今日は勉強になった
何かの情報誌で、「大沢村の形成」という会があることを知った。12月9日(水)、大沢コミュニティセンター。実は、昨日間違えて行った。休館日だった。最近、こういうことが多い。
平成20年(2008年)12月10日、三鷹市北野から三鷹市大沢に引っ越してきた。まる7年が経った。あっというまの気がする。三鷹の奥座敷と言われ、自然が残っている地域である。
大沢の歴史を知りたいと手探りしていたが情報が手に入らない。自分の能力・努力が足りないところは認めるが。今回が初めての会だと言われ安心した。次回が楽しみだ。
今日、会に参加してハンマーでガツンと殴られたぐらいのショックを受けた。知りたいことが網羅されていた。あとは自分で補充するしかない。
講師は、「三鷹の歴史研究会」会長 矢崎篤さん。
配布された資料
1 「三鷹の歴史研究会」
2 新編武蔵国風土記稿 多摩郡
世田谷領の現地調査は文化11年(1814)末頃
3 三鷹の歴史探訪<第三編>大沢地区(18p)
4 「三鷹市の変遷」
5 ぐるり39 自治調査会だより
なかなか手に入らない地図
(1)明治10年代の三鷹・民家の分布
(2)幕末維新 村絵図
古文書を矢崎さんが読み、説明を加えてくれる。取っ付きずらかった古文書も親しみが出てきた。200年前の文書である。何か昔の風景が私の頭の中で勝手に動いている。川、ワサビ田、畑・・・。
「三鷹市の変遷」の一部を
明治新政府は地方行政を整えるため、明治十二年に定めた「郡区町村編成法」を明治十七年(1,884)に改訂して、古くからの村々の合併策を促進した。この政策を受けて「三鷹村」の母体となる7ケ村連合の村が誕生した。
「下連雀村・牟礼村・北野村・中仙川村・新川村・上連雀村・井口新田」
*役場は下連雀村に置かれた。「三鷹村」の発足。
矢崎さんが、大沢で有名なものは新撰組の近藤勇の墓ぐらいだろう。みなさん気が付かないが、「近藤勇辞世」の碑があるという。会が終わってから自転車で行ってみた。最初の部分しか読めない。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/jpn138.htm
びっくりしたのは、「甲州道中平成延絵図(江戸日本橋から信州下諏訪宿)53里の古道」という本。6年かけて自分で歩きスケッチし、そのノートは20冊以上。自費出版されたという。興味あるな!自分で歩き訪ね記録で残しているから記憶力がすごい。やっぱり長老は尊敬するね。
http://www.dohchu.com/index.htm