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連日連夜の宴会が列車の中で 【連載】呑んで喰って、また呑んで⑦

2019-08-14 10:38:56 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで⑦

連日連夜の宴会が列車の中で

●イルクーツク~モスクワ

山本徳造 (本ブログ編集人) 

 

 

 その男は入ってくるなり、愛想よく自己紹介した。「ロシア人か?」と聞くと、「そうだ。ロシア人だ」と嬉しそうに答えた。「君、仕事は何?」という問いには、「オレ、海軍だ」。階級とか任務を尋ねるが、英語がほとんどできないので、相手はキョトンとしている。しかし、つたない会話を続けていると、お互いの言わんとしていることが、ある程度伝わるものだ。
 彼の名を仮に「ユーリ」にしておく。齢は46歳。勤務地はクロンシュタットの海軍基地(日露戦争でわが帝国海軍に殲滅されたバルチック艦隊の拠点だ)。ウラジオストックに出張で行った帰りで、いつもは飛行機だが、今回は列車にした。モスクワで下車して列車を乗り換え、妻とハイティーンの娘が待つサンクトペテルブルクまで帰るのだそうだ。軍港のクロンシュタットにはサンクトペテルブルグの中心から30キロそこそこ。
 好奇心旺盛と言おうか、初対面の人と会話がしたくてたまらないのだろう。当然、先客の若い女の子にも声をかける。ロシア語で一言二言しゃべると、私にほうを振り向いた。
「この子、モスクワの大学生」
「あ、そう。よろしくね」
 と私はその子、に挨拶した。笑顔が可愛い。ウラジオストクから感じていたことだが、ロシアの若い女性はスタイルもよく、ハッと驚くような美人が多い。彼女も例外ではなかった。友人M君は相好を崩している。それから数時間後、私たちのコンパートメントでウォトカの乾杯で宴会の幕が切って落とされた。
 いつの間にか、参加者が増えていた。ユーリが別のコンパートメントから連れてきた30代の女性だ。酒が好きなのか、ウォトカをぐいぐい飲み干す。酒の肴はそれぞれが持ち寄った。女子大生はほとんど飲めないらしく、ミネラルウォーターをちびちびやっている。ユーリ以外はまるで英語がダメなので、ユーリが通訳するしかない。話題があちこちに飛ぶ。
「インノケンティー・スモクトノフスキという役者がいただろ」と私。「子どもの頃、彼が主役のシェークスピア映画をテレビでよく観たよ」
「えーっ、ユー、日本人。何でそんな昔の俳優、知ってる!?」
 ユーリが大袈裟に驚く。何を隠そう、子供の頃の私は、ソ連映画の大ファンだった。女性二人は、そんな昔の俳優の名前なんかまったく聞いたことがないという。また私がアフガン戦争を取材したことがあると知ると、ユーリは興味津々でいろいろと質問してきたので、
「ソ連の兵隊、可哀そうだった。戦車兵を見たけど、みんな子供のような顔をしていた。戦車の上でハッシシを吸ってぶっ飛んでいたよ」
「えっ、ほんと? ハッシシ、ドラッグでしょ?」
「ああ、そうだよ」
 こっちはウォトカを呑みすぎて、ぶっ飛んでいたが……
 気がついたら、朝だった。
 完全に二日酔いだ。女子大生の姿が見えない。
「あれ? 彼女、どこへ消えた?」
 ユーリも怪訝な顔をしている。しばらくして、列車の女車掌がやってきた。小太りで、30歳そこそこか。ふてくされた顔の彼女にユーリが声をかけると、女車掌が一気にまくし立て、けたたましく立ち去った。ユーリが私に説明した。
「みんな酒を呑んでうるさかった。だから、彼女、あの車掌の部屋で寝た」
 あっ、そう。悪いことをしたものである。ゴメン、ゴメン。それから女子大生は私たちのコンパートメントに戻ってこなかった。
 で、昼前になると、二日酔いも収まった。通路に出ると、学生らしき若者がしきりにこちらの顔を見ている。なにやらしゃべりたがっているようだ。声をかけると、待ってましたとばかりに近寄ってきた。英語はかなり上手だ。モスクワ在住の大学生で、空手道場に通っているという。イルクーツクに実家のある友だち数人とバイカル湖畔でキャンプしていたそうだ。ユーリが「さあ、呑もう」と提案した。M君も「ええな。今日も呑むでぇ」と喜ぶが、肝心のウォトカがない。次の駅に停車したとき、ユーリがキオスクで買ってくるというので、お金を渡した。しばらくして、ユーリが新聞紙に包んだウォトカのボトルを2本抱えて戻ってきた。
「駅のキオスク、ウォトカ、ダメ。プーチン、禁止した」
 だから、キオスクの店員がウォトカを新聞紙に包んで、こっそりと売っているとユーリが得意げに言う。ふーん、役に立つ男ではないか。こうして昼間から宴会が始まった。ユーリ、M君、私以外の参加者は、空手青年、中国人の貿易商、通路で知り合ったアイルランド人男性、そして前夜もいた30代の女性である。北京語ができるМ君は中国人と盛り上がり、エチオピアでボランティア活動をしていたアイルランド人と私はアジスアベバの料理屋の話題で……。ロシア人女性はユーリと世間話に興じ、美味そうにウォトカを呑む。イクラ、サーモンの燻製がウォトカに合う。休憩を挟んで、夜も宴会だった。こんな日々がイルクーツクを出発して3日間、いや4日間だったかつづくことに。モスクワに到着したときには、M君も私もクタクタ。女車掌は鬼のような形相で私たちを見送った。が、ウォトカとの激しい付き合いは、モスクワでも待ち受けていた。(次週につづく)

 


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