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赤穂と岡山 その2

2015-10-05 09:46:28 | あちこち自然探訪

さて、2日目は岡山市内。
岡山市内で観光ガイドに紹介されているのは、後楽園と岡山城。半日で十分か?午後は龍野にでも行こうかと考えていましたが、なんのなんの、興味はつきません。

お城の近くに泊まったのですが、このあたりは岡山カルチャーゾーンと言って、後楽園などの緑とともに美術館、博物館、ホールなど文化施設が集中するほか、古い街並みやおしゃれなカフェ、バールなども集中するゾーン。写真の変わった形の建物はシンフォニーホール。この日は歯科関係の学会をしていました。


まずは、後楽園へ行く前に旭川の手前の街中を散歩。
岡山市内も空襲を受けていますが、残存する古い建物もあります。
これはシンフォニーホール前の禁酒会館。


後楽園対岸の出石町にも古い建物が見られます。


これは旧福岡醤油。保存プロジェクトが行われているようです。建物の奥の方が下がっているのがわかります。
これらの建物は津山街道沿いにあり、城下町の町割りでは出石町は町人地でした。商業の中心だったんでしょうね。すぐそばが旭川ですから、川沿いの高くなった場所にあることがわかります。それが自然堤防なのかどうかは不明です。どうやら岡山市内のかなり広い場所が低い土地であるようです。出石町はかつての経団連の土光氏ほか有名な出身者がいます。


さて、旭川を渡り、後楽園に向かいますが、その前に入口前にある岡山県立博物館に立ち寄りました。岡山県の歴史が簡単に紹介されています。岡山県はかつては先進地帯で法然さんとか史上有名な人々を多数輩出しているほか京都で有名な高瀬舟の技術のプロトタイプが岡山で開発されたことなども紹介していました。
ただ、岡山市内歩きに役立つ情報をもう少し紹介するものが欲しかったです。


さて、いよいよ後楽園です。木が大きく、樹木観察にもよさそうです。写真は入口前のモミ(左)とツガです。


後楽園はときどきニュースなどに出てきますが、映像では漠然とした感じでよくわかりませんでしたが、入ってみると緑に包まれる感じが心地よく、これは体感すべき庭園なんだと思いました。


殿様になったつもりで、ゆるゆる歩くのもいいですが、見どころをいろいろ発見してみたいと思い探しました。

殿様の前で藩士が馬術をみせたという馬場の土手はヤブランの大群落。植栽ですが、ヤブランだけでこれだけ大規模なものは見たことがありませんでした。


慈眼堂というかつて観音堂だった建物前にある大岩は32分割して運び込んだとか。


園内にはアオバズクもいるようです。


芝生地とともにポイントになるのが大きな池。奥の池は沢の池といい、園内最大の池です。池から橋をくぐって細長い池がつづきます。その手前ににも細長い水面がありますが、これは園内をめぐる曲水の一部です。池の水はどこから来ているのでしょうか?曲水との関係は?


曲水の水源はさきほどの馬場のすぐ近くでした。かつては旭川の上流からひいた後楽園用水を使っていましたが、現在では伏流水をポンプアップしています。水路奥の暗渠からはモーター音が聞こえます。


曲水は藩主が訪れたときの居間である延養亭の前を流れます。


廉池軒という亭舎の前に曲水から池への水の取り入れ口があります。ここから奥の細長い池を通じて沢の池に入るようです。しかし、沢の池の水はどこからぬけるんでしょう?


園内には御舟入跡というものもあります。


後楽園の初期のころは、殿様は対岸のお城から園内の入江に船で入ったそうですが、維持がむつかしくなったため、のちには川沿いの船着き場につけるようなったそうです。入り江の入口は埋められて堤防になり、後楽園の南門になっています(写真の右側)。御舟入跡は発掘されてかつての様子が見られます。奥のくぼんだところが船が入るところです。


これが発掘された御舟入の石段です。


かつての御舟入の地図です。対岸にも船着き場があったことが描かれています。


かつての御舟入の前はボート乗り場です、こちら岸は城側の船着き場跡。


後楽園側から見た岡山城 再建されたものですが、なかなかいいデザインです。黒を基調に金色を配しているのは秀吉ごのみだとか。


お城から鯱を前に後楽園を見る。


お昼は旭川沿いのカフェで。2階の窓からは風が入り気持ちいい。


岡山市内にはレンタサイクルがあちこちに配置されています。この機械で借りる手続きをするようですが、説明のシートをあとからいろいろ貼ってあって、システムがわかりにくいのかな。


さて、お城に入りました。今はお城といえば天守閣がゆったりと構えた公園のイメージですが、現役の時代は藩主の居宅や行政を行う建物などお城の構内は建物でびっしりつまっていたようです。表書院のあった場所は、建物はもうないですが、部屋割りが地面に表示されています。説明の人の話では、これだけ建物でつまっていると火事の時丸焼けになってしまうとのことでした。


また、江戸時代以前、宇喜多家の時代の石垣も一部発掘されていました。


前庭からの岡山城(烏城)です。見ごたえありますね。


大手門近くの石垣に表示をみつけました。昭和9(1934)年の室戸台風のときの最高水位を示すものとのことです。


表示のあったのは、一番奥に見える白い小さな看板の左側の石垣の上のほうです。この高さだとおそらく出石町など一部をのぞき岡山市内の多くが水につかったのではないかと思います。


街中ではこんな高低差も良く見ました。旭川と平行に走っていますので、かつての流路のあとではないかと思います。


宇喜多時代の最初の城跡というのもありました。ここらのお散歩用の資料もあれば楽しいですね。

町中といってもほとんどカルチャーゾーンの中だけでしたが、ここに紹介したものはごく一部です。岡山は歩いて楽しい町でした。


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