はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

おばか企画 白と黒の恍惚 5

2020年05月12日 07時19分01秒 | おばか企画・白と黒の恍惚


西の地平線に、徐々に徐々に陽が食われていく。
同時に、代理の太陽とでもいわんばかりにあちこちの妓楼で、うつくしい灯篭に火が灯され、客引きが通りがかりの男たちに声をかけていく。
猥雑な町のなかを、嬌声と楽の音、人々の踏む足音などが混ざり合い、独特の空気をつくりあげている。
この空気がまるで粘膜のようになって、日常では起こりえないような、きわめて危うい状況をも、すっぽり包み込んで、人々の意識のなかに、曖昧に溶かし込んでしまう。
まさに闇、と形容するほかない、得体のしれない気配が、街にはある。
しかし、それは甘い毒を含む、なんとも魅惑的なものである。
太陽が昇るのと共にそれを振り切る勇気がなければ、足を踏み入れないほうが無難だろう。

「飲み屋には入るが、このあたりにはあまり足を踏み入れたことがないな」
「表通りに面している店は一流どころばかりだが、この裏手となると、だいぶ落ちるうえに、物騒な連中も揃っているからな。無理に袖を引かれて、どこかに連れ込まれそうになったら、思い切り叫ぶのだぞ。わたしか趙将軍がすぐに行くから」
偉度の言葉に、休昭はすっかり不貞腐れて言う。
「そこまでわたしはひ弱に見えるのか?」
「見るからにカモだ。隣で笑っている文偉、おまえも危ない。そうだな、休昭は趙将軍の側へ。文偉はわたしと共に」
趙将軍だと、違う意味で客引きの集中砲火を浴びそうだよね、と話しながら、それでもきちんと偉度の言うことを聞く二人。
その二人を見る偉度に、趙雲が言った。
「おまえも油断するな」
「わたくしに、それをおっしゃいますか」
「おまえには、こいつらとは違う意味で警戒すべき人間がいるだろう。このあたりには、特にな」
「そういう意味でございますか。たしかに」
「名のある武将とて、油断すれば呆気ないものだ。おい、白まゆげの弟、おまえもあまり、離れるなよ」
相変わらず、不機嫌な馬謖は、苛立ちを隠さず言った。
「わたしが行くところは、わたしが決めますよ」
「軍師にもそういうところがあるがな、あれは、ちゃんと時と場所を考えてわがままを言うぞ。すこし周囲を見ることを覚えろ。そうでなければ、おまえの先行きは真っ暗だぞ」
趙雲の説教にも、馬謖はぷいと顔をそむけて、答える。
「わたしには、あなたの説教は効きません」
馬謖は光沢のある、高価な絹を普段に使った衣裳を身に纏っており、あたりの客引き、妓女、そのほかもろもろから、熱い視線を浴びているのだが、そこに気づかない。
趙雲ら四人は、地味にしているので、適度に声が掛かる程度である。
「じゃあ、勝手にするがいい。では、片っ端から聞いて回るとするか。偉度、おまえに心当たりはないのか」
「わたしの知っている店に軍師が出入りしているのなら、すぐに気付きます。そうではない店でしょう。あの人のことだから、あんまり裏路地には入り込んでいないと思います…が…断言できませぬ」
「あれだけ派手なのがうろうろしていれば、多少は噂にもなるだろう。それも聞こえてこないのか」
「いつぞや、独りで羽根を伸ばしたいとわがままを言って、地味な衣裳を着て屋敷を抜け出したことがあったでしょう。ご丁寧に、代理の等身大の人形に自分の服を着せて、卓に座らせて、動いていないように見せかけていた。そういうことを冗談半分、本気半分でする人ですからね」
「あったな。あの人形、どうしたのだっけ?」
「左将軍府の庫に仕舞ってあります。夜更けに見ると、ぎくりとしますよ。なかなか精巧に出来ているから、燃やすに燃やせないし、厄介物です、本当」

趙雲と偉度の会話を聞きながら、文偉と休昭はひそひそと話をしていた。
「われらの知る軍師と、趙将軍と偉度の知る軍師は、やはりすこし違うのだな」
「そういえば、父上が、軍師は集中力がなくなると、後れ毛を引っ張って枝毛を探すが、あれは悪い癖だと言っていた」
「枝毛…そういえば、わたしも髪を切らねば…と、おや? 馬幼常がいない」
「本当だ。どこかに遊びに行ったのかな」
「悪いが、すこしほっとしたよ。偉度をあんなに怒らせるんだもの。よほど相性が悪いにちがいない。偉度が怒ると、ものすごく遠い世界の人間になってしまう気がして、嫌なのだ」
「それは判るよ。偉度は、わたしたちの知らない、なにかを持っているが、偉度が何も言わないのだ。わたしたちには関係のない事柄なのだろう」
「そうさ。過剰に相手に踏み込むのは、無粋者のすることさ。この話題はもう打ち切りにしよう。それより軍師だ」
「ちょっと見上げれば、いたりして」
と、休昭は人の良い笑顔を見せて、星がちらちらと瞬き始めた空を見上げるが…
「あ」
「どうした?」
「いた」

