あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

借りてきた猫

2015年08月18日 00時58分00秒 | 写真

 

4日前、女房の父親が亡くなった。

実家の仙台市で葬儀が行われたのだが、

所変わればしきたりや習慣が全然違う。

ましてや知らない場所だ。

正確には30年以上前、2年間だけ住んだことがあるのだが、

都会ではそんなデーターは何の役にもたたない。

 

病院から家に帰らずに、直接葬儀会場へ遺体が運ばれたので、

通夜かな、と思ったのだがそうではないらしい。

通夜は明日だ。

しかし、夜通し線香は絶やさないようにしなければならないらしい。

通夜も含めて2日間線香番(交代可)である。

けっこう、きつい。

葬儀場なんて、寝られないからね。

 

そのうち親戚が集まりだした。

私の義父であるから、私は親類の中でもかなりメインである。

葬儀の参列者、というわけにはいかないのだ。

嫁の父方、母方の親戚となるとほとんど初対面の人ばかり。

そのたび「○○の夫です」と挨拶をするのが大変だ。

ましてや嫁の小さい頃の話しをされても、あーそうですか、

と言うほかない。

言われた場所に行き、出された食事を食べ、用意された車に乗り、

話しをされた意味のわからない事柄にうなずく。

喪主は女房の弟だ。

だから私は義兄にあたる。

それ故私をたててくれるのだが、相談されても習慣が違うので

何の役にもたたない。

このようなとき、必ず親戚には「葬儀委員長」などと呼ばれる

世話好きがいるものである。

その人に相談するようにしてもらった。

 

通夜が始まったのだが、どんどん人が集まってくる。

僧侶の読経も始まった。

これは我々の地区の葬儀と同じだ。

通夜のあとの飲食の振る舞いもある。

仙台は通夜が盛大なのか・・・

通夜に参列して帰るぶんにはいいが、泊まるこちらとしては

もう、コンビニ弁当はいやだ。

しかし、私も喪主をしたことがあるが、喪主はかなり多忙で身内の

食事などかまっていられないのだ。

しかも葬儀所は、衛生面などを考慮して厨房を備えていない所が多い。

と、いうわけで身内の夜食は振る舞い(仕出し)の残りです。

 

葬儀は身内だけで行われた。

やはり通夜が盛大なんだね。

火葬場は、葛岡斎場というところらしい。

「もうちょっとで、山形県ってとこだぁ」と言われていたが、グーグルマップ

で調べたら、それほど山形県寄りではないようだ。

さすが仙台市、すごい立派な建物だ。

No19号炉とか言っていたぞ。

いくつあるんだよ。

火葬場で出されたそばを食べたが、ちょっとまてよ。

今14:05分。

15:00から会食じゃんか・・・

もう、食えないよ。どうする?

しかし、遺族控え室には誰もいない。

どうしたんだ・・・

見れば、全員テレビの前。

そうか、今は仙台育英の試合やってんだな。

 

会食と言っても知ってる人はいない。

ただ、黙々と食べるだけ、しかもほんの少し。

 

かなり有名な酒らしいが、飲まない私は軽くスルー。

 

持ち帰り用のパックが用意されていたが、どっちみち

今の季節会津までは危なくて持ち帰れない。

帰って、泥のように眠った。

次の日、やっと帰れると思ったら、Uターンラッシュの残りが・・・

総括して考えると、都会の葬儀はとてもドライだ。

会津地方では必ず「歌読み(連歌)」と呼ばれる行事があるし、

「伽の使い」と呼ばれる役割の人もいる。

仙台では訃報は回覧で連絡し、歌読みもない。

今の時代、こっちの方が合っているような気がする。

しかし、都会の火葬場はおもしろいぞ。

全身白の集団を見かけた。ネクタイまで白だぜ、火葬場なのに。

何かの宗教なのだろうか。

思わず義母が指差してしまい、義弟(喪主)から「指差んじゃない!」と

すごい怒られていたよ。

しかし、田舎者の私からすれば、「桜ヶ丘団地第○地区○班 町内会 回覧」

とか見ると、どんだけ人がいるんだよ、って思っちゃうね。