白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

沖縄県米軍基地問題と日本政府

2018年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム
国家的暴力とは何か。先日、沖縄県知事=玉城デニーと安倍首相との顔合わせがあった。資本主義が今日のようになる遥か以前、資本主義システムがまだ「グローバル資本主義」を達成するよりもっと前の発展途上の時代にあったような事態が、なぜ、2018年の日本で発生しているのだろうか。

「一方の極に労働条件が資本として現われ、他方の極に自分の労働力のほかには売るものがないという人間が現われるということだけでは、まだ十分ではない。このような人間が自発的に自分を売らざるをえないようにすることだけでも、まだ十分ではない。資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統や慣習によってこの生産様式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。完成した資本主義的生産様式の組織はいっさいの抵抗をくじき、相対的過剰人口の不断の生産は労働の需要供給の法則を、したがってまた労賃を、資本の増殖欲求に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は労働者にたいする資本家の支配を確定する。経済外的な直接的な強力も相変わらず用いられはするが、しかし例外的でしかない。事態が普通に進行するかぎり、労働者は『生産の自然法則』に任されたままでよい。すなわち、生産条件そのものから生じてそれによって保証され永久化されているところの資本への労働者の従属に任されたままでよい。資本主義的生産の歴史的生成期にはそうではなかった。興起しつつあるブルジョアジーは、労賃を『調節する』ために、すなわち利殖に好都合な枠のなかに労賃を押しこんでおくために、労働日を延長して労働者自身を正常な従属度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十四章・いわゆる本源的蓄積・P.397」国民文庫)

米中を中心とした巨大資本による「地理的/物的空間」の収奪は、現在のところ、アフリカのごく一部などを残してほとんどすべての地域で完了しつつある。「地理的/物的空間」の収奪が完了しつつある今では、世界中に行き渡った「電子/金融空間」での収奪が急速に進んでいる。次はどのような欲望の市場を準備して、さらなる収奪がより一層大規模な形態で遂行されるようになるのだろうか。

ところで日本政府の対応は何だか、国内向けに、ただひたすらいちびって見せているようにしか思えてならない。例えば「TAG」とは何なのか。「FTA」と比較して何がどう違っているのか。不可解と言うほかない。聞かされたほうはただただ白けるばかりで情けないことこの上ない。

BGM

病状推移

2018年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム
この一年というもの、ろくに本も読めないような状態が続いていた。鬱病というものは本当に気長に考えておかないと、いつ、どこで、どんな状態に陥り、そしてそれがいつまで、さらにどのように推移して行くか、てんでわかったものではない。実に難儀だ。

その間に2018年度第18回本格ミステリ大賞が決定していた。

今村昌弘「屍人荘の殺人」東京創元社

昨年の秋に発表された。と同時に読んだ。面白かった。時期的に個人的なことを言えば、鬱状態の悪化の直前くらい。悪化の前だったので読書もまだできていた。

活字を読むことができるかどうか。できるとすればどの程度か。理解の度合いはどうか。それらはみな病状判断の基準の一つになっている。

もっとも、この小説を読んだから鬱状態が悪化したわけではまったくない。どの小説であろうとなかろうと、新聞や週刊誌の見出しであってもなくても、ところかまわず鬱状態は悪化するし、逆に良好にもなる。

慢性化してからもう15年くらい。けれども今だに慣れるということがなく、ほとほと鬱陶しい病気だ。今後も付き合っていくのかと思うと気が遠くなりそうでもある。しかしまあ、それはそれとして、猫のタマは今日もマイペースでよく寝ている。飼主が病気だからといって、その猫まで一緒に病気になるとは決して限らないのである。当たり前だが。

BGM

リハビリ読書

2018年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム
そういえば、つい最近、こういうのも読んでいた。

黒岩重吾「西成山王ホテル」ちくま文庫

短篇集。文体はあまり好きでないのだが、80年代バブル以前の大阪「釜ケ崎」に生きる人々を主役に持ってきていて面白い。そして生々しい。「釜ヶ崎」は今や往年の日雇い労働者街の色合いさえ急速に失いつつある。その善悪は別として。ともかく小説は、日雇い労働者街としての「釜ケ崎」全盛期のそのまた以前、赤線や青線が残っていた時代の最後の残影を舞台にしている。当然、内容は濃い。

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(上下)新潮文庫

読者としては、大学入学の前年に発表された作品。翌年、「ノルウェイの森」が大ヒットする。が、個人的には「世界の終り〜」の方が好みだし、今でも「世界の終り~」の方が出来が良いだけでなく、二十一世紀に入ってなお再読する価値のある内容なのでは、と思っている。

BGM