【連載】腹ふくるるわざ㉛
白井駅圏~今は昔~
桑原玉樹(まちづくり家)
白井健康元気村の村民で、農業クラブで活躍してこられた柳橋三郎さんの趣味の一つは写真だ。先日、30数年前に白井駅周辺で写した写真を見せてもらった。
千葉ニュータウンの開発によって白井駅圏に入居が始まったのは、昭和54(1979)年のことである。柳橋さんから見せてもらったのが、約10年後の平成元(1989)年ごろの写真だ。
それから33年―。ニュータウン開発も完了し、現在に至った。この間の変わりように驚くと同時に懐かしさもひとしおである。いくつかの当時の風景を現在の写真とともに紹介しよう。
白井駅南口
▲白井駅南口方面(1989年頃)
▲白井駅南口方面(2022年)
カワチ薬品に到る跨線橋から撮影した写真がいくつかあった。平成元(1989)年当時は、マルエツが入る白井駅前センタービル(1983年築)、白井駅前センター(1986年築)、堀込第一住宅(1979年築)、グリーン南山(1984年築)が見えているが、平成3(1991 )年にアーバンエクセル白井が建って見えなくなった。
そして小さかった桜が跨線橋の上まで育ち、国道464号線も桜の陰で見え隠れする。中銀マンシオン(1991年築)、ライオンズマンション(2009年築)が建ったことも、下の写真でわかる。
白井駅北口
▲白井駅北口方面(1989年頃)
▲白井駅北口方面(2022年)
続いて北口方面だ。写真を撮った平成元(1989)年当時、この跨線橋には北側の降り口はなかった。橋の向こうには NTTと市役所が見える。白井駅(1979年開業)の自由通路はまだ幅員が 6m程度の細い橋。今の丸い屋根の広い自由通路ができたのはいつのことだったか。
今年の写真では、左から中銀マンシオン、ケーズデンキ(2007年築)、トワイズ(2008年築)、プリスタ(2007年築)、ホーマック(当時はGETで、2003年築)が見える。ケーズデンキがある敷地には平成9(1997)年から同18(2006)年の間、暫定商業施設のラ・ポアール(中華のバーミアン、オークス書店、すしせん、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキン、ファミリーマートの6店舗)があった。
平成15(2003)年にはホームセンターのGETができたが、3年後にホーマックに吸収合併され、店舗はホーマックとカワチ薬品になった。
北総線と国道464号線
▲北総線と国道464号線(1989年頃)
▲北総線と国道464号線(2022年)
「北総鉄道」は当時、まだ「北総開発鉄道」と呼ばれていた。写真からも「開発地」を切り開いて走っている雰囲気が伝わってくる。走っているのは、いわゆる「ゲンコツ電車」(7000型)。昭和54(1979)年の開業に合わせて導入され、鉄道友の会のローレル賞を受賞するなどファンが多かったが、平成19(2007)年に廃車となった。
沿道に植えられた桜は当時、まだ3m程度だろうか。今や桜は10mにも成長している。おまけに笹や葛が繁茂しているので、国道464号線を車で走っても、なかなか線路を見ることができない。
東日本実業団駅伝
▲東日本実業団駅伝(1989年頃)
▲白井駅大橋の同じ場所から(2022年)
国道464号線は東日本実業団駅伝のコースとして使われていた。同駅伝は 2007年までは千葉ニュータウンで開催されていたが、交通事情ということで、今は埼玉県庁から熊谷の陸上競技場までのコースになっている。
1987年の同駅伝には、SB食品の瀬古利彦が出場した。ところが、千葉ニュータウンのコースを走っている最中に路面につまづいて足を挫く。そのせいか、翌年開催されたソウル五輪のマラソンでは9位に終わっている。
国道464号線沿道の直立した擁壁の上の法面は当時、雑草だけだった。しかし今、防草シートがあるにも関わらず、ヌルデなどの雑木が生えている。
アーバンエクセル白井CD棟敷地
