北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館は、近衛師団司令部だった建物で、新進気鋭の陸軍技師・田村鎮の設計により明治43年に落成した。
近衛師団は、陸軍最古参の部隊として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にあたる枢要な部隊司令部に相応しい威厳ある建築である。様式はゴシック風で、延べ床面積は1860㎡。赤煉瓦と白の花崗岩の組み合わせが見事だ。
この近衛師団司令部を有名にしているのは、やはり昭和20年8月15日に起こった森赳師団長惨殺事件だ。森師団長は、2階の師団長室で殺害されている。敗戦の日における軍部の動きは興味深いものがあるが、殊、近衛師団長惨殺事件など8.15における皇族・軍人などの動きを含め極めて興味深い見解を示しているのは、下記の鬼塚英昭氏の「日本のいちばん醜い日」だ。是非とも一読をお勧めする。
→日本のいちばん醜い日
敗戦により近衛師団は解散したが、師団司令部はその後、皇宮警察の寮として利用され、兵舎は東京学生会館として利用されていた。昭和38年、北の丸地区再開発により近衛師団や連隊兵舎等の建物群が撤去され、現在の北の丸公園として整備された。
昭和39年4月には、国立公文書館、国立近代美術館、科学博物館などが建設される事になり、近衛師団司令部も解体される運命にあったが、近衛連隊の戦友会が中心となって明治期における洋風建築の歴史的遺構としての保存運動が沸き起こった。この影響もあり近衛師団司令部は、国の重要文化財の指定を受ける事になり、破壊を免れた。
その後、東京国立近代美術館工芸館として、文化庁建造物課の監理のもと昭和52年11月に改修が終了し、同年11月15日に正式に開館し現在に至っている。今、工芸館では「所蔵作品展 花咲く工芸 Blooming Crafts: Modern Crafts from the Museum Collection」が開催されている。入館料は大人200円なので、一度、旧近衛師団司令部を訪ねるのも良いのではないか。
それと師団司令部の基礎部分に注目。京都の安部晴明神社で見た五芒星だ。
何でも近衛兵の軍帽につく帽章が由来のようだが、帽章の由来はユダヤ教?と思ってしまうのも無理はないだろう。明治期から戦前にかけて日猶同祖論(日本=ユダヤ同祖論)が蔓延ったからだ。私見ながら皇国史観と日猶同祖論は、それこそ同祖だと思う。
近衛師団は、陸軍最古参の部隊として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にあたる枢要な部隊司令部に相応しい威厳ある建築である。様式はゴシック風で、延べ床面積は1860㎡。赤煉瓦と白の花崗岩の組み合わせが見事だ。
この近衛師団司令部を有名にしているのは、やはり昭和20年8月15日に起こった森赳師団長惨殺事件だ。森師団長は、2階の師団長室で殺害されている。敗戦の日における軍部の動きは興味深いものがあるが、殊、近衛師団長惨殺事件など8.15における皇族・軍人などの動きを含め極めて興味深い見解を示しているのは、下記の鬼塚英昭氏の「日本のいちばん醜い日」だ。是非とも一読をお勧めする。
→日本のいちばん醜い日
敗戦により近衛師団は解散したが、師団司令部はその後、皇宮警察の寮として利用され、兵舎は東京学生会館として利用されていた。昭和38年、北の丸地区再開発により近衛師団や連隊兵舎等の建物群が撤去され、現在の北の丸公園として整備された。
昭和39年4月には、国立公文書館、国立近代美術館、科学博物館などが建設される事になり、近衛師団司令部も解体される運命にあったが、近衛連隊の戦友会が中心となって明治期における洋風建築の歴史的遺構としての保存運動が沸き起こった。この影響もあり近衛師団司令部は、国の重要文化財の指定を受ける事になり、破壊を免れた。
その後、東京国立近代美術館工芸館として、文化庁建造物課の監理のもと昭和52年11月に改修が終了し、同年11月15日に正式に開館し現在に至っている。今、工芸館では「所蔵作品展 花咲く工芸 Blooming Crafts: Modern Crafts from the Museum Collection」が開催されている。入館料は大人200円なので、一度、旧近衛師団司令部を訪ねるのも良いのではないか。
それと師団司令部の基礎部分に注目。京都の安部晴明神社で見た五芒星だ。
何でも近衛兵の軍帽につく帽章が由来のようだが、帽章の由来はユダヤ教?と思ってしまうのも無理はないだろう。明治期から戦前にかけて日猶同祖論(日本=ユダヤ同祖論)が蔓延ったからだ。私見ながら皇国史観と日猶同祖論は、それこそ同祖だと思う。