距離通勤になり、
私たちはいつも
ここでごはんを食べた。



くたくたになって帰ってきて、
愚痴をこぼし、バカ話をして大笑いしながら
ここでごはんを食べた。




沖縄の家族も、群馬の家族も連れて行って、
ここでごはんを食べた。




ここの近所に家を買って、引っ越してきた日も、
ここでごはんを食べた。




嬉しい時も、悲しい時も、楽しい時も、つらい時も、
ここでごはんを食べた。



私たち夫婦と、小田原のひとたちとのつながりは
ここのごはんから始まった。




書いても書いても書き足りないけど
Cafe Tenに心からの感謝と愛をこめて

ごちそうさまでした。





去年の今頃は・・

2021-01-23 12:33:31 | Weblog
そういえば、去年の今頃は叔母の告別式で沖縄に帰ってたのでした。
あのときは本当に久々に、一人での帰省でした。

国際通りのインシャラーでコーヒーを飲んだ。


モノレールから眺めた夕日がとてもキレイだったなー。

そのころにはもう「中国で謎の肺炎が流行っている」話は出ていたけど
まさかこのまま、夏も年末も沖縄に行けなくなるとは考えもしなかった。

いま思うと、子供のころからよく一緒に出掛けていた叔母が
「しばらく沖縄には帰れなくなるから、今のうちに来ておきなさい」
と、私を呼んだのかな、とふと思う。

ところで、その叔母だが
雲の上に行ってからは、メッセンジャーを使っているそうだ。
イトコが家で探し物をしていると、
ひ孫が「ばあちゃんがあそこにあるっていってる」と指示。
その通りに探すと発見、ということがあった。

先日の命日でも、
「ばあちゃんがコーラ飲みたいって言ってる」と伝言があり、
(コーラ大好きだった)
それを聞いたイトコがハイハイと仏壇前にコーラを置くと
「そこでは届かないって」
とクレームを言ったそうな。叔母ちゃん、ちっちゃかったからね。