でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

台風ですねー

2012-06-20 00:02:57 | Weblog

約16万人に避難指示・勧告…台風4号(読売新聞) - goo ニュース

小田原市でも避難勧告が出ているようで。
スマホを買って初めて「エリアメール」がりろんりろんと鳴りました。
近所の小学校も避難場所になったようで、灯りがともっています。

さすがに今日は仕事をとっととたたんで
大急ぎで帰ってきました。
私が乗った新幹線の次の次ぐらいからは遅れやら運休が出てきていました。
今回は滑り込みセーフ。

でも小田原駅に着くとすでに暴風雨になっていて
タクシーを拾うこともできず、バスで家の近くまで移動。
ほんの300メートルの間に傘の骨がぐにゃーとなりました。
(折り畳みじゃないのよ)

明日もまだ電車が遅れてるかもしれないから
とっとと寝なければと思いつつ
どうにも台風の時にはテンションが上がってしまうコドモな私。寝れ。


1年ぶりの新感線

2012-06-17 18:08:26 | Weblog

土曜日に劇団☆新感線「シレンとラギ」を見てきました。
去年の「髑髏城」以来、約1年ぶりの新感線。
しかも今年初観劇かも。

藤原竜也と永作博美を中心に、
おなじみの新感線メンバーがずらりと勢揃い。
ゴーカなステージです。

・・・んが、なぜかなぜか、ちょこっと消化不良の感。
なんでだろうなぁ。
えええ、もっともっとドロドロじゃないの?
そこで終わっちゃうの?って感じもあったり。
むむむむむむ。

帰り道に、ほかに見てきた方の劇評をいろいろ見てみたのですが、

「今までの新感線と違って、対立構図がくっきりしてない」
(絶対的な悪VS正義の味方みたいな感じ)という劇評が
結構フに落ちたかなと。

もう一度見たら、この芝居が意図するところがもっとよく見えるかもですが
そうそうリピートして芝居を見る人はいないわけだし。。。
うーん、お芝居ってやっぱり難しい。

他の人も書いている人が多いけど、
高橋克実さんはめちゃめちゃよかったですね。
カーテンコールのとき、一番力いっぱい拍手した。
すごい存在感で、この舞台を支えていたといっても過言ではない。

あと、河野まさとさんのヒトイヌの細かいギャグがイケてました。
「冗談ですよ」と言いながらマイケル・ジョーダンのマネをして
シュートするしぐさを理解できる世代の客がどんだけいると。

などと語りつつ、帰りに神保町さぼうるでコーヒーを。



あ、そういえばその日は、演出のいのうえひでのりさんが
フツーに客席に座っててびっくりしました。


梅雨ですね

2012-06-10 01:48:12 | Weblog

昨日、九州がどうのと話してたら
あっというまに関東圏も梅雨入り。

最近、土曜日の定番になりつつある小田原城さんぽ。

今日からアジサイと花菖蒲まつりです。
梅雨入りの本日からなんて、風流やねえ。偶然だけど。



斜面は色とりどりのアジサイが一斉に花開いています。

先に載せたピンクもいいけど


いえいえ、青い花もまけてはいません。



花菖蒲もきれいでした。



緑の中に白い鳥が舞い降りたみたいです。

今日は午後から晴れてきたけど、いよいよ梅雨入りですね。



まあ多少のじめじめは耐えましょう。
みどりが育つための、大切な恵みの雨。


私を潰すつもりで・・

2012-06-09 01:01:29 | Weblog

AKB篠田のスピーチに「名言」の声(R25) - goo ニュース

とうとう武道館に来て、テレビのゴールデンタイムを持って行った
AKBの総選挙。

上位メンバーのスピーチがなかなか面白くて、
5人ぐらいしかメンバーの顔と名前が一致しない私も
ついつい引き込まれてしまいました。

最年長のマリコさまのコメントはさすがにかっこよかったですね。

後輩に席を譲れという声もあるけど
席を譲られないと上がってこれないようなやつは勝てない
自分をつぶしにくるぐらいのメンバーがいたら卒業する

テレビの前で「マリコ様かっけー」とひとりつぶやく44歳のワタクシ。
常に競争を続けてる緊張感が、人間を急成長させるのでしょうか。

ところで、マリコ様のセリフを聞いて

お蝶夫人みたいでかっこいー

と思ったのですが、

この例えはどの世代まで届くのか?


最期の闘士

2012-06-03 01:23:51 | Weblog

職場でお世話になっていた大先輩が
昨年末に亡くなられ

その方を偲ぶ会に行ってきました。

とても優しく、強い先輩。
相談をすると徹底的に聞いてくれる方でした。

かつてはバリケードを張って戦ってきた先輩は
4年前から病と闘ってきました。

最後の入院のとき、
医師に導尿を強く勧められ

「じゃあ、最後にトイレに入らせてくれ」。
しばらくしてもドアが開かない。

先輩は
トイレに立てこもるという手を使って
導尿を拒否したのです。

それを見ていた奥様は
「ああ、ヤツらしいな」と思ったそうです。
体は病で弱っていても
自分の意思を通すために
あの頃と同じやりかたで。

労働運動を通して
自らの正しいと思う道を模索し
それを貫き通した先輩は

最期の時まで闘士でした。


Thanks for my old sweet home

2012-06-01 00:03:11 | Weblog

那覇市でタクシーの運ちゃんに
その通りの名前を言えば、十中八九伝わる「電柱通り」。

どんどん新しい建物が建つ那覇市内で、
ここだけがタイムスリップしたように古い建物が多いところです。

その中でもなかなかどうして古株だった我が家。
建て直しが決まり、今週から取り壊しが始まっています。

私たち姉弟3人は、ものごころついたときから
一度も引っ越すことなく、ずーっとこの家で暮らしてきました。

2階建ての1階には母方の祖父母が住み、
祖母の妹が同居していた時期もある。
子供のころ、姉と私はおばあちゃんと一緒に寝ていたっけ。
庭にはゴーヤーの棚があって、子供でも手が届く高さに実っていた。
大きなみかんの木があって、夏にはセミが脱皮して、真っ白に輝いていた。

台風や大雨の時には、雨漏りもした。

34歳でこの家を出るまでの
楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも、
ぜんぶ、この家で。

今までの私たちを創ってくれたこの家に、
心から、ありがとう。