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「ヴィチャ爺ちゃん」が殺された! 誰がフレッド・コレマツに続くのか?

2022-02-13 17:41:36 | アンソニー・トゥー(杜祖健)

「ヴィチャ爺ちゃん」が殺された!

誰がフレッド・コレマツに続くのか?

 

山本徳造(本ブログ編集人)

 

 在米のアンソニー・トゥー博士から『サンフランシスコ・クロニクル』紙(1月31日)の切り抜き記事がメールで送られてきました。サンフランシスコで起きたタイ系アメリカ人殺害事件についての記事です。読んでいて、ひしひしと痛ましさが伝わってきました。私にもロスアンゼルス在住のタイ人がいたからです。一体どんな内容だったのか。

▲追悼集会後に行進する参加者たち(『サンフランシスコ・クロニクル』紙 1月31日)

 

 その不幸な出来事が起きたのは、昨年1月28日のことです。
 サンフランシスコに住む「ヴィチャ爺ちゃん」こと、84歳のヴィチャ・ラタナパクディーさんは、1989年に家族と一緒にタイからアメリカに移住してきました。心臓手術を受けた彼は、術後で弱ったスタミナを回復しようと、毎朝の散歩を欠かしません。この日も、いつものように朝食後の散歩に出かけました。10時ごろには自宅に戻って来るのですが……。
 心配になった娘のモンタナスさんが探しに出かけましたが、見つけることができませんでした。すでに病院に運ばれていたからです。警察からの連絡で病院に駆けつけますが、昏睡状態のまま「ヴィチャ爺ちゃん」は息を引き取りました。
 全米各地で広がる「反アジア暴力」の犠牲になったのです。加害者のアントワーヌ・ワトソンは当時19歳で、殺人罪で起訴されましたが、なぜか「ヘイトクライム」とはみなされませんでした。
 それから1年後の1月30日の日曜日―。
 モンタナスさんは父親が暴行を受けた現場に立っていました。彼女のすぐ後ろでは「アジアの正義の集会―追悼と行動の国民の日」が。サンフランシスコ市長をはじめ、州議会議員など数百人が集まり、午前11時45分になると、「ヴィチャ爺ちゃん」のために黙祷を捧げました。同じ時間に、同じような集会が、シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルス、アトランタ、フィラデルフィアでも行われたとそうです。
 AP通信によると、一昨年3月から昨年9月まで、アジア系アメリカ人と太平洋諸島系アメリカ人に対する憎悪事件が1万件以上も起きました。サンフランシスコでは、アジア系の高齢者が公道で強盗にあったり、殴られたり、刃物で刺されという直接的な暴力事件も含めた、いわゆる「ヘイトクライム」は、一昨年の9人から昨年は60人に急増したというから、異常としか言えません。
「ヴィチャ爺ちゃん」の追悼集会が開かれた1月30日は、くしくも「フレッド・コレマツ・デー(日本名・是松豊三郎)」でもありました。1941年の日米開戦に伴い、翌年からアメリカに住む日系人が砂漠に設けられた粗末な強制収容所に隔離されることに。その大統領令の不当性を訴えたのが、人権活動家のコレマツさんでした。

▲フレッド・コレマツ

 

 さて、私がフレッド・コレマツという存在を知ったのは、この記事のおかげです。ネットで調べてみると、素晴らしい人でした。この人物を今まで知らなかったことを、私は恥じました。
 コレマツさんには軍令違反で有罪判決が下りますが、黙って引き下がるコレマツさんではありません。最高裁まで争います。が、異議申し立ては認められず。その後、再審が行われるとこになり、1983年に有罪判決が覆されました。無効となったのです。
 それから6年後の1989年、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、存命中の元収容者に対して謝罪と賠償金の支払いを行うことを表明しました。コレマツさんの戦いがあってのことでしょう。1998年には、文民では最高位の勲章である「大統領自由勲章」を受章しています。
 9.11事件以降はアラブ系アメリカ人への差別問題に取り組んでいましたが、2005年3月30日にサンフランシスコの自宅で亡くなりました。享年86歳。カリフォルニア州政府は2010年9月23日、コレマツさんの誕生日である1月30日を「フレッド・コレマツ・デー」と制定しています。2012年には国立肖像画美術館にコレマツさんの肖像画が収蔵されました。
 日系人だけでなく、アジア系やアラブ系アメリカ人の人権と正義のためにも、戦い続けたフレッド・コレマツさん。その情熱と勇気には頭が下がります。
 追悼集会での黙祷の後、参加者たちは「ヴィチャ爺ちゃん」の散歩コースをたどって行進しましたが、その前に娘のモンタナスさんが、こうスピーチしました。
「私の父は、私たち全員が憎しみを超えて愛をもってリードすることを望んでいました。もし彼が生きていたら、私たちに強くなって戦い続けるように、と言うでしょう」


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