【連載】頑張れ!ニッポン⑳
今年の世界半導体市場は11.2%伸びる!
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
▲先端LSIのイメージ(エンジニアリングワークスのHPより)
世界半導体市場統計が予測した
世界半導体市場統計 (WSTS)は昨年12月、世界の半導体市場の成長予測を発表した。それによると、今年の世界市場の伸びは11.2%と予測され、その内日本市場は9.4%、アメリカ市場は15.4%、アジア・パシフィック市場が10.4%、ヨーロッパ市場が3.3%の伸びになると予測されている。
WSTSは、世界の主要半導体メーカ49社が加盟している世界的な半導体の統計機関で、毎年春と秋に半導体市場の予測を行い、その結果を公表している。
上述の予測値は、昨年11月下旬に行った予測会議の結果を12月下旬にプレスリリースしたもので、新聞等で目にされた方がいるかも知れない。2024年の世界の半導体市場は6268.7億ドル(約94兆円、WSTS公式レート1ドル150.1円で換算)と推定されている。
世界の半導体市場規模はいよいよ100兆円に迫りつつある。この中で日本市場の規模は474.1億ドル(7兆1162億円)で、世界市場に占める割合は約7.4%となっている。アジア・パシフィック市場は54%強、アメリカ市場は約30%だ。
これは半導体の生産シェアではなく、出荷額のシェアである事に注意する必要がある。チョットややこしいが、日本市場にはアメリカのインテルやエヌヴィディアの製品、或いはサムスンのメモリなどが輸入されていると思う。それらを含めての出荷額が日本市場の規模となる。
▲世界の半導体市場の成長予測(WSTSのHPより)
日本メーカーの希薄な存在感
そんな細かい事は兎も角として、日本の世界における存在感の薄さは感じられるだろう。日本市場が相対的に小さいのは、日本で半導体を多く使用する電子機器を生産しなくなったからである。いま半導体需要を牽引しているのは、A I機能を搭載したパソコン、スマホなどだ。
先日の読売新聞に2024年のスマホ出荷台数の記事が載っていた。それによると、1位アップル(米)2億3210万台、2位サムスン(韓)2億2340万台、3位シャオミ(中)1億6850万台などとなっている(調査会社IDCによる)。
一方、2024年のパソコン出荷台数をチャットGPTに聞いてみると、1位レノボ(中)1650万台、2位HP(米)1510万台、3位デル(米)1500万台、4位アップル(米)650万台とのことである。
スマホもパソコンも生産は殆ど中国において行われていると思われるが、とにかく日本メーカーの姿は世界的には見えてこない。ところが、日本市場を見る限り日本メーカの存在は大きく、家電量販店の店頭を見ている限り日本メーカの製品が目立つ。
しかし残念ながら、世界を眺めると、違う風景が広がっている。意識的に世界を見ない限り、ガラパゴス日本の状態を越えて、海外がどうなっているかは見えにくいのではないだろうか。現役を引退して久しい私もコロナ以降海外に行くことも無く、ガラパゴス日本でのんびり過ごしている。
▲半導体工場のクリーンルーム(電波新聞デジタルより)
日本半導体企業の変遷
ところで、WSTSのホームページに載っているメンバーリストで日本企業を見ると、12社がWSTSに加盟していることが分かるのだが、メンバー会社の中には見慣れない名前がいくつか見つかった。それらをネットで調べてみると、過去20年間の日本半導体メーカの変遷が垣間見られて、感慨深いものがある。
例えば、エイブリック(株)を調べてみると、セイコーインスツルの半導体部門が2016年にエスアイアイセミコンダクタ(株)として分離独立、2018年に社名をエイブリックに変えたようだ。
これとは別にセイコーインスツルの一部事業を引き継いだセイコーエプソン(株)もWSTSのメンバーになっている。こちらはプリンターでキャノンと並んで有名ブランドになっているのでご存じの方も多いと思う。
また、ヌヴォトンテクノロジー(株)と言う名が見つかった。これも調べてみると、元々松下電子工業(株)だったが、2020年に台湾企業のNuvoton Technology Corporationの傘下に入っている。
富士通はどこに消えた⁉
ところで、WSTSの日本企業会員に富士通の名前が見当たらない。富士通と言えば、かつてはNEC、日立と並んでメモリの生産では世界ランク上位にいた会社である。調べてみると、2015年に富士通グループとパナソニックのシステムLSI事業が統合して(株)ソシオネクストという会社を設立させたことが分かった。この会社はまだWSTSには加盟していない。
要するに1990年代に世界半導体売上ランキング上位にいた日本企業は、日立、三菱、NECが統合してルネサスになり、富士通はパナソニックと統合してソシオネクストになった。またパナソニックの半導体の一部は、台湾企業の傘下に入ってヌヴォトンジャパンになったのだ。
東芝はメモリ事業を出してキオクシアとして存続させ、ソニーはイメージセンサに特化して高いシェアを守っている。こうして名前が変ってしまった会社を見ると、この20数年の日本半導体企業の苦闘の歴史が垣間見られる。
日本から最先端ラインを持つ半導体企業が消滅して数年が経つが、何とか巻き返そうと日本政府の資金も投入されてラピダスが出来た。ある調査会社のアナリストによれば、80〜90%の人はラピダスは失敗するとみているらしいが、せいぜい10~20%ではないだろうか。
【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)