▲アーバンエクセル白井CD棟敷地(1989年頃)
▲アーバンエクセル白井CD棟(2022年)
上はアーバンエクセル白井CD棟の敷地だ。1989年当時は遠くに県営住宅(1978年築)が見える。
今ではそこから手前に順にパークハイツ南山(1994年築)、テニスコート・ゲートボール場・駐車場(1990年完成)、アーバンエクセル白井CD棟があるが、1989年当時は草原しか見えない。南山公園は低く窪んだ谷戸のままのようだ。
南山公園野球場
▲南山公園野球場(1989年頃)
▲南山公園野球場(2022年)
南山公園野球場が完成したのは平成2(1990)年なので、同元(1989)年当時はまだ工事中だった。工事現場の向こうには県営住宅(1978年築)が見える。遠くには法目地区の家屋も垣間見ることができる。しかし今は、パークハイツ南山に遮られて見えない。
遠景は見えなくなったものの、公園の周りは住宅と高木で囲まれ、素敵な景観になっている。実は野球場が完成して引き渡す直前、工事を担当した組織にいたので職場のメンバーとこの球場で野球をしたが、このことは内緒だ。
白井駅圏がまちびらきした昭和54(1979)年から3年後の同57(1982)年、自治会対抗ソフトボール大会がスタートした。南山公園野球場が完成後、同球場で開催されることになり、さらに20年続いたが、住民の高齢化で怪我人が続出。そのため、平成22(2010)年の第29回大会をもってソフトボール大会が終了した。多くの自治会・選手が参加していたから、出場した若き日の記憶を懐かしむ方も多いことだろう。
なお大会後の打ち上げを起源とする懇親会「えんの会」(月1回)がアーバンエクセル白井のコミュニティー棟で行われていたが、現在は新型コロナのおかげで中断を余儀なくされている。
ケヤキ並木
▲アーバンとグリーン南山の間のケヤキ並木(1989年頃)
▲アーバンとグリーン南山の間のケヤキ並木(2022年)
次は、アーバンエクセル白井とグリーン南山の間のケヤキ並木だ。走っている女の子はタスキをかけている。南山中学(1981年開校)あるいは白井高校(1983年開校)の校内駅伝大会なのだろうか。
ヒョロヒョロで5~6mだったケヤキは、20mほどに大きく育って緑のトンネルになっていたが、12mを超える部分が令和2(2020)年に剪定された。ケヤキ並木の右側敷地には平成3(1991)年にアーバンエクセル白井が建った。
その後遊歩道(歩行者専用道路)は改築されて、舗装はアスファルトからインターロッキングやピンコロ石に替わり、サツキの植栽帯も位置や形状が変わった。
なお枯れたサツキの後には有志が令和元(2019)年からアジサイを植えて美しく育っている。また市道はガードレールで遮断され、国道464号線にまだ繋がっていない。
南山公園
▲南山公園とグリーン南山(1989年)
▲南山公園とグリーン南山(2022年)
最後は調節池にかかる法目橋から南山公園とグリーン南山を撮った写真だ。平成元(1989)年の写真ではグリーン南山と堀込第一住宅の全景が見えているが、今年のはグリーン南山の高層棟屋上のエレベーター室が見えるだけで建物は全く見えない。
小さかったコナラが大きく成長している。法面に看板があるが立ち入り禁止だったのだろうか。公園と市道との間にフェンスも見えるが、まだ公園内の園路(散策路)は整備されていないようだ。
法面には草が生えていただけだったが、今は雑木や葛が法面を覆っている。この欄でもグリーンレンジャーの活動を紹介しているが、美しく育った南山公園の景観の維持・向上・回復のため、引き続き活動を行っていきたい。
★平成元(1989)年ごろの写真は柳橋三郎さんから提供されたもの。今年のは筆者が撮影しました。
【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】
昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。