みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 いい笑顔

2020-08-16 23:51:00 | 日記


今日はお盆の最終の日でした。午前中、梅やんは墓参りしていました。お昼は片道45分かけてファガスの森まで行き食事をしました。鹿肉のタツタ揚げカレーです。地下足袋王子が席まで話に来てくれて梅やんは上機嫌でした。「お母は元気にしよるか?同級生で勉強よく出来たぞ!」。地下足袋王子の父のタカッさんは93歳まで長生きして先に他界され、母のツウやんは6年前に85歳で亡くなられたそうです。


鹿肉のカレーをこれから食べる所です。ここで写真の写せる容量がいっぱいになり、後は取れませんでした。
その後、孫のハルミちゃん一家が家に来てくれました。梅やんは話しているうちに孫をやっと思い出したようです。
5時半過ぎにはフミ叔母とキミちゃんがスイカを持って来てくれました。
お陰さまで賑やかなお盆になりました。


夕方、タブレット内のビデオを削除して空き容量を確保して写真が復旧しました。
今日は木沢のデイサービスはお盆休みの延長です。梅やんと私は休憩です。ケアマネージャーの早川さんが来てくれる予定です。それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 眉山、供養塔パゴダ

2020-08-16 05:05:00 | 日記
昨日はひさしぶりに友人と共に徳島市の眉山びざんに上がりました。ロープウェイで、標高280メートル位の山です。城東高校校歌には、「雄々しきいざん、優しきまゆ山」と歌われている眉山です。


終戦記念日でした。リキさんが生きていたら110歳、75周年だから35歳で中国で捕虜になり生還したのです。私が生まれたのはその7年後です。無謀な侵略戦争に狩り出された人々の悲痛な思いがパゴダの中の日の丸の寄せ書きに残っています。沢谷の石本さんの名前も有ります。


友人は徳島市川内の警備会社でガードマンをしているのだが、炎天下の業務は身体にきついし、新型コロナで仕事も減っているので秋の終わる頃には三好市へ帰りたい、との相談事でした。梅やんは海の際の沖洲のセツ姉宅に居ります。


眉山は徳島の山地の東の端です。午後には梅やんを乗せてこの図の高城山のふもとまで行くのです。




午後5時に梅やんは9日ぶりに木沢の実家へ帰りました。セツ姉宅では、ショートステイしていた事をすっかり忘れてしまっていたようでした。この分なら9日程度はショートステイでいけそうです。


夜の梅やんは早速、チイ叔母に電話しておりました。相変わらずに飯を炊こうとして米を探し回り、夜用の厚い紙パンツはトイレの中に忘れて履き替えずに寝ておりました。またこの調子でお付き合いしましょう。
今日も暑くなりそうなので、昼はスーパー林道のファガスの森へ涼みに行って地下足袋王子の鹿肉カレーを食べましょう。
それでは今日はこの辺で。