休昭の言葉に、一同が見上げれば、妓楼の二階、ちょうどせり出した、通りを一望できる欄干に腰を掛ける形で、孔明は真剣な顔をしてなにかを見つめている。
それは、戦場でしか見せることのない、厳めしい表情であった。
ちょうど、ぐてんぐてんに酔っ払った男が、あたりに意味不明の言葉を撒き散らしながら、二階を見上げる四人の脇を通り過ぎようとする。
が、動きのある往来のなかで立ち止まり、ぽかんと上を向く四人が気になったらしく、一緒になって上を見上げ、声をたてて笑った。
そして、相変わらず、趙雲たちに気づかないでいる孔明に言う。
「おおい、そこの女みたいな面した兄さん、あんたも売り物かい?」
すると、孔明は目線を移動させないまま、手で何かをつまみ上げ、無言のまま、男にそれを投げ落とした。
ぱらぱらと、豆のように落ちてきたそれは、いくつか男にぶつかり、男は、それでも上機嫌で、
「こわい、こわい」
と言いながら去ろうとする。
しかし、趙雲がさりげなく足を伸ばして、男を地面に転がした。

足に来た、もう帰ろう、といって立ち去る男を横に、文偉と休昭が、落ちてきたそれらを拾うと、それはなめらかな光沢をもつ白と黒の石であった。
「碁石?」
ふたたび二階に目を転じると、孔明のものではない、知らない男の声がする。
「旦那、まーた投げたんですかい? 碁石だって、タダじゃねぇんだ。あんまり道端に投げないでくださいよ」
男のぼやきに、孔明は姿勢を変えないまま、答える。
「このあたりには、口の悪い人間が、特にあつまるらしいな」
「からかわれるのが嫌だってんなら、そんな目立つところにいなきゃいいんですよ。奥に部屋だって取れますぜ」
「奥は、脂粉の匂いがきついから嫌だ。女たちの邪魔にもなるであろうし」
「旦那がそこにいるだけで、もう十分に営業妨害ですぜ。まあ、こっちはおぜぜを沢山いただいておりますので、文句はいいやしませんが」
「そうだとも、こちらは大変な出費だ。こうなれば、意地でも勝つまで通う」
「何度、通ってこられたって、無駄でさ。なにせ、生まれてこの方、あたしは碁で、誰かに負けたことなんて一度もねぇんだ。
武術の腕はからっきしだってぇのに、用心棒なんてしてられるのも、剣じゃなくて囲碁で相手を負かしてきたから。ま、つまりは、この白と黒の石ころたちは、あたしの大事な盾と矛ってところですかね。ほら、今度も旦那の負けだ」
「まだだ! 最後まで決まっておらぬ!」
「そんなこと言って、こっちに置くのなら、あたしはこうします。ほら、どちらにしても八方塞り、旦那の負けですよ。さあて、今日も授業料いただきます」

妓楼の用心棒の男は、ちょうど影になって見えなかったが、孔明に向かってにゅっと手が伸びたのだけがわかった。
妓楼の入り口を飾り立てる灯篭の明かりに浮かぶ孔明は、仕方ないと言いながら、懐から、可愛らしい包みを取り出して、男に差し出す。
「今日はなんです」
「香だ。これだけ毎日、浴びせるように物を贈っているのだ。おまえの女は、いいかげんに一緒になるのを承諾してくれたのではないか」
「それが足元を見られているのだか、うんと言ってくれねぇんですよ。荒っぽいことはしたくねぇし、それこそ、こちらは八方塞がりですよ。旦那、どうしたらいいと思います?」
用心棒の馴れ馴れしさから見て、相手は孔明が何者であるかを知らないらしい。
用心棒の声に、孔明は生真面目なところを見せて、ううむ、と考え込んでいる。

