[4日 ロイター] - ドナルド・トランプ次期米大統領は、明らかに主流メディアに敵対的である。こうした態度が大統領就任後に変わるとは考えにくい。
トランプ氏はジャーナリストを見下しており、自身の財務状況や事業に関する詳細についてもなかなか開示しようとしないため、ジャーナリストたちはますます匿名の情報源に頼らざるを得なくなる。名の通った報道機関は昔からこうした戦略を軽蔑していたものだが。
では、トランプ時代の読者は、もっぱら匿名の情報源に依存している報道に対して、どのようなアプローチで臨むべきだろうか。
「スパイのようにニュースを読め」というのが、その答えだ。情報提供者の素性を伏せることで、ジャーナリストは読者に「信用してくれ」と頼んでいる。彼らが取材したのはインターン(研修生)なのか、議員なのか。情報提供者の側にも、それぞれの狙いがある。
情報提供者が誰だか分からない状況では、彼らが取材に応じる動機を見極め、それを評価するのも難しい。2003年のイラク戦争開戦に至る意思決定をメディアがどのように報じたかご記憶だろうか。記事は匿名の情報源によるもので、どれも「大量破壊兵器」に関するデマカセだった。
もちろん、匿名の情報提供者にもそれなりの役割がある。ウォーターゲート事件のころ、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者、カール・バーンスタイン記者は、民主党全国委員会本部に対する侵入、機密書類の窃取、電話盗聴へのニクソン大統領(当時)の関与について詳細を確認するため、「ディープスロート」と称する情報提供者を利用した。社会に情報を提供した引き換えに報復を受けることのないよう、本物の情報提供者は保護される必要がある。特に、国家安全保障に関する内部告発に関する場合はなおさらだ。
多くの読者は、選択肢は2つしかないと思っている。記者の言葉を信じるか、信じないかだ。結果として、単に他人の仕事をパクるだけの「まとめメディア」の餌食になる内部告発記事が絶えないことになる。その後、記事は単なるツイッターのネタとしてネット上で使い捨てられる。われわれは自分が読むものをデタラメと決めつけるか、自分が信じる記事をデタラメと決めつける人をののしるか、どちらかになりがちだ。
トランプ氏のビジネス面での経歴については特殊な状況があるため、今後4年間にわたって、真の匿名情報提供者が報道で大きな役割を果たすものと思われる。その一方で、ウェブの持つ自己増幅的な性質と、党派色の強いニュースサイト、同じく党派色の強い読み手が存在することにより、匿名の情報提供者が、これまで以上に無節操に、あるいは誤って利用される可能性が生じている。
では読者は、スパイとしての疑り深さをどのように駆使すればいいのか。
1つの方法は、情報機関の関係者が自分の情報源を評価するときに利用している基準をいくつか試してみることだ。読者としては、ある記事の匿名の情報提供者の素性がまったく分からないのだから、あらゆる基準を適用するわけにはいかない。しかし、提示された情報から逆算して、その情報を提供できるのは誰なのかを考えることは、聞かされた話がどの程度信用できるかという感覚を身につけるうえで良い出発点になる。
たとえば、情報提供者は、知っていると称する情報を知り得る地位にいるだろうか。これは、情報機関の関係者が「スポッティング」と呼ぶ考え方だ。記事が「官僚は新大統領に不満を抱いている」と主張する場合、大規模な中央省庁の人事部門の知人からの情報なら適切だろう。
しかし、その情報提供者は、世間話の範囲以上に、どれだけ多くの関係者の意見を知り得る立場にいるだろうか。数万人の職員のうち数十人ではないだろうか。すると、最終的な記事に「国務省職員は新政権に不満を抱いている」と書かれているとしたら、そういう漠然とした表現はどこまで信用できるだろうか。一握りの人々がどう考えているかというだけの記事ではなかろうか。
「知り得る立場か否か」という考え方は、情報提供者が「自分は重大な会話を知っている」と主張するときに非常に重要になる。どうして彼らは次期大統領と外国首脳の間の通話内容を知っているのか。そのような場に立ち会えるのは極めて少数の人間である。その誰かがリークした可能性があるのだろうか。
何らかの行動の背後にある「理由」、意思決定者の考えを知っているという情報提供者の主張を引用する記事は、特に疑ってかかる必要がある。一般論として、中枢にいる当局者は、ごく狭い範囲の身内以外に本当の動機を説明する習慣を持たない。それは読者自身の生活でも同じことではないだろうか。
