なぜか気になる野坂昭如さんの死
時代を大きく変えてくれた一人だから。昭和一けた世代で、私たちが青春を謳歌する時、知恵をつけてくれた。カラーテレビが本格化され、キャッチコピーが出てきた時代か。今までの概念をぶっ壊す連中。覚えているだけで、青島幸男、大橋巨泉、永六輔、中村八大、藤本義一、大島渚等々。高度成長を担った。
五木寛之さん寄稿
ジャーナリズムの奔流の中で、くじけそうになるたびに、野坂昭如は頑張っているじゃないか、と自分をはげましたものだった。そんな意味では、恩人でもあり、仲間でもあった。大きな支えが失われたようで、淋(さび)しい。無頼派を演じつつも、傷つきやすい芸術家だったと思う。
いかがわしさ、楽しんだ 野坂昭如さんを悼む
イラストレーター・山藤章二
文化人がテレビに飛び出すのも、野坂さんが切り開いた道でしょう。「ソ・ソ・ソクラテスか……」という70年代に流れたサントリーウイスキーのテレビCMでは、ギクシャクした踊りまで見せて、不器用だけどそれが面白かった。今でいう「ヘタウマ」の走りじゃないですか。
「昭和ひとけた」という語が発生したのは、『昭和ひとけたの人間学』(1978年)における福田邦夫によれば、この世代が満36歳 - 満44歳を迎える1970年(昭和45年)前後であるとされ、野坂昭如(1930年 - )によれば、この世代が「花の中年」「違いのわかる年代」になった時代であるという[5]。「花の中年」とは野坂、永六輔(1933年 - )、小沢昭一(1929年 - )による「花の中年トリオ」(1974年)、「違いのわかる年代」とは、1967年(昭和32年)に発売されたネスカフェゴールドブレンドのキャッチコピー「違いのわかる男のゴールドブレンド」に由来する表現である。
俺と同じ人がいたー
イトーヨーカドー武蔵境店の駐車場でのこと。
屋上のエレベータを降り、小さい声で車を止めたところがわからない、と言っている人がいた。思わず「俺の仲間がいた!」と喜んだ。先日も自信を持っていつもの5階に降りた。それもたくさん買い物をして。景色が違うな?間違えた?混んでいたから6階に回されたことを忘れていた。混雑している上りのエレベータを途中から乗るのは至極の技。遠慮してはダメ。この時ばかりは・・・。もう一つ、5階はわかっているのだがどこに置いたかを忘れてしまうことがある。歳をとるとともに増えてきた。最近は何度も確認している。
ブラック企業 ワタミグループ創始者 渡辺美樹
「もっとも重い責任は私にある」と全面的に非を認めた。では、具体的に何をするのか。私財を投げ出し社会貢献するのか?
http://matome.naver.jp/odai/2134984536043888901
以前から渡邉美樹が理事長をしている郁文館夢学園は・・・?
<メモ>不毛地帯が第5巻に入るぞ!今日第4巻を読了。11月11日、第1巻の白紙の部分に、「ぐうダラしている自分、一歩気合を入れよう。年内に(一)から(五)を読み終えよう」のメモがある。目標の年内読了が達成できそうだ。