みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 老健うぐいすの短期入所終わる

2020-08-13 06:23:00 | 日記
昨日の午前中に私は剣山に行ったときのお土産の祖谷ソバを近しい人々に配って回りました。私の茶髪が綺麗だと御世辞に言ってくれた人がいたけど、染めなければ髪は白い粉をまぶした蕎麦の色よりも白くなっているのです。
午後、神山の峠を越えて鮎喰川を下り、4時ギリギリで梅やんが居る石井町の施設に着きました。
近辺の高齢者が利用しているデイケアの人たちが帰った後、梅やんは荷物とともに2階から通用口まで降りて来ました。
迎えに来ていたセツ姉の顔を見ると思い出したらしく普通に話して、セツの車に乗り込みました。


ケアマネジャーの話では、梅やんは夜には不安定になり、30分おきに「息子に来てもらって家に帰る」と繰り返して言うので安定剤を飲ませましたとのことでした。
ここでも長谷川式の簡易認知症検査で30点中8点でしたと。便秘のため浣腸をしてもらいベンが出たそうです。
それでは来月もお願いしようと私は言いましたが、ケアマネはグループホームを勧めるような口ぶりでした。実家療法の理解は一局面を見ただけでは解らないことでしょう。長い病気は10年の人の歴史の中で見てゆくものです。
セツ姉の黄色い軽自動車は梅やんをのせて狭い道を走り抜けて行きました。15日に沖洲へ私が迎えに行くことにしています。


夕方になっても西陽が強く射しています。高越山から台形に連なる徳島の山並みを見ながら私は三好市井川町の自宅へ向けて車のハンドルを握ります。数日間の休養で頭の芯の痛みが取れてあくびも出ずに運転する事ができました。ただ、私の目は乱視と近視と老眼が相まって進み、眼鏡のレンズを取り替えるために池田町のメガネの大学堂に行かなければならないのです。
それでは2日ほどこの日記はお盆休みに致します。