本物の情報提供者は、何かを喋ることによって、有利な職を失う、場合によっては服役するといった何らかのリスクを負っている。情報のリークによって彼らが得るものは、彼らが負うリスクに見合っているだろうか。その一方で、情報提供者が、世論に影響を及ぼす狙いで、偽情報を流す可能性もある。たいていの場合、これは機密文書からの抜粋という形をとる。匿名の情報提供者は、刑務所送りになるリスクを冒してでも、そのようなリークによって何を実現したいと思っているのだろうか。
読者が、謎の情報提供者のアジェンダ(彼らが望んでいること)を理解できないのであれば、ポーカーをやりながら、鏡を見るまで誰がカモにされているのか分からない連中と同じだということになる。何かの狙いがあってリークされる場合、その情報が真実である可能性も残ってはいるが、明敏な読者であれば、ひとまず疑ってかかることは有意義である。
もう1つ試すことのできる基準は、提供された情報が、信頼性に関する「絞る価値のあるジュース」テストに合格するかどうか、である。たとえば、情報提供者が、「候補者X氏は交通違反のキップを切った警察官を殴るよう命じた」と主張しているとする。しかし、選挙の候補者が、些細な違反でキップを切られた報復に警察官を殴るよう命じてトップニュースになるようなリスクを冒すだろうか。注意深い読者であれば、それはどれほど非現実的であっても信じたいニュースなのか、ということを自問しなければならない。
同様に、今読んでいるものは、同じ主題に関する他の情報と整合性があるだろうか。新しい情報は既知の事実を踏まえているだろうか。情報機関の関係者は、これを「期待可能性」と呼んでいる。全体として、ある記事が「期待可能性」から離れれば離れるほど、それだけ強く疑ってかからなければならない。どんなことでも何かしらの説明はできるものだが、たいていは、「もしかしたら本当かもしれない」「真実でないとは証明できない」という考えから、虚偽のニュースや誤解を招く不正確な報道が生まれるのである。
では、実際にこうしたノウハウを使ってみよう。
たとえば、民主党寄りのシンクタンク「センター・フォー・アメリカン・プログレス」系列下にあるニュースサイト「シンクプログレス」が発表した記事では、トランプ氏自身が率いる企業「トランプ・オーガナイゼーション」は新政権へのお祝儀として、フォーシーズンズ・ホテルで予定されていたクウェート建国記念日祝賀会の会場を、ワシントンで新たに開業したトランプ・インターナショナル・ホテルに移すよう、クウェート大使に圧力をかけたと報じている(クウェート大使は、「シンクプログレス」の記事でも、その後発表された「ポリティコ」の記事でも、圧力を否定している)。
こうした微妙な交渉に接し、大使と直接言葉を交わすだけの人脈を持つようなトランプ陣営の誰か(娘のイバンカさんだろうか)、あるいはクウェート大使館の誰か(大使の側近か)が、この情報をリークしたいと考えるだろうか。
トランプ氏は、祝賀会のケータリング費用に関する明らかな腐敗疑惑を生むようなリスクを冒すだろうか。クウェート大使館は、トップニュースで報道され、その正誤について泥仕合に陥ることを望むだろうか。あるいは、ジャーナリストや情報提供者が、トランプ氏の批判勢力なら賛同しやすい既存の話法に便乗することで、彼の評判を落とそうと企んでいるのではないか。
結局のところ、情報機関の関係者であっても、何が100%真実であるかを知ることはめったにない。そこで彼らは、情報の信頼度に「高」「中」「低」などの格付けを与え、それに応じて、その情報に基づく(あるいは基づかない)行動を取る。
匿名の情報提供者に基づく記事が真実であるか否か、読者が確実に知ることはできない。どんなことでも可能性があるとはいえ、確率が高いのはその一部にすぎない。それが普通の賭け方である。
「誰がそれをやったか」「なぜ彼らはそうしたか」といった種類の、選挙の季節に見られる深い疑惑と性急な非難は、大統領就任式の当日になっても消えそうにない。米国現代史のなかでも最も尖鋭な党派的対立がメディアを動かすだろう。あらゆる報道メディアが、ライバルに先んじてスクープしなければというプレッシャーに直面する。
2017年、メディアとの関わりは、もはや受動的なプロセスではない。読者は警戒せよ。
以上、ロイターコラム
情報については、マスコミが都合のいい情報しか流さない傾向が日本にもある。
インターネット、国際放送の情報を収集して判断する必要がありそうだ。