みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 昨日は90歳最終の日

2020-08-25 04:49:00 | 日記
梅やんは身体の方は元気です。昨日は私が夕方に坂州まで買い物に行くのでデイサービスまで迎えに寄りました。


しっかり立ってトイレへ向かう梅やんです。この日は90歳の最後の日でした。


実家は作業中で片付いておりません。




夕立がありました。


夜は久しぶりにチイ叔母に電話を掛けました。「オウ!チイか。えっとぶりじゃのう」と話して居ります。
明日は91歳の誕生日だからデイサービスでお祝いしてくれるから行けよ、と言うと「行くわ。」とご機嫌よろしいです。
90歳の最終日は何事も無く終わりました。
それでは今日はこの辺で。






みなみの梅やん介護日誌 千の風、中尾山高原

2020-08-24 05:06:00 | 日記
昨日は、私ひとりが日和佐のホームセンターへ木材の購入に行っている間に、藍住の姪の家族が木沢に来てくれておりました。梅やんは四季美谷温泉で2日早い誕生祝いの昼食をご馳走になりました。大勢が来てくれて梅やんも大喜びでした。その足で川成峠を越えて、中尾山高原のシゲの最後の仕事を見に行くことにしました。標高は約1300メートルです。


川成峠。夏雲の中に中尾山高原が見えます。
木沢から1時間半、梅やんは1度訪ねてみたいと思っていたシゲの最期の仕事場へ、25年ぶりに初めて向かいます。


シゲの娘が父の25年前の作品を見ています。中尾山公園の清流です。






空を仰ぐ娘。



梅やんは「ここがシゲがした仕事か」と言いながら、孫を見ております。平成7年の夏、猛暑の中、シゲはこの仕事を仕上げてから突然の病に倒れました。享年44歳の若さでした。梅やんの目から涙が流れました。


湖にたたずむ91歳の梅やん、母親の姿です。


天空には夕立の後の雲がもうもうと現れては何処かへ消え去り、また現れては消え去りして、千の風が梅やんの頭上に舞っていました。
梅やんは午後6時過ぎに無事に川成り峠から木沢の家に帰りました。一方、穴吹川沿いに下り脇町から高速で帰った姪たちも同じ時刻に藍住に無事帰りました。
それでは今日はこの辺で。今日の梅やんはデイサービスです。











みなみの梅やん介護日誌 梅やんは相変わらずの世界

2020-08-23 07:03:00 | 日記
昨日、私は午後からの会議が早く終わり、4時半にセツ姉宅から梅やんを連れて那賀奥木沢へと向かいました。
梅やんは「どこへ連れて行く気ぞ。着るものもないし、布団も無いし」と車の中で怒り出しました。それでも、和食あたりまで来ると「あと小一時間じゃのう」と言い、長安口へ来ると「ヒソウネはここから入る」と独り言が正確になって行きました。
日が短くなり、実家に着くと午後7時、暗くなっていました。梅やんは炊飯器の蓋を開けて「飯がない、今夜食う飯がない」と言い始めました。夕食はセツ姉宅ですませています。
私は、今朝の5時から仕事して徳島へおまえをむかえにゆき、こうして連れて帰って、つかれているのだ。サッサと寝ておくれ。私がお前より先に死んでしまうぞ!と。
梅やんは「そんな大声でゆう奴が何が先に死ぬか」と続けます。結局、安定剤を飲ませると大人しく寝てしまいました。


今朝のカシドマルは晴れています。


ヤギは雑草を食べて仕事をしています。
今日は日曜日、身体を休めましょう。それでは今日はこの辺で。



みなみの梅やん介護日誌 梅やん、神山道の駅で乗り換え

2020-08-21 22:04:00 | 日記
昨夜の梅やんはパジャマの上から紙オムツを履いて寝ていました。


今朝まで何とか持ちました。よくこんな履き方が出来るものです。


実家を1日留守にしますので、進入路に柵を設置して郵便受け箱を外に置きました。ヤギは自由に草を食べてくれるでしょう。


午前8時半に実家を出て、梅やんは神山のトイレで休憩しました。「ワシはひとりで居れるのに」と納得がいかないようでした。
セツ姉が神山の道の駅まで迎えに来てくれ、梅やんは乗り換えました。


明日の夕方までセツ姉宅にお世話になります。
私は石井町の自動車修理会社でマイカーに乗り換え、藍住のシゲ宅により、高速道に入って美馬インターで降りた所で30分の仮眠をとりました。外は40度くらいの暑さです。私の頭もそろそろ限界が来ているようです。
それでは今日はこの辺で。





2020/08/21

2020-08-21 05:39:00 | 日記