白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ハン・ガン「少年が来る」のアンビギュイティ(両義性)

2025年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ハン・ガン作品の特徴について福島亮太はいう。

 

「惨事の決定的瞬間ではなく、むしろそこからの微妙なズレ(非同期性)を際立たせる」(福島亮大「ハン・ガンのアンビギュイティ」『群像・3・P.131』講談社 二〇二五年)

 

それは例えば次のシーン。

 

「女性のリードで愛国歌の斉唱が始まる。数千人の声が、高さ数千メートルの塔のように幾重にも積み重なって女性の声を覆ってしまう。ひどく重々しく上昇した後に絶頂から決然と吹き下りるそのメロディーを、君も低い声でなぞって歌う」(ハン・ガン「少年が来る・P.12」クオン 二〇一六年)

 

韓国国歌が「ひどく重々しく上昇した後に絶頂から決然と吹き下りる」。その際の「この雪崩の運動を背景として」、ハン・ガンの描く「出来事」は、「しばしば群衆を呑み込む重たい雪崩のように発生し、主体を拉致する」あるいは「この雪崩の後に、主体は遅れて到着する」。

 

「この雪崩の運動を背景として、不慮の死を遂げた大勢の棺の並ぶ情景が描かれる。ハン・ガンの出来事は、しばしば群衆を呑み込む重たい雪崩のように発生し、主体を拉致する。あるいはこの雪崩の後に、主体は遅れて到着するのである。この微妙なズレ(非同期性)によって、ハン・ガン的主体は生を強く実感する前に、生から半ば剥離してしまった亡霊的存在、つまりホットでカラフルな生よりも冷ややかな死に近いモノトーンの存在として現れることになる」(福島亮大「ハン・ガンのアンビギュイティ」『群像・3・P.133』講談社 二〇二五年)

 

冒頭部からすでに「微妙なズレ」は顕著である。たいへん目立つ。もうひとつは福島亮大が批評のタイトルに用いているハン・ガン小説の「アンビギュイティ(両義性)」。両義性は「あいまいさ」でもある。

 

そもそも「君」、「僕」、「彼女」と、「パラレル」で描かれるかぎりどの位置も交わるわけはないはずなのだが、福島亮大のいうように「交わらないはずの平行線が交わるような錯覚」が生じる。ただ単なる安易な「連帯の物語」ではないし安易な「連帯の物語」にしようとしてもやりようがない。だったら「連帯」はどこにもないのか、ということでもまたない。「君」《と》「僕」《と》「彼女」《と》」は連続していると同時に非連続でもある。東アジアの近代史がそうだからだ。

 

二〇二四年末に起きた「尹大統領戒厳令宣布」。尹大統領の「あの時代錯誤」について福島亮大はいう。

 

「彼の時代錯誤的な世界観は、冷戦時代のイデオロギーの『被曝』が、まだ韓国の内部では終わっていないことを示している」(福島亮大「ハン・ガンのアンビギュイティ」『群像・3・P.135』講談社 二〇二五年)

 

「冷戦時代のイデオロギーの『被曝』」

 

どういう感覚をいうのだろう。ハン・ガンはこう書いている。

 

「その経験は放射能被曝と似ています、と語る拷問を受けた生存者のインタビューを読んだ。骨と筋肉に沈着した放射性物質が数十年間、体内にとどまって染色体を変形させる。細胞をがんにして生命を攻撃する。被曝した人が死んでも、遺体が焼かれて骨だけが残っても、その物質が消え去りはしない」(ハン・ガン「少年が来る・P.260~261」クオン 二〇一六年)

 

韓国ではなぜこうも「軍の美化」と「特権意識」が強いのか。だが全斗煥の光州事件よりもっと前に軍事クーデタを起こして大統領になった朴正煕は戦時中の日本陸軍士官教育の中で軍国主義教育を叩き込まれた人物であって日本との繋がりが極めて深い。

 

「《生きている人が死んだ人をのぞき込むとき、死んだ人の魂もそばで一緒に自分の顔をのぞき込んでいるんじゃないかな》」(ハン・ガン「少年が来る・P.17」クオン 二〇一六年)

 

うつ病歴が長いとさほど驚くことはないものの「少年が来る」読後感はうつ病患者のうつ状態がたいへんひどいときに感じる「離人現象」に近いものを思わせるものでもあった。


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