二〇二五年二月八日(土)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主の本棚ってどこからどこまでなの?
どこから始まってどこまでっていうふうには全然考えたことないなあ。本だけじゃなくてCDとかDVDとか古いカセットテープとか乗り入れてるし。
整理整頓しないの?
時々やってるよ。見た目はあんまりわかんないだろうけど。ってかタマも小型のラックとかに乗って散らかして遊んでない?
えへへ、まあね。で、このまえ本棚のそばのダンボールをたまたま覗き込んでたらさ、CDの束の中にね、死んじゃったお婆さんが持ってた「朗読 世界の文学」って見つけたんだ。
あれは遺品。戦時中生まれでお金持ちとはほど遠い家柄だったから大学に行けなかったことをずっと根に持っててね、だからって息子が大学へ行っても自分が学びたいことを自分で学んでるのとは全然違うじゃん。母はどこまで行っても母。息子はどこまで行っても息子でしかない。七十五歳過ぎた頃から「朗読 世界の文学」とかその手のCDをちょっとずつ買い出したんだ。でタマは知らないわけだけどその手のCDって要約してあるのさ。要約が悪いってわけじゃないけど、でもね、どこか引っかかりを覚えながら聞いてたみたいだった。今の受験生みたいに若い頃に速読覚えたら幾らかできたかも知れないけど七十五歳過ぎてとなるとね。悔しかったろうけどどうしようもなかった。
悔しがってたの?そんなふうには見えなかったなあ。いつもにこにこタマのこと可愛がってくれたよ。
表に出すタイプじゃないし。
タマは精一杯表に出すよ。せっせと爪で引っ掻いたり。
あ、思い出した。爪切り。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。
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