みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 檜曽根のおばの墓参り

2019-01-21 02:25:11 | 日記
日曜日の梅やんは、こたつで座ったまま寝ていました。その後、洗濯物を干し、ニワトリに餌やりをして、自分で休日の日課をこなしている様子でした。
朝食後座位で寝る
洗濯物干しは出来る
鶏に餌をやる

午後から長安口ダムの奥にあるヒソウネのオバの墓参りにチイ、フミ、ウメが行くことになり、休憩中の私が運転手でお伴しました。
長安口ダム
新家奥の方にオバの墓
オバは大事にしてくれた
旧屋敷跡の梅やんら3姉妹

タツタから来ていたヒソウネのオバは、幼い梅やんたちの母親コリンさんがお産で亡くなったあと、母親のように姉妹を大事にしてくれた人です。姉妹で瀨津から遠い道のりを歩いて檜曽根までよく泊まりに行ったそうです。
コリンさん

帰宅して洗濯物をたたみながら梅やんはポツリと言いました。「3歳のチイを10歳のわたしが背中に負うてコリン母さんを見送りした時、チイが、背中で母さんは上へ上へ逝ってしもうた、と言うたわ。」
梅やんは何を回想しているのだろうか。お母さんが死んで一人親家庭になったんやな。私はテレビの大相撲中継をだまってみていました。 洗濯物をたたむ梅やん

5年ぶりの墓参りでしたが、梅やんの認知症は前回よりも随分良くなったかのように思います。今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 お陰様で体調良好

2019-01-20 04:54:56 | 日記
7時間余り眠った。何か夢を見たのだが思い出せない。

昨日の夜、梅やんは落ち着いていました。金曜の夜は1人で家に居たのです。土曜の夕方5時半ごろ、私は木沢の家に帰って来ました。 小畠トンネルの上の月

梅やんは台所で白菜を刻んでいました。
昼にはチイおばが野菜の天ぷらとオカラと野菜の和え物とをもってきてくれたらしい。美味しくいただきました。

血圧と胃薬は半日遅れになるが、朝の分を夕方に飲ませました。イクセロンパッチは3日間、中止していました。便失禁はしていないようでした。私がハンコを着ているのでそれを気にして、そのハンコはどうしたのかと聞いてきました。「買った」と答えると、梅やんは「こないだは浅岡のカッちゃんにもろうたと言よったでないか」と正確に覚えていて反問してきました。
午後6時に、フミおばから電話がかかり「盛さん戻ってきたかどうか確認のため電話させてもろうた」と、気を使ってくれました。

梅やんは、風呂に湯を入れて入り、寝る前には、私に「石油ストーブを消してくれ」と言ってから床につきました。皆のおかげで安心して1日を過ごせたから調子が良かったのでしょうか。イクセロンパッチを再開しました。
また左下向きに寝よる

褥瘡のテープ張替え

今日は日曜日、私が4日間いたり来たりして疲れていますので休憩にします。それではまた後日。

みなみの梅やん介護日誌 『認知症疾患診療ガイドライン2017』を読む

2019-01-19 04:08:28 | 日記
昨日は金曜日、私の移動日でした。途中、三加茂の書店で先日注文しておいた『認知症疾患診療ガイドライン2017』を購入しました。定価5400円+税でした。
医学書院 、監修日本神経学会

さっそく、発行にあたってと、序のページを開いてみました。「医師がベストの診療方針を決定するうえでの参考としていただけるように、あくまで標準的な診療を科学的根拠に基づいて提示したものです。」
また、「読者対象は、原則として一般の医師を想定して作成した。ただし、医師以外の方々にも読まれることも念頭において作成作業を行った。」と記載されています。
使用にあたっては、「認知症診療の向上を目的として認知症の診療・ケアなどを支援するための参考資料を提供するものであり、現場の認知症診療を制約するものではない。」とのことです。

私はケアをする家族の立場で参考書として読んでみます。
今日の介護日記は休みます。

みなみの梅やん介護日誌 2人の祖母

2019-01-18 04:10:31 | 日記
南野家の葬儀は家族葬だった。故人は昭和59年から平成12年まで縫製業の会社社長を務めた人だった。晩年は自宅で療養生活していたが転倒して、約10年間は車椅子から寝たきりの施設介護生活だったという。昭和5年生まれの89歳で、母より半年遅い生まれだった。ご冥福を祈る。


昨日の梅やんはデイサービスでした。私が葬儀に行くため午前8時半に先に家を出て、午後4時15分に帰宅してみると、梅やんはデイサービスから帰り、白いチャボとナゴヤコーチンのニワトリを鶏小屋から出して餌を与えていました。これが楽しみなんでしょう。


夕食時、私は梅やんに「南野のおばあさんはきれいな顔をしていたよ。孫のマー君たちも来ていて、山のばあちゃんはどうなん?と聞いてくれたよ。」と葬式の様子を話しました。生前の写真を出して見せてあげると、この人には会ったことがないなあと梅やんは言いました。

喪主はユキ妹、ジーっと見入る梅やん。

これからは孫のマー君たち、若い人々の時代です。マー君の祖父母は戦後すぐの大阪で商店を始めて、昭和のうちに徳島に移転し、地域の働く人々の共同作業所を起こしました。祖父が病気で先立ち、祖母は平成の最後の年に亡くなりました。立派な人でした。梅やんは認知症のため覚えていないけれど、マー君の誕生を2人の祖母は共に喜び、会っていたのです。時は移り過ぎ、人は去り、新しい時代がやって来ます。

それでは今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 冬の峠道

2019-01-17 04:56:43 | 日記
今の時間は午前5時。私がトイレに起きると梅やんも用を足しに起きてきました。アア腰が痛い!長生きはしたくないわと言いながら、また布団に入りました。右を下にして正しく寝ています。昨日は左の大腿骨の褥瘡を気にして初めて痛いと言っていたから自覚してきはじめたのかな。悪化しなければ良いのですが。

急に親戚のおばあさんが亡くなり知らせが入りました。もう90歳になるのかな。ここ数年は入院していました。私は昨日は喪服を取りに三好市の自宅へとんぼ返りしてきました。それで、焼き魚と菜っ葉の炒め物とご飯を2人分持って木沢の家に帰ることになり、途中、山川から梅やんに、「ご飯は炊かないように」と電話しておきました。帰ってみると、やはりご飯を炊いていました。
神山の峠道、岳人の森付近には積雪は無し。
下へ出たついでに三加茂の書店で『認知症疾患診療ガイドライン2017』という本を注文してきました。

お葬式は家族葬にされるとのこと。ご冥福を祈ります。

別の話ですが、ヒヨコが1羽凍死してしまいました。巣箱から出て戻れなくなり隙間に入って横たわっていました。可哀想に!対策として、巣箱を縁の低いものに変えてやりました。

それでは今日はこの辺で。