ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

遺言書を作るプロセスが面白かった

2024-09-12 | 旧約聖書

アンチキリストの息子が、1年程前に私の部屋に来たときに、色んなものを整理しておいて欲しいと言われたことがあった。
それで、これまでやって来たことは

1.ネット関係を整理した。フェイスブック、インスタグラムを解約した。
       (とても面倒な作業だった)

2.積み上がっていた書類を整理して、重要なものをまとめて、一冊のファイルに保管した。
   (金融機関や、年金関係や、その他、郵送さりて来ている書類を、大胆に処分したらすっきりした)

3.遺言書を、公証人役場に行って、作ってもらい保管してもらって来た
  その目的は、教会と子供との間で問題が発生することを避けるため
   ➀二人の子供遺留分を侵害しない程度に、教会に献金する
   ②二人の子供は、ピッタリ半分に分ける
   ➂所有している本をクリスチャンの孫に譲る

相談したのは、教会員で、元金融関係の会社で働いていた元プロのおじいさん
   ➀市役所の無料相談コーナーで、公証人に必要な関係書類を教えてもらう
   ②元プロのおじいさんに家に来てもらって相談
   ➂無料相談コーナーの先生の役場に、集めた関係書類を持参して依頼した
   ④公証人とはメールで2~3回のやりとりで、最終内容を決定した
   ⑤教会員のおじいさんに来てもらって再確認してもらった
   ⑥役場に行って、頼んでいた二人の証人の前で押印をした

相続執行人は、クリスチャンの娘に依頼した。
これからゆっくりと、葬儀や遺骨などについても記録して残すつもりですが
こんな時、子供に信仰継承ができていることはとても重要です

今はアンチキリストの息子には、やがて滅びてしまう財産ではなくて
永遠のいのち、キリストを信じる信仰、天国への希望を、息子に遺したいものです

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ヨナのお話は、紙芝居のお話なのか?

2024-05-14 | 旧約聖書

今朝のデボーションは ヨナ書1:3

私はこれまで、ヨナ書を子ども向けのおとぎ話のように思っていたことを悔い改めました。

神のみことば、聖書の中に書かれているのですから、このような話からも神のみこころを受け取らなくてはならないのだと知りました。

子どもの讃美【新聖歌】488

5番の讃美が響きます

ぼくも預言者 私も預言者

神さまから言われたことを

言われたとおりに伝える仕事

それが預言者 しっかりやろうね

1番

ヨナは預言者 昔の預言者

神さまから言われたことを

言われた通りに伝える仕事

それが預言者 しっかり頼むよ

2番

ヨナは預言者 弱虫預言者

ニネベに行けと言われた時に

とんでもないとスタコラ逃げた

弱虫預言者 しっかり頼むよ

3番

ヨナは預言者 おかしな預言者 

大きな魚にゴクリとのまれて

ごめんなさいとお詫びの祈り

おかしな預言者 しっかり頼むよ

4番

ヨナは預言者 出なおし預言者

考え直してニネベに行くと

町中みんなで悔い改めた

出なおし預言者 しっかり頼むよ

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いのちの木と善悪の知識の木

2024-05-13 | 旧約聖書

"神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。"

創世記 2章9節

 

創造された時には、人は主に聞き従う善なる者として創造された。それなのに、最初の人アダムが神にそむいたので、後につづく人はみな神に背く原罪をもつ罪人となってしまって、エデンの園から追い出された。

もし、そのままエデンの園にいたら、いのちの木から食べて、永遠にのろいから解放される機会を失っていたことでしょう。だから、追い出されたのは、神のあわれみと救いの計画の現われでしょう。

最初の人アダムによって、人類のすべてがのろわれたが、第二のアダム、人である救い主イエス・キリストの贖いを信じる者が、死からいのちへ、さばきから祝福に移れるように救いを道を備てくださった。

私は、罪赦されて義とみなされた後も、アダムの時からの罪はまだ残っているので、その後の生活には霊的な戦いがある。内に残っている罪と戦って一歩一歩主に善悪を聞いて勝利して聖化の道を歩み、ついには栄化の中に完全に入れられることに希望を持ちます

 

 

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恵みと信仰

2024-01-08 | 旧約聖書

ロマ 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

 

主動詞は3つ

  • 「大いに喜んでいます」現在形。その前提として2つの完了形がある。
  • 「持つ」完了形--私達が、私達の主イエス・キリストを通して、この恵みのエイス中に入って行く信仰によって謁見できる権利を持っている。信仰によっては、前置詞がなくて与格・手段の具格 (具格の本来の意味に最も近い方法である。人格的手段はὑπό+奪格(属)で表現されるが、非人格的手段では具格で表現されるD&Mより
  • 「立つ」完了形--私達がこの恵みのエン中に立っている

 

恵みの中にますます入っていけるという信仰によって、父なる神に接近していける特権がすでに与えられて持っているし、その恵みの中にすでに立っています。

それで、私達は、みことばの約束どおりに神の栄光の中に入れられるという希望にエピ基づいて・頼りにして、大いに喜んでいます。

 

その信仰とは、イエス・キリストが十字架にかかり、よみがえられたのは私の罪を贖うためでしたと信じる信仰です。この信仰のゆえに、罪人である私は神の前で義と認められているので、畏れ多くも、平和のうちに神様に近づくことができます。

私は、エク恵みエイス恵み、恵みから恵みへ、信仰から信仰へと、輝かしい希望をみことばにより確信して、小躍りしなから喜んで歩みます。私が神に近づこうとすると神の方からも近づいてくださっています。感謝からスタートした早天祈祷会です。

 

 

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カインのようではなく Ⅰヨハネ3:11.12

2024-01-06 | 旧約聖書

★主のあわれみを見る

・神は、エデンから追放しているのに、放りっぱなしにしないでアダムとエバが間違った子育てをしているのも見ておられるし、既に関係を失っているのにも関わらず、彼らが祭壇で礼拝しようとしている行為を受け入れておられる。

・カインとアベルの神に対する姿勢の心の深みまで見ておられる。

・人殺しをしたカインにも特別な守りを与えている。

 

★カインのようにならないために

・聖霊の時代にいる私達ですから、何かをする前に、それに対する心の姿勢、信仰がはたして神にふさわしいものであるかどうか、自己中心から発していないかを、神に近づいて尋ねることができる。

・全能の神は、私の過ちも失敗も不信仰の罪もご存じです。その上で、みことばや、事件、教会生活等を通して、時にかなった警告や導きや励ましを与えておられます。

私は、その神のあわれみに敏感になって、神にますます近づいて行くなら、清められ、祝福されて用いられて行くことになるを信じて感謝します。

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