院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

同窓会の席上で

2011年10月10日 | 日記
昨日、久々の同窓会に参加し、皆さん昔を懐かしんで居ましたが、出席される方は社会的地位がある程度の方が殆どですね。

中学時代の卒業アルバムがない私には、過去の強烈な想い出以外は覚えておらず、その数年間の時代を過ごしてきたこと自体、実在したのかと実感が薄い。

そんな記憶が薄い中でも、六名の同窓生が他界していたことを全く知らなかった訳ではありますが、逆にやはりそうだったのかと今から振り返ると、何時の日だったか、それなりのインスピレーションを何度か受けておりました。

あの一つの空間で、同窓会はそっちのけで、都合で欠席された一部の方やこの世を去った方からの声がバシバシ入って来て、その声を消すためにアルコールのペースを上げたりしてみたが、まったく変わらず、最後は聞き役のトランス状態になってしまったりして。

基本、人は生きて居ても命がなくても魂のみ存在するもので、常に何方でも存在感はある。
その存在感の影が薄いか濃いかの判断と、その存在する場所にがどのような場所なのかで生死が判るらしいが、そこまで真剣に試そうとしたことはない。

まあ、生きるも逆も、ご本人の人生計画の基であるので、そのこと自体を知り得ないと色々な場面で、人間って苦しみが出てくるのですね。
書いていることが解り辛いなら、生きて来る時も、寿命も自己の責任で遂行されるものなので、人生の困難さの体験も、己に起きるすべての出来事が、本人に取って今後の自己を決める貴重な人生経験だと云うことですね。

書けば書くほど解らなくなってきましたでしょうか?
トランスファ超心理ですので、理解不能でしたら何時の日かお逢いできたら話しましょう~
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 発展性にブレーキ、名誉心 | トップ | 多くの方々に感謝の念いを »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事