4日前、女房の父親が亡くなった。
実家の仙台市で葬儀が行われたのだが、
所変わればしきたりや習慣が全然違う。
ましてや知らない場所だ。
正確には30年以上前、2年間だけ住んだことがあるのだが、
都会ではそんなデーターは何の役にもたたない。
病院から家に帰らずに、直接葬儀会場へ遺体が運ばれたので、
通夜かな、と思ったのだがそうではないらしい。
通夜は明日だ。
しかし、夜通し線香は絶やさないようにしなければならないらしい。
通夜も含めて2日間線香番(交代可)である。
けっこう、きつい。
葬儀場なんて、寝られないからね。
そのうち親戚が集まりだした。
私の義父であるから、私は親類の中でもかなりメインである。
葬儀の参列者、というわけにはいかないのだ。
嫁の父方、母方の親戚となるとほとんど初対面の人ばかり。
そのたび「○○の夫です」と挨拶をするのが大変だ。
ましてや嫁の小さい頃の話しをされても、あーそうですか、
と言うほかない。
言われた場所に行き、出された食事を食べ、用意された車に乗り、
話しをされた意味のわからない事柄にうなずく。
喪主は女房の弟だ。
だから私は義兄にあたる。
それ故私をたててくれるのだが、相談されても習慣が違うので
何の役にもたたない。
このようなとき、必ず親戚には「葬儀委員長」などと呼ばれる
世話好きがいるものである。
その人に相談するようにしてもらった。
通夜が始まったのだが、どんどん人が集まってくる。
僧侶の読経も始まった。
これは我々の地区の葬儀と同じだ。
通夜のあとの飲食の振る舞いもある。
仙台は通夜が盛大なのか・・・
通夜に参列して帰るぶんにはいいが、泊まるこちらとしては
もう、コンビニ弁当はいやだ。
しかし、私も喪主をしたことがあるが、喪主はかなり多忙で身内の
食事などかまっていられないのだ。
しかも葬儀所は、衛生面などを考慮して厨房を備えていない所が多い。
と、いうわけで身内の夜食は振る舞い(仕出し)の残りです。
葬儀は身内だけで行われた。
やはり通夜が盛大なんだね。
火葬場は、葛岡斎場というところらしい。
「もうちょっとで、山形県ってとこだぁ」と言われていたが、グーグルマップ
で調べたら、それほど山形県寄りではないようだ。
さすが仙台市、すごい立派な建物だ。
No19号炉とか言っていたぞ。
いくつあるんだよ。
火葬場で出されたそばを食べたが、ちょっとまてよ。
今14:05分。
15:00から会食じゃんか・・・
もう、食えないよ。どうする?
しかし、遺族控え室には誰もいない。
どうしたんだ・・・
見れば、全員テレビの前。
そうか、今は仙台育英の試合やってんだな。
会食と言っても知ってる人はいない。
ただ、黙々と食べるだけ、しかもほんの少し。
かなり有名な酒らしいが、飲まない私は軽くスルー。
持ち帰り用のパックが用意されていたが、どっちみち
今の季節会津までは危なくて持ち帰れない。
帰って、泥のように眠った。
次の日、やっと帰れると思ったら、Uターンラッシュの残りが・・・
総括して考えると、都会の葬儀はとてもドライだ。
会津地方では必ず「歌読み(連歌)」と呼ばれる行事があるし、
「伽の使い」と呼ばれる役割の人もいる。
仙台では訃報は回覧で連絡し、歌読みもない。
今の時代、こっちの方が合っているような気がする。
しかし、都会の火葬場はおもしろいぞ。
全身白の集団を見かけた。ネクタイまで白だぜ、火葬場なのに。
何かの宗教なのだろうか。
思わず義母が指差してしまい、義弟(喪主)から「指差んじゃない!」と
すごい怒られていたよ。
しかし、田舎者の私からすれば、「桜ヶ丘団地第○地区○班 町内会 回覧」
とか見ると、どんだけ人がいるんだよ、って思っちゃうね。