そのやりとりを、ぽかんと聞いていた一堂であるが、そこへ、妓楼の主が出てきた。
「ちょいと、あんたら、でかい図体で、そうして立ってられると、こちらも商売の邪魔なんだがね! うちに入るの? 入らないの?」
「おまえが、ここの主人か」
趙雲は特に凄んではいないのだが、人を見る目に長けている妓楼の主は、ただ者ではないと察したのか、態度を軟化させて答えた。
「左様でございます。わたくしどもに、なにか」
「聞きたいのだが、あの二階の、女を買う場所で、なぜだか碁を打っているヘンなの、何者か知っておるか」
「あのお方ですか。うちの用心棒に挑戦しにきた、囲碁好きでしょう。毎日のように通ってこられるのに、うちの用心棒ばかりと囲碁なんか打って、女たちには見向きもしない。本当にヘンな…って、まさか」
と、主人は顔色を変えて、そっと趙雲に耳打ちをする。
「よその店の、うちの用心棒を引き抜きに来た、女に興味のない、もと陰…」
とたん、派手な音がして、地面に妓楼の主人が、頭に瘤をつくって、趙雲の足元にのびていた。
その音に、ようやく二階の孔明は気づいたようである。
そうしておや、と顔をしかめて言った。
「子龍、青少年を導くべき立場にある人間が、このような界隈に、連れ立って来ては駄目ではないか」
「事情は呑みこめた。いますぐ降りて来い」
「なにを言う。まだ宵の口ではないか。あと一局」
「いますぐ降りて来い!」
趙雲がきつく言うと、孔明は、しぶしぶ、というふうに席を立ち、不満そうに姿を現した。
「なにを怒っているのだ。ようやく相手の癖を見極められるかもしれないというところであったのに」
「囲碁の」
「うん、囲碁の」
「あのな」
趙雲は深く息を吸い込む。それを見て、孔明はさっと顔色を変えて、あわてて耳を塞いだ。

「囲碁ごときで騒ぎを起こすな、たわけ!」

あたりの喧騒はぴたりと鎮まり、視線は一気に趙雲と孔明という、遠目にも目立つ二人に集中している。
事情を知る休昭と偉度と文偉は、恥ずかしさのあまり、身の置き所がない。
が、趙雲は慣れたもので、鋭い視線を周囲に向けると、
「見世物ではない! 各自、作業を再開せよ!」
とふたたび怒鳴った。
「なんの作業ですか、恥ずかしい」
偉度がこぼすが、趙雲はそれを無視し、孔明に言った。
「囲碁の相手ならば、宮城や左将軍にもたくさんいるであろう。なぜ、このような誤解を招く場所にまで足を運ぶ理由がある」
「誤解を招くからこそ、あえて単独でこうして来たのだよ。それに、囲碁の相手と一口に言うが、みなわたしに遠慮しているらしくて、いつも勝ってばかりなのだ。刺激を求めているところへ、ちょうどこの男が、囲碁を打っているところに行きあったのだ。
客と、ツケを払うか払わないかの勝負をしていたのだが、それは見事な手でな、感心して声をかけたら、いつもはこの店で用心棒をしているから動けない。通ってきれくれ、というのだ」
「女物の数々は?」
「ただ囲碁を打つだけではつまらぬので、わたしが負けるたびに、この男の想い人への贈り物を、わたしが用立てるという約束をしたのだ」
「おまえが勝ったら?」
「わたしが喜ぶ」
「呆れたものだな。おい、おまえたち、こいつに遠慮して、いつも負けてやっているのか?」
「申し訳ありません、われら、あれで実力全開です」
と、文偉が代表で言い、偉度も休昭も、そうだと頷いた。
「幼宰殿や許長史は?」
「話にならぬ」
「白まゆげは?」
「それこそ、昔から負けたことがない」
と、孔明は思い出したらしく、店の入り口から、こわごわとこちらの様子を伺っている用心棒と、瘤をさすりながら、怪訝そうにしている店の主に振り向いた。
「長々とすまなかったな。そなたには、累が及ばぬようにするゆえ、安心して用心棒をつづけるがよい」
また来る、と言いかけた孔明を、趙雲は先制して言った。
「今度、そいつと碁を打つなら、左将軍府に呼ぶのだな。そしてちゃんと褒美を与えればよい。二度と、単独でこの店に来てはならぬ」
「あなたと一緒ならばよいのか」
「却下」
「ふん、近頃、意地が悪いぞ、人のせっかくの楽しみを」
「楽しみ方による。さ、帰るぞ」
趙雲が踵を返すと、孔明はぶつぶつ言いながらそれに従い、そのあとを、遅れて、ホッとしたような顔をして偉度、つづいて呆気にとられて、いまだ事態が呑みこめていない文偉と休昭がつづいて夜の成都を歩いて行った。

その後、孔明の連敗記録がどうなったかは、また別の話である。

「文偉、そういえば、馬幼常はどうなったのだろう」
「それも次の話らしい」
「つづくんだ…」

まだつづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/09/